いっそ、君が欲しいと言えたなら~冷徹御曹司は政略妻を深く激しく愛したい~
 今朝から感じている重さは、なにか、いやな予感がする時の感覚に似ている……。

 レモネードを口に含むと、なぜかいつもの爽やかさがなく、口腔内に引っかかるような後味の悪さが残った。

 やはり今日は、なにかおかしい。

 このおかしな予感を孕んだ気持ちの乱れを、史織は過去にも経験している。

 ――母が、史織を捨てて蒸発した時も、こんな気持ちでいっぱいだった。

 心の中をザラりとしたいやなものが撫で上げていく。流されれば寝込んでしまいそうだと感じ、史織はなにかを振り払うように頭を左右に振った。

「買い物に行こう」

 勢いよく口に出して立ち上がる。雨だからといって閉じ込もっている必要はない。気分転換に外へ出よう。昼食は久しぶりにカフェでゆっくり本でも読みながら食べてもいい。

「そうだそうだ、そうしようっ」

 自分を動かすために肯定を口にする。グラスを持ってキッチンへ行こうとした時、スマホの着信音が響いた。

 テーブルに戻って確認するが知らない番号だ。都内の固定電話からかけられているのがなんとなく気になって、おそるおそる応答した。

「もしもし……」

 ――結果、史織はカフェにも買い物にも行けなくなる。

 電話の相手は弁護士で、用件は史織の母が蒸発した原因について。

 とある男性と一緒に姿を消した母だったが……。その男性が既婚者で、男性の家族から訴えが出ているという話だった。



「急な話だったのに、ご足労いただきありがとうございます」

 福田豊( ふくだゆたか)弁護士は、名は体を表すと言いたくなるような、体格がよくおだやかで、ゆったりとした雰囲気のある男性だった。

 歳は五十代の初めくらい。大柄なのは店のパティシエと似ているが、入江が高校の体育教師っぽいイメージなのに対し、福田弁護士は幼稚園の園長先生のような雰囲気がある。

「いいえ、こちらこそご連絡をいただきありがとうございます」

 史織は座っていた椅子から腰を上げて会釈をする。焦ってしまい、どう言葉を返したらいいのかちゃんと考えられない。ひと言発するたびに、おかしなことを言っていないかと不安になる。

「まずは娘さんとお話をさせていただきたかったのです。なんといっても当人不在の状態だ。娘さんはお母様がいなくなった原因をはっきりとはご存じないかもしれない。母親が不倫をして、その家族から訴えられそうだと知っても驚きしかないでしょう」

 史織は言葉が出ない。福田の話しかたはおだやかで史織に同情的だ。心強いはずなのに身を乗り出して話を聞く気になれない。
< 26 / 108 >

この作品をシェア

pagetop