とある高校生の日常短編集
ストーカー(すみれ編)
 ある朝のこと。
 副島といつも通り登校していた悠貴だったが、途中ですみれを見つけ、声をかけた。
「おはよう、す――」
「ひにゃっ!?」
 すると、すみれは驚いたのか、猫のような悲鳴を上げて臨戦態勢をとる。そんなすみれの姿に、悠貴は勿論、副島もフリーズした。
「って、なんだ、悠貴か……びっくりした……」
「えっと、何か、ごめん……驚かせちゃったみたいで」
 悠貴が謝ると、すみれは笑顔で「ううん、こっちこそごめん」と返す。
「随分と警戒されているようですね。何かあったのですか?」
 副島が尋ねると、すみれは「あー……」と苦々しく呟いた。
「その……数日前から、よく分かんないけど声をかけてくる人がいて……」
 すみれの話に、悠貴は首を傾げた。
「声をかけてくるって……?」
「最初は”おはよう”っていう挨拶だけだったんだけど、最近は”今日の朝ご飯は何だったの?”とか”部活は何やっているの?”とか、すんごい話しかけられて……」
 困ったように言うすみれを見て、悠貴は副島を見た。
「それって……もしかしなくても、ストーカー?」
「……ですね」
 二人の話を聞いて、すみれは「ですよね」と深い溜め息をつく。悠貴はすみれの方に顔を向けた。
「ちなみに、その人とは何か接点とかはあるの?」
「全然。面識さえ無いよ。ある日突然、向こうから話しかけてきて……」
 げんなりとした顔で答えるすみれ。悠貴は「成程」と呟いた。
「そしたら、しばらくは一人で出歩かない方が良さそうだね」
「同感です。登下校はできるだけ、悠貴や俺達と帰った方が、安全かと」
 悠貴と副島の提案に、すみれは小さく頷く。
「ありがとう……そうしてもらえると助かります……」
「いいよ、そのくらい。すみれが被害に遭ってからじゃ遅いからね」
 悠貴は、すみれを励ますように言葉をかける。そして三人は、そのまま学校へ向かった。



 放課後。
 委員会や生徒会の仕事を終えたすみれ逹四人は、いつも通りわいわい帰宅していた。電車の途中で六花と別れ、その後自分たちの最寄り駅に降り立つ。
「あ、そっか。こっから私ん家と悠貴ん家、方向違うんだっけ」
 改札を抜け、駅から出たところですみれが声を上げた。
「大丈夫。ちゃんと家まで送り届けるから」
「でも……」
「それに、大体の方向は同じだから、大したことないさ。な? 和春」
「はい。どうぞ気になさらないでください」
 悠貴と副島の気遣いに、すみれは「ありがとう」と答える。こうして三人は、南雲家に向けて歩き出した。
「そしたら、明日以降の朝はどうする? 迎えに行こうか?」
 歩きながら、明日以降の相談を持ち出した悠貴。すると、すみれは「うーん」と考え込んだ。
「それだと悠貴が大変になっちゃうから……せめて、駅までは自力で行きたいんだよなぁ……」
 そういってまた考え込むすみれ。
「親か兄さんがいれば、駅まで送って貰えるんだけど……いつもいるとは限らないから……」
  うーん、と悩むすみれ。すると、悠貴が溜め息をついた。
「うーん……連絡をとりあってケースバイケースの対応でも良いんだろうけど、警察って緊急で呼び出しとかあったりして、日程とか読みにくいだろう?」
 悠貴の質問に頷くすみれ。
「だったら、色々面倒だから、毎朝迎えに行くよ」
「え? でも……」
「ちょっと早起きすれば良いだけの話だし。お前も異論は無いだろう?」
 困惑するすみれをよそに、副島に尋ねる悠貴。副島は「勿論です」と頷いた。そんな二人のやり取りを見て、すみれは諦めたようだ。
「……分かった。それじゃ、お願いします」
 すみれが頭をさげる。すると、悠貴は笑顔で、
「素直でよろしい」
 と返事をして見せた。
 そしてその後、無事すみれを南雲家まで送り届けた悠貴と副島。二人は肩を並べて帰路についていた。
「……なぁ、和春」
「はい」
「すみれは気がついていないみたいだったけど……」
「ええ……いましたよね」
「だよな……いたよな」
『ストーカー』
 最後の一言が綺麗にハモる悠貴と副島。
