イノセント・ハンド
この夜から、紗夜の心は、目を開くことをやめた。

医者の診断では、ひどいショックにより、脳が見ることを拒んでいる。

とのことであった。



警察官殺人事件として、捜査は夜を徹して行われた。

そして、その2日後、三人の容疑者が捕まり、異例の早さで有罪判決が下されたのである。



~事件から一週間~

姫城家のマンション。


見えない目で、砕けたロウソクを見つめる紗夜。

『さっさと食べなさい!』

こげたパンが二枚、乱暴に皿に載せてあった。

紗夜の体が『ビクッ!』と揺れる。

手のひらから落ちたロウソクを拾おうとした手を、智代が踏みつけた。

『いたい!ママ、やめて。いたいからやめて。』

怯えた小さな声でつぶやく。

『いつまでこんなものを持ってるの!もうパパはいないのよ!』

正明が死んでから、智代の精神は壊れ、全く別人になっていた。

ロウソクの袋を拾いあげる。

『お願い、返して。ママ、お願い。ぶってもいいから、返して。』

この頃既に、少女の体は傷だらけであった。

小さな手を広げて差し出す紗夜。

『バシッ』

『アァ!』

テーブルにさしてあった長い菜箸で、その手のひらをぶつ。

『お前のパパはもう死んだのよ!お前が、お前が殺したんだよ!』

『バシッ!バシッ!』

何度も何度もぶった。

智代の目から涙が溢れる。

『返して!私の正明さんを返して!!』

そのまま泣き崩れる智代。

紗夜は、幾スジも血が滲んだ手のひらを握りしめて、その母をじっと見つめていた…。



智世の錯乱はどんどんエスカレートしていった。

そしてある夜。




『富士本です。今、現場に到着しました。』

辺りには大勢の人だかりが出来ていた。

救急隊員に、富士本が尋ねる。

『刑事課の者です。どうですか?』

『ひどい有り様だよ、全く。ベランダから飛び降りた様で、即死だねこりゃ。』

マンションの前に、シートを被せられた智代の亡骸が横たわっていた。


『娘さんは?』

『あぁ、救急車の中にいるよ。目が…見えなくて良かったよ。可哀想に、見つけた時は、ひどく怯えていて、ショック状態だったが、だいぶ落ち着いた様だ。』

『そうですか。』

『さて、どうしたものか…』

困った顔で救急車の方を見る隊員。

『とりあえず私が預かります。あの子の父親に大変世話になったもんで。』

救急車のドアを開ける。

『さあ、心配しないで。おいで…。』
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