いっそ、君が欲しいと言えたなら~冷徹御曹司は政略妻を深く激しく愛したい~
 薫からは徹底的に嫌われているようで、話しかけるどころか顔も見てくれない。まるで史織という人間が見えていないかのように振る舞う。

 自分の立場をもう少し考えろと言われる可能性の方が高かった。それでも相談してしまったのは誰かに聞いてほしかったのと、自分がどう思っているかを泰章に知っておいてもらいたかったからだった。

 思い切った相談だっただけに、彼がアッサリと肯定してくれたのが意外すぎて、史織は呆気にとられた顔をしてしまった。

「なんて顔をしているんだ」

「すみませんっ」

 トレイを小脇に挟み、史織は焦って両手で頬を押さえる。希望のある回答がもらえたことにゆるみかける口元を、もぞもぞさせながら引きしめた。

「自分で聞いておいて驚くな。別に、そう考えるのは悪いことではないだろう」

「そう……ですか?」

「薫は、もともとおだやかな性格だ。混乱期の責任問題を論じられるようになってから、少々気性が荒くなった。……あの頃の気持ちを、思いだしてしまうのだろう」

「あ……」

 婚約破棄をされたことだ。悲しさや悔しさが、彼女の中にはたくさん詰まっている。史織を見るとそれを思いだしてしまうのかもしれない。

 泰章は書斎に置かれた大きなデスクでマネージメントチェアに深くもたれかかり、コーヒーの湯気を吹き飛ばす勢いで息を吐き出す。

「薫の婚約者だったのは古い取引先の社長令息だが、薫の……初恋の相手だった。会社の未来を危ぶんだ向こうの父親が申し出てきた。利害関係ありきの婚約だったから仕方がないと言えばそれまでだが、薫は納得できなかったのだろう。塞ぎ込んで食事もまともにとれない日が続いた。心の傷は、まだ残っていると思う」

 コーヒーをひと口飲んでから史織に顔を向けた。

「月日が解決してくれたら、とは思う。今はああだが物わかりはいい妹だ。そのうち、君が望んでいるように挨拶くらいはできるようになるだろう。理解したか?」

「はい、ありがとうございます。理解しました。……それと、よかったです」

「よかった? なにが?」

「泰章さんと薫さん、とても仲がいいんだろうなってわかったので」

 泰章は薫を庇う話しかたをしている。福田の事務所で制圧的だと感じたのは、いつもの彼女にはないくらい感情が昂ぶっているからそれを抑える意味があったのだろう。
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