「あの嫌ぁな視線っていうか……こう、ねちっこいっつーか何つーか……悪寒がするような、なめっこい視線っつーの?」
 上手く言葉で説明できないようだが、それでも悠貴なりに説明を試みる。
「俺もその視線には気がついていました。電車内で一時的に視線は途絶えましたが……」
「学校から駅の間と、駅から南雲家の間。しかも、背後からずーっと」
 悠貴はそういうと、大きな溜め息をつく。ちなみに悠貴と副島は、こういった”人からの視線”や”気配”に敏感だ。理由は、彼らが日本四大ヤクザ”玄武組”の息子だから。ヤクザの関係者ともなると、色々な苦労があるようで……そういった苦労の末に身についてしまった物なのだ。
「何が狙いかは分からないけれども……すみれに被害が出ないように、俺達でできる限りの事はしないとな」
 悠貴がそう意気込むと、隣で副島がふっと笑う。すると、悠貴は副島に向かって「何だよ」と、怪訝そうに尋ねた。
「いえ……悠貴は本当に、南雲さんの事になると熱が入りますね」
 副島の一言に、悠貴の頬に熱が集まった。
「なっ……だ、それ……あ゛ー……」
 悠貴は何か言い訳をしようとしたのか、口をパクパクさせる。しかし、相手は副島だと諦めたのか、髪をガシガシと掻いた。
「……当たり前だろう。俺だって男な訳だし……好きな女子が困っていたら、守ってやりたくなるじゃん……」
 顔を赤くしながら、珍しく本音をこぼす悠貴。すると、副島は微笑んだ。
「そうですね。俺も、できる限り協力いたしますから」
「……おう、頼む」
 悠貴はそういうと、赤い顔のままそっぽを向く。そんな悠貴に、副島は苦笑いをしてみせた。



 ――一方その頃の某所にて。
「くそぅ……折角すみれたんと、お話しできると思ったのに……何なんだあの男達は……!!」
 悔しそうに歯ぎしりをする男が一人。
「あのメガネもだけど、それ以上にもう一人の男の方がけしからん! 僕のすみれたんに近すぎるんだよ!!」
 男はそういうと、近くの机の上に置かれていた写真立てを手に取った。そこには、すみれの写真が飾られている。
「待っててね、僕のすみれたん……明日こそ、お話ししようね……ぐへへ……」
 男はそういうと、すみれの写真をベロリと舐めた。



 翌日以降、すみれの登下校には必ず悠貴と副島、もしくは悠貴単品が付き添いについた。その甲斐あって、すみれが見知らぬ人に声をかけられる機会はめっきり無くなったのだが……
(あれから毎日、ずっと感じる視線……よくもまぁ、毎日懲りずについて来てんな……)
 背後からの視線を感じ取りつつ、すみれと二人で帰る悠貴。
(まぁ今のところ、何か悪さをしてくる気配はないから、こっちも手は出さずにいるけれども……)
「でね、その時にワンコが私の目の前に突然出てきて――」
 背後からのストーカーの視線を気にしつつ、すみれが楽しそうに話す内容に相づちを打つ悠貴。そして、いつものように南雲家まですみれを送り届ける。
「それじゃ、明日も同じ時間に来るから」
 悠貴がそういって帰ろうとしたとき、不意に鞄を掴まれ、思わず体勢を崩す。何事かと振り返れば、すみれがほんのり顔を赤くして、俯いたまま悠貴の鞄を引っ張っていた。
「どうしたの?」
 悠貴が尋ねると、すみれが「あ、あのね」と、詰まりながらも話し出した。
「その、いつも、送迎して貰っているから……お礼って程じゃ無いけど、その、美味しい紅茶、貰ったから……」
 すみれが途切れ途切れに話す。すると、悠貴は何を思ったのか手を顔の前で左右に振った。
「いや、お礼だなんて良いよ。俺はただ、自分がやらなくちゃって思ったからしているだけ――ってうわっ!?」
 断りにかかった悠貴だったが、すみれに鞄をぐいぐい引っ張られ、そのまま玄関の中まで連れて行かれる。
「いいから! 折角お菓子も焼いたんだから!」
「え、えぇ……そういうことは、先に言って欲しいんだけど――」
「渡すだけだから! 玄関の中で待ってて!」
 ずるずると、すみれに引きずられて悠貴は南雲家に連れ込まれた。
(そんな、すみれたん……!? 自分のお家に、彼氏である僕以外の男を連れ込むなんて……!?)
