とある高校生の日常短編集
 二人が乾を追ってしばらく。乾家からだいぶ離れた所に来た。
「乾さん!」
 そんなタイミングで、すみれが乾に声をかける。すると、乾は驚いたように目を丸くさせて振り返った。
「え? 風紀委員長!? それに、会長まで……!」
「こんにちは」
 営業スマイルで挨拶をする悠貴。それにすみれが続いた。
「乾さん。折角だから、ちょっとお茶しない?」
 というすみれの提案で、三人は近くのファミレスに入った。ドリンクやポテトなどを注文していく。
「……その、急に、どうしたの?」
 そして、一通りの注文がそろった頃、恐る恐る乾が口を開いた。
「……単刀直入に聞くね」
 すみれはそういうと、乾の瞳をまっすぐに見据えた。
「顔についている傷……それって、転んでできた傷じゃなくて、人為的に作られた傷だよね?」
 すみれの質問に、乾は首を傾げる。
「つまり、その傷は誰かに殴られたりして出来た傷じゃ無いかって、すみれは聞きたいみたいだよ」
 悠貴が補足を入れると、乾はやっと理解したようで何度か頷いた。そして、俯いてしまう。
「……別に、これは……」
 そういって、ドリンクの入ったコップを両手でぎゅっと握る。すると、悠貴が話し始めた。
「話したくないのなら、無理して話せとは言わないけれど……最近の乾さん、様子がおかしい気がして、俺もすみれも心配ししているんだ」
 悠貴がそういうも、乾はだんまり。すると、今度はすみれが話し出した。
「その傷……お母さんに殴られた傷?」
 この質問に、乾は勢いよく顔を上げた。
「違う! これはあの男に――!?」
 そこまで言って、乾は言葉を飲む。すると、すみれは「ごめんね」と謝った。
「……何で分かったの?」
 ふと、乾がすみれに尋ねる。
「さっき悠貴も言っていたけど、まず一つは、最近の乾さんの様子がおかしかったこと。それと、乾さんが妙に人から物を貰いたがる、ということ。それも、文房具とか髪飾りとかなら、謙虚にお古で使わなくなった物をもらっていくのに、食べ物にだけは妙にがっついていたから、それも気になって」
 淡々と説明していくすみれに、乾はぽかんとしていた。
「それで、とどめがその顔の傷。全てをつなげて考えると、そういうことなんじゃないかなって思って」
「……すごいな、風紀委員長は」
 すみれの推察を一通り聞いた乾は、乾いた笑みを漏らした。
「この際だから、全部話すよ」
 乾はそういうと、飲み物を一口飲んだ。
「私の家は、元々両親と私の三人家族だったの。だけど、父さんは中学生の時に亡くなっちゃって……それで、最近母さんが再婚したんだ」
 そういって、コップに視線を落とす乾。
「あの男、最初こそ優しくしてくれていたんだけど、ここ最近化けの皮がはがれてきたっていうのかな? ギャンブルと酒にどっぷりハマっちゃって、ちっとも働いてくれないの」
「……お母さんは働いていないの?」
「本当は働きたがっているんだけど……あの男が”お前が働くと、俺が甲斐性無しに思われるから”って言って、パートにさえ出してくれなくて……だから、全然お金もないから、文房具はおろか、食べ物も満足に無くって……」
 すみれの質問に、しゅんと答える乾。すると、今度は悠貴が口を開いた。
「その様子だと、乾さんのバイトも禁止されているのかな」
 悠貴の質問に、頷く乾。
「しかも、酒癖がすっごく悪くて……気に食わないとすぐに暴力を振るうし、何かしら物を投げつけてきたりするんだ……」
 だんだんと震え出す乾の声。すみれは、乾の隣に移動し、彼女の背中を優しくさすった。
「本当は、母さんも離婚したがって、いるんだけど……あの、男が……色んな物、私たちから……取り上げて……」
 涙をぽろぽろこぼしながら話す乾。二人は黙って聞いていた。
「國松さんに貰った、あの髪飾り……あれだって、あの男に”いい所のブランド品だ”ってバレた途端、取り上げられたの……売り飛ばして、金にするって言って……挙げ句の果てには、もっと貰ってこいって、言い出して……」
