いっそ、君が欲しいと言えたなら~冷徹御曹司は政略妻を深く激しく愛したい~
 その原因となっているのは斜め横に腰を下ろした女性だった。二十代だとは思うが、間違いなく史織よりは年上だろう。ゆるやかにうねりのある髪が腰の近くまで伸びている。ノーカラージャケットのスーツを品よく着こなした上品さがにじみ出る美人だ。

 電話で呼び出された史織は、不安な気持ちをかかえながらも、教えられた住所を頼りに『福田弁護士事務所』へやってきた。

 すぐにこの応接室へ通され、間もなくして福田とこの女性が連れ立って入ってきたのだ。

 彼女は黙ったまま、深刻な表情は怒っているようにも見える。呼び出された内容を考えれば相手の方の家族か親類だろう。そう考えると気になって仕方がない。

「電話でもお聞きしましたが、娘さんはお母様がどういった男性とおつきあいしていたのかはご存じなかった、ということでしたね?」

「ぁ……はい、そういうことは一切話さない人でした。けれど、おつきあいしている人がいるんだな、というのは雰囲気でわかっていました」

 史織はそこで言葉を切り、一泊置いて続ける。

「物心ついた時には父親はいませんでした。わたしが生まれて間もなく、事故で亡くなったそうです。母はわたしを育てるためにずっと夜の仕事をしていて……。どういう人かはわからないけれど、おつきあいしている男性がいるんだなというのは何度か雰囲気でわかりました。ですが、なにも言わず、姿を消すなんてことは一度もなかったんです」

 高校卒業を控えた一月、当時住んでいたアパートから母が姿を消した。私物もすっかり運び出されていて、元気でね、と書かれた紙と当座の生活費がテーブルに置かれていた。

 どうしたらいいのかわからなくてショックも大きかったけれど、子どもを育てるためにずっと頑張ってきた母を自由にしてあげたかった気持ちがあったから、納得するのに時間はかからなかった。

 高校を卒業したらすぐに働こうと思ったのだって、早くひとり立ちして母に苦労をかけないようにしようと思ってのこと。

 母が好きな人と一緒に生活することを選んだのならそれでいい。

 卒業前だけど、母から離れるのが少し早くなっただけ。

 そう自分に言い聞かせた。

 それでもやはり母に置いていかれてしまったという遣る瀬ない思いがいっぱいで、自分でも気付かないうちに沈み込んでいたのだろう。様子がおかしいといち早く気付いた店長やオーナーが親身に話を聞いてくれて、部屋探しを一緒にしてくれたり保証人になってくれたり、いろいろと助けてくれた。
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