 そんな様子を物陰から見ていた(ストーキングしていた)例の男が、ぎりっと悔しそうに歯ぎしりをする。
(すみれたん……僕という彼氏がいながら、なんて暴挙を……)
 男は、両手の拳をぎゅっと力強く握る。
(……これはもう、すみれたんにお仕置きしなくちゃいけない。すみれたんに教えてやるんだ、すみれたんの男は僕なんだって、すみれたんの彼氏は俺だけなんだって……!)
 男は何かを決意したのか、胸の前で片手をギュッと握りなおした。その直後、南雲家の玄関から悠貴が出てくる。
「それじゃ、くれぐれも一人で出かけないようにな。あと、戸締まりもしておけよ」
「分かってるって。それじゃ」
「ああ。また明日」
 悠貴とすみれは挨拶をして別れる。それを物陰から見ていた男は、また歯ぎしりをした。
(何だ何だ何だ! 今のやりとりは!? まるであの男がすみれたんの彼氏みたいじゃないか! 許さない、すみれたんの彼氏は僕なんだぞ!!)
 去って行く悠貴の背中を睨み付ける男。そして、悠貴の背が見えなくなった頃、溜め息をついた。
(まずいな……一刻も早くすみれたんに接触しなくては。そうでないと、あの勘違い男にすみれたんが取られてしまう……それだけは、絶対に阻止しないと……!)
 男は物陰から、南雲家をうかがう。流石の男も人様の家に勝手に侵入する勇気は無いようで、それ以外の手段でどうすみれに接触を図るか、頭を巡らせていた。
(うーん……ここですみれたんが、お家から一人で出てきてくれれば良いんだけどなぁ……まぁ、そんな都合良くいかないか……うーん……)
 男がそう悩んだとき。幸か不幸か、すみれが家の玄関から飛び出し、どこかへ駆け出していくではないか。
「あっ!?」
 男は、チャンスとばかりにすみれの後を追いかける。出遅れたためにすみれとの距離がそこそこあったが、そこは気合いと(自称)愛の力で、ついにすみれに追いついてしまった。
「すみれたぁん!」
 がしっと、すみれの腕を掴んで引き留める。すると、すみれが驚いた……いや、青ざめた顔でこちらを見てきた。
「あ、貴方は……?!」
「もう、ダメだろう、すみれたん。何で僕のこと、避けていたんだよ」
 ぎゅっと、すみれを逃がさないように腕を掴む手に力を込める男。すると、その力の強さにすみれの顔が歪んだ。
「いたっ――」
「僕、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずぅっっっと、寂しかったんだよぉ? すみれたんとお喋りできなくて」
 にたぁっと笑顔ですみれに言う男。
「し、知らないです! そもそも私、貴方のこと知らないんですけど!」
 すみれが叫ぶように言う。すると、男は目を見開いた。
「何だって……すみれたん、何てこと言うんだよ……僕は君の彼氏だよ? なのに”知らない”なんて、どうしてそんなことを言うんだよ!?」
「きゃっ――!」
 男がぐいっとすみれを自分の方へ引き寄せようとする。すみれは咄嗟に身を退いてそれを回避しようと試みたのだが、その結果、もう片方の腕も男に掴まれてしまった。
「いけない子だね、すみれたん……そんな君には、お仕置きが必要だね……」
「な、何を……!」
 男に迫られても、負けじと睨み返すすみれ。
「いいよ、君の体に直接教えてあげるよ。すみれたんの彼氏は誰なのか。そして、すみれたんに触れて良いのは誰なのかを!」
 男はそういうと、すみれに自分の顔を近づける。男の行動の先を察したすみれは、顔面蒼白になった。
「やめて! 近寄らないで!」
「おやおや、彼氏にそんな口を利いてもいいのかな?」
「それ以前に、貴方は私の彼氏でも何でも無い、ただの赤の他人です!!」
 びしっとすみれが言い返す。すると、男の顔がピタッと止まった。
「……何だって」
 そして、低い声でぽつり。
「だから、貴方は私の彼氏じゃな――んぐっ!?」
 すみれが言い返そうとしたとき、男の右手がすみれの両頬をむぎゅっと掴んだ。
「どうしてそんな事を言うんだよ、すみれたん……君は僕に、あんなにも優しくしてくれたじゃないか……それとも、僕との関係は遊びだった、とでも言うのかい?」
 男は真顔ですみれに言う。一方のすみれは何かを言い返そうとしたが、頬を掴まれているせいで、言葉を発せずにいた。
「まず最初は、こんなにも悪いことを言うお口からお仕置きだね」
 男はそういうと、またすみれに顔を近づけた。この事態には流石のすみれも抵抗しきれず――
(助けて……悠貴……!)