 すみれはこの話を聞いて納得した。何ですぐに乾はあの髪飾りを外したのだろうかと思っていたのだったが、そういう事情のせいかと。そして、六花に「もっと貰えないか」と聞いてきた事情も、こういう事だったのかと……
「でも、そんなの無理に決まっていてさ……今日、帰って”やっぱり貰えなかった”って言ったら、大激怒で……”この役立ずが、出て行け”って追い出されたの……」
 肩を揺らして涙を流す乾。すみれと悠貴は、お互いの顔を見合わせたあと、頷いた。
「ねぇ、乾さんさえ良ければ、今夜、うちに来る?」
 すみれがそういうと、乾は驚いた顔をしてこちらを見てきた。
「もし家に帰るのが怖ければ、うちに来ても大丈夫だよ?」
 すみれがそういうと、乾は俯いて考え込む。そして数秒後に、首を左右に振った。
「ありがとう、風紀委員長……でも、帰らないと、今度は母さんがあいつの犠牲になっちゃうから……」
 乾の健気な返事に、すみれと悠貴は心が痛くなった。しかし、今の自分たちでは何も出来ないと言い聞かせ、言葉を飲む。
「……折角だから、もうちょいポテト、頼もうか」
 悠貴はそういうと、追加のオーダーをするべく、呼び出しボタンを押した。



 その後は、乾が泣き止んで落ち着いた頃に解散となった。悠貴があえて多めに頼んだ為にポテトが余ったのだが、それを乾に持ち帰らせたのだ。
「すみれの読み通り、だったけど……」
「まさか、ここまでだったとはねぇ……」
 帰りの電車の中で、溜め息を付く悠貴とすみれ。
「乾さん自身の性格的な問題であれば、まだ俺たちでどうにかできるんだけど……」
 悠貴の言葉に、すみれは頷いた。
「家の問題となるとね……しかも、あれはどうみても明らかな虐待」
「こうなると、完全に大人の……っていうか、警察沙汰だなよ」
 すみれの呟きに同調するように、悠貴が言う。すると、すみれが「それだ!」と言って悠貴を指さした。
「そうだよ! ああいう場合は警察も介入できるはず……」
「そうなの? 民事不介入とかいう奴で、無理とか言わない?」
 悠貴の質問に、すみは少し考える。ちなみに、悠貴がいう”民事不介入”というのは、警察が容易に民事事件に介入してはいけない、という警察の原則である。
「……いや、大丈夫。今回の件、乾さんから見れば立派な虐待だし、お母さんから見ればDVにあたるよね」
 すみれの分析に、悠貴は「確かに」と頷く。
「虐待に関しては、国で”児童虐待の防止等に関する法律”という法律が、DVは”配偶者暴力防止法”という法律があるの。だから、警察も動けるはず」
 すみれはそういうと、スマホを取り出した。それを見て、悠貴は質問する。
「もしかして、家族に相談するの?」
 悠貴の質問に、すみれは真顔で頷いた。すみれの家族、こと南雲家は、すみれの祖父母、両親、兄とすみれの六人家族なのだが……高校生であるすみれ以外全員、警察官という、ザ・警察官一家なのである。ちなみに、祖父母に関しては「元警察官」が正しい言い方になるが……
「動くなら、乾さんに許可を得てからになるとは思うけど……先に話しておいた方が、色々と動きやすいでしょ?」
 すみれの話に、悠貴は「なるほど」と呟いた。この正義感の強さは、南雲家直伝の性格なんだろうな、などと思いながら。
「もし動くなら、俺も協力するよ」
 ふと、悠貴がそんなことを口にする。すると、すみれはきょとんとした顔で悠貴を見たが、すぐに笑顔になった。
「うん、ありがとう」
 すみれがお礼を言い終わると、最寄り駅に着いたというアナウンスが流れる。二人は急いで荷物をまとめ、電車を降りた。



 次の日の放課後。
 乾に事情を話し、了承を得た上で。すみれは、悠貴と乾、そして警察官の兄を連れて乾家の傍にいた。
「ありがとう、兄さん」
「いや、市民の安全を守るのが俺たちの仕事だからね」
 すみれがお礼を言うと、兄は微笑む。一方、悠貴は自分の隣にいる乾に声をかけた。
「……乾さん、心の準備は大丈夫?」
「うん、大丈夫……!」
 悠貴の質問に、気丈に振る舞ってみせる乾。しかし、声が震えており、緊張しているのが伝わってきた。
「それより、風紀委員長のお兄さん、警察だったんだね……」