 涙が浮かぶ瞳を、ギュッと瞑った時。
「すみませーん」
「あ? なん――」
 ガンッ!
 聞き慣れた声と、聞き慣れない物音。すみれが目を開けると、目の前に不思議な光景が広がっていた。
「その人を離して貰っても良いですかね?」
 そう話すのは、満面の笑みの悠貴。その悠貴の片手はあの男の頭をがっちりと掴んでおり、そして例の男は、悠貴によってその顔面半分を、塀にのめり込ませていた。
「なっ……き、貴様は……」
「あー、そういう月並みな台詞は結構なんで、さっさと彼女を離してくれませんか?」
 男の言葉を無視して、もう一度催促する悠貴。そして、めりめりっという音が塀から聞こえた。おそらく、悠貴が男の顔面を更に塀へ食い込ませたのだろう。
「いだだだだだ!」
 わめく男。すると、痛みで男の手から力が抜け、その隙にすみれは逃げ出し、悠貴の背後へと逃げた。
「ああ、ご協力ありがとうございます。それで、お尋ねしたいことがあるんですけど、よろしいですかね」
 悠貴は男の顔面を塀に押しつけたまま、笑顔で話を続ける。
「何故、彼女にこのような暴力的行為に及んだのか、お話いただけますかねぇ?」
「う、うるさい! お前には関係――」
「お・は・な・し・い・た・だ・け・ま・す・か・ねぇ?」
 メキメキッと音が鳴る。そして、更に塀に食い込む男の顔面。
「いだだだだだ! は、話します! ちゃんとお答えしますからぁ!!」
 ついに泣きわめきだした男。すると、悠貴は男の頭を掴んだままぐいっと引っ張り、塀から引き剥がした。そして、男の顔を悠貴の方へぐいっと向ける。
「で? 一体どういう事なのか、お話し願えます?」
「だから! 僕はすみれたんの彼氏で、すみれたんは僕の愛しの彼女なんだ! なのにすみれたん、話しかけても冷たいし、僕のこと避けて回るし……挙げ句、僕という彼氏がいながら、お前みたいな男を家に連れ込んで――あだだだだ!?」
「なるほど。そういう経緯で、暴力的行為に及んだ訳なんですねぇ」
 にっこりと笑顔のまま話す悠貴。男が悲鳴を上げたのは、掴まれている頭が悠貴に思いっきり握られたのが原因だろう。
「ですが、先ほどから彼女は貴方のことを”恋人でも何でも無い、赤の他人だ”と仰っていましたが……これは一体、どういう事なのでしょうか?」
「そ、それは、すみれたんが恥ずかしがって……」
「つまり、貴方と彼女は、紛うこと無き恋人関係である、と?」
「そ、そうだよ! ねぇ? すみれたん!」
 男は救いを求めるようにすみれを見る。すると、すみれは恐怖心からか、悠貴の後ろにさっと隠れた。
「……この人は恋人とか彼氏なんかじゃない。ただのストーカーだもん!」
 悠貴の後ろから、声を大にして主張するすみれ。すると、男は「そ、そんな……!」と顔を青くさせた。
「……どうやらこれは、貴方の”一方的な”勘違いのようですね」
 悠貴がそういうと、男は「違う!」とだらしなくわめき始めた。
「なんでそんな嘘をつくんだよ、すみれたん! あの時君は、僕に優しくしてくれたじゃないか!」
 男の話に、すみれは「何のことだろうか」と考え込む。どうやら心当たりは無いらしい。
「この前! 駅で! 僕の財布を拾ってくれて! 僕の目を見て微笑んでくれたじゃないか!」
「財布……あー!」
 ここでやっと思い出したすみれ。
「確かに落とした財布を拾って渡したけど……」
「そうだよ! 今まで誰も、僕の事なんて相手にしてくれなかった……だけど、あの時君は、僕に向かって話しかけてくれた、目を見て微笑んでくれたんだ! つまり! 僕の事が好きってことだろう!?」
 叫ぶように男が言う。悠貴は男の頭を掴んだまま、すみれを見た。
「……って、妄言吐いてるけど、どうする?」
 悠貴の質問に、すみれは「うーん」と唸った。
「何が妄言だ! 僕はそんなk――あだだだだ!?」
「すみません。今、こちらで話しているので、もう少しお待ちくださいね」
 笑顔の悠貴による頭部圧迫により、黙り込む男。悠貴はもう一度すみれの方を見た。
「とりあえず、念のための確認。すみれは数日前に、この人が落とした財布を拾って渡してあげたんだね?」
 悠貴の確認に、すみれは頷く。
「で、その時、すみれ的には、この人への一目惚れ的な恋愛感情は?」
「微塵もなし」
 きっぱりと言い切るすみれ。男は「そ、そんなぁ……」と弱々しく呟いた。
「なるほどね……じゃあやはり、貴方の”一方的な勘違い”によるストーカー行為、と結論づけて、問題無いですね」
 悠貴は笑顔を男に向ける。すると、男は懲りもせず「違う!」とわめいた。
「違う! 違う違う違う! 僕とすみれたんは相思相愛なんだ! だから――」
「いい加減にしろよ」
 男のわめき声を遮るように、悠貴の、地を這うような低い声が響く。その声に男は勿論、すみれも思わずすくみ上がった。
「そうですね……あまりにもしつこい男性は、嫌われますよ?」
 にっこりと、いつもの声色で話す悠貴。男は口をパクパクさせるが、声が一切出ていなかった。



 その後。
 副島が警察を呼んで駆けつけれてくれたため、事は一件落着となった。男は警察に一時連れて行かれ、副島はそのまま自宅に戻り、悠貴はすみれを南雲家まで送り届けた。
「はぁ……一時はどうなるかと思ったよ……」
 南雲家の玄関にて。中に入って一安心したのか、悠貴が溜め息をついた。
「その……ごめんなさい……」
 一方、元気の無い声で謝るすみれ。
「一人で出かけるなって言われたのに……外に出ちゃって……挙げ句、悠貴に迷惑かけて……」
 泣き出しそうな声で言うすみれ。
「俺は大丈夫だよ。それより、すみれは怪我とかしてない?」
 悠貴の問いに、すみれはこくりと頷く。すると、悠貴は彼女の頭を優しくぽんぽんと撫でた。
「それならいいよ。何も無かったって事で」
 悠貴が優しい声で言う。すると、すみれは俯いて、手の甲で目をゴシゴシと擦った。
「……これ、届けようと思って」
 そして、顔を上げて悠貴に何かを差し出す。悠貴はすみれの頭から手を離すと、差し出された物を受け取った。
「あ、そうそう、俺も途中で気がついて戻ってきたんだよ……わざわざ届けようとしてくれたんだ」
「うん……でも……」
 悠貴に返事をしようとして、また俯くすみれ。どうしたものかと悠貴が思ったとき、あることを閃いた。
「そうだ、さっきすみれに貰った紅茶。折角だから、一緒に飲まない?」
 悠貴の言葉に、すみれは「へ?」と顔を上げる。その瞳が涙で潤んでいるのを見て、悠貴の胸がチクリと痛む。しかし、口角を上げて笑顔を見せた。
「すみれの作ったお菓子と一緒にさ、どう?」
 悠貴がそういうと、すみれの表情がぱあっと明るくなる。そして、「うん!」と元気よく頷いた。
「そしたら私、お湯沸かすね! 悠貴は座って待ってて……あ、その前に、リビングはこっちだから!」
 急に元気になったすみれは、パタパタと家の中へ進んでいく。悠貴も、そんなすみれの後をゆっくり追いかけた。
(あー……本当はあがるつもり、無かったんだけどなぁ……)
 我ながら大胆な提案をしたことに、ほんのり後悔する悠貴。しかし、すみれが「こっちだよ!」と笑顔で悠貴を招く姿を見て。
(まぁ……この笑顔が見られたから、よしとするか)
 と、満更でも無い悠貴であった。
 
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