 緊張をほぐすためなのか、話題を変えてきた乾。すると、悠貴は頷いた。
「ついでにいうと、すみれのご家族はみーんな、警察だよ」
「え!? まじで!?」
 悠貴の情報に、目を丸くする乾。すると、すみれの兄が乾の方に振り返った。
「乾さん、詳しく話してくれてありがとう。この後、君の家にお邪魔するんだけど……」
「はい、さっき学校で、風紀委員長……えっと、すみれちゃんから聞きました。私も一緒に行きます」
 乾の返事を聞いて、すみれの兄は優しい笑顔で頷く。
「ありがとう。怖いだろうし、辛いと思うけれども……君のことは何があっても俺が守るから、心配しないで欲しい」
 すみれの兄はそういうと、そっと乾の頭を優しく撫でる。すると、乾の頬がほんのり赤らんだ。
「あ、ありがとうございます……が、頑張ります……!」
「でも、無理はしないでね。俺の後ろにずっと隠れていても構わないからね?」
 こうして、すみれの兄と入念な打ち合わせをした上で、乾はすみれの兄と共に家に突撃した。すみれと悠貴は、近くからその様子を見守っていたのだが……
「……すみれ、大丈夫?」
 待っている途中、悠貴に声をかけられる。すみれは首を傾げた。
「まぁ、今日は大丈夫だとは思いたいんだけど……ほら、怒鳴り声とか、物音とか、さ……」
 悠貴がぽつりぽつりと言うと、すみれは「ああ」と呟いた。
「大丈夫。今日は兄さんもいるから、騒ごう物なら秒で取り押さえちゃう気がするし」
 すみれの発言に、お兄さん結構過激なのね、と思った悠貴。
「それに、警察が来てもなお、あそこまで暴れる人はそうそういないだろうし」
 そこまで話して、すみれは悠貴を見た。
「だから、今日は大丈夫。それから……」
 そこで不自然に言葉を切るすみれ。悠貴は首を傾げた。
「その……き、昨日は、ありがとね……」
 頬を赤らめて言うと、すみれはそっぽを向く。言われた瞬間、悠貴は何の事だろうかと思ったが、直後に思い出した。昨日、すみれが騒音に怯えているのを見て、つい――
(あ! そうだ! 俺、昨日、どさくさに紛れてすみれを抱き締めたんだった……!)
 思い出して、悠貴の顔も赤くなる。どうやら昨日の行動は、ほぼほぼ無意識だったようだ。
「お、おう……べ、別に……」
 必死に動揺を悟られぬように誤魔化すも、恥ずかしくてすみれが見られず、悠貴もそっぽを向く。そしてしばらく、お互いに無言の時間を過ごしていたが、そこに乾がやってきた。
「二人とも、お待たせ――って、どうしたの?」
 お互いに赤い顔をしてそっぽを向いているすみれと悠貴を見て、首を傾げる乾。すると、すみれと悠貴は「何でも無い!」と声を揃えて首を左右に振った。
「それより、どうなったの?」
 そして、話題を変えるようにすみれが尋ねる。すると、乾は笑顔を見せた。
「あいつ、風紀委員長のお兄さんの前でも暴れてさ……暴行罪で連行されることになったんだ」
「てことは……」
「そう! あいつと離れられる事になったんだ!」
 乾の話に、すみれも悠貴も「よかったね」と声をかける。
「ただね、これからが大変になると思うって、風紀委員長のお兄さんに言われたんだ……まぁ、薄々予想はついていたけどね」
 乾はそういうと、少しだけ肩を落とした。
「だけど、これであいつから解放される訳だから、頑張るよ!」
「うん、そのいきだよ、乾さん!」
 乾にエールを送るすみれ。
「そしたら、学校にも話をしておいた方が良いかもしれないね。何かあれば、生徒会も全力で支援するから」
「ありがとう、会長!」
 悠貴に満面の笑みで答える乾を見て、すみれも悠貴も安堵の息をついた。



 ……あれからしばらくして。
 乾が人の物を貰いたがる事は、すっかりなくなった。食べ物を貰うこともなくなり、以前にも増して明るくなった。ちなみにその後、乾の母は再婚相手と離婚し、母子二人で生活していく事になったという。母親は今まで禁止されていた仕事に出られるようになり、乾もアルバイトを始めたそうだ。
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