丸いサイコロ
過去

11.今日と未来以外は、すべてぼくの昨日

「わかった、えーっと……」

時間を稼ぎながら、ぼくは、静かに、集中する。

話すための準備をする。ゆっくりと思い返すのだ。見ているビデオの内容を、誰かに実況するみたいに。どんな風に伝えればいいだろう。
まとまらないうちに話すことも出来るが、そうすると
『──あ、今歩いてる、ドアが開いた。芝生が湿ってるから、雨が降ってたんだな。草のにおいだ。鳥がいる。ボールだ。人が来た』という具合になって、全く伝わらないのだ。
小学生の頃は、よくこれで痛い目を見た。クラスからのイメージが変人になる程度に。

あんまり必要ないが、とりあえず、区切りに深呼吸してみた。
……苦しい。吸いすぎた気がする。

「もう、大丈夫?」

まつりが聞いてきた。
ケイガちゃんは、洗面所に向かったらしい。
コウカさんは消毒液を片付けている。

「少し、長くなるけど」

ぼくは前置きをする。
それから、ゆっくりと語る。  


   □

その頃、ぼくは、家がつまらなかった。
家族との関わりかたもよくわからないままだった。《遊んで》もらっても、そんなに楽しいとは思わなかった。どうせ、それは、《しつけ》や《実験》と同じなのだから。

年齢が二桁にも満たない小さな頃から、よく、勝手に外に出るようになった。もちろん、学校の用事以外では、勝手に外に出るなよ、と常に言われていたからだ。
監視をすり抜けて、半袖や、薄いシャツを着て出掛ける。これもその服装で出るなと言われていたから。だけど、本当の、一番の理由は――――誰も、その言い付けのわけを言おうとしなかったから。
……いいや、違う。それ自体ではない。

ぼくが一言で表すならそうしてしまうが、ただ言い付けた、のであって、それには理由があるほど、良いとか悪いとかが、無いように思えたから。

外に出ても、お金もあまり持っていなかったし、何がしたかったのか、わからない。ただ、歩くだけで自由を感じた。幸せだった。


その度に、誘拐されたらどうするの、と帰って来ると母にすごく怒られていたが、それは後々の風評被害が面倒だから、というくらいに聞こえたし、むしろ、ここから出ていきたいな、とぼくは思っていた。



そんな家があるお向かいさんには、お屋敷があって、結構大きくて、家とは仲が悪かった。
『財産がな、あちらの方ばっかりに多く流れたんだよ。本当はこちらの分だったのに』

たまに帰ってくる父は、いつも忌々しげにそう言って、屋敷を睨んでいた。母も、屋敷を嫌っていた。

ぼくは、興味を引かれた。家族が、とてつもなく嫌うほどの何かがあるお屋敷は、ぼくと似ている、と勝手に思ったのだ。

いつの間にか、自然と、足が向いて、お屋敷に出掛けるようになったのは、もちろん、ぼくが《悪い子》だったからだ。
少なくとも、いい人ではない。


そしてぼくは──お屋敷の壁に、ボールを目一杯ぶつけている、そいつに出会う。だが、その辺は省略。

──その日は、そいつは、いつもの壁のそばに、いなかった。



──少しそれるが、ここで、そのときの、普段、のことを。

(注釈だが、ぼくは、建物だけでなく、敷地を含めて、その範囲すべてを、お屋敷、と呼んでいた。そのときのぼくが入ったことがあるのは、庭だけだ)

普段は、庭に入ったらすぐに見える壁のそばに、いつでもそいつがいて、いつもボールを持っていた。子どもの手には大きいが、大人にはやや小さめな、柔らかい物だ。


 ボールが好きなわけではない、らしかったが、出会ってからも、いつも持っていた。ぼくにとっては、凶器の意味合いが強くなってしまって、あまり好きじゃなくて、眉を寄せていたが、まつりは常に手に抱えていた。

気遣いが無いなんて思ったりはしなかったのだが、あまりにいつも持っているので気になって、ある日聞いてみると、これが、そいつなりの考えのひとつだった。

これが転がったとかなんとか言えば、うまい言い訳になるだろう、と。それを聞いて、ぼくは笑った。あんなに愉快なのは、初めてだったと思う。自分の解釈だけで済まさずに、聞いてみる、というのは案外大事なのかもしれないとも思った。



まつりの家も、ぼくの家とは仲が良くない。
と、いうか、聞いたところでは、ちょっと見下している感じのようだった。二つの家に何があったのかは、はっきりとはわからない。

――だが、とにかく、あまり触れると良くないことのようだから、ぼくらも、それなりに、子どもらしさを意識しながら、子どもらしい範囲で、日常では気を使い、知恵を絞っていたのだ。

信じてもらえる、というのは内容の真実性も確かに重要かもしれないが《外から判断できる個人の設定に、見合った範囲内》という方が、それよりも大きい、強い影響力であると、ぼくは考えていた。まつりはどうだったのだろう。《ボール》は、そういう意味では、それらしい理由だったのだと思う。


しかし、それが使えるのは一度切りじゃないか、と思った。まつりと出会ってから、ぼくは、更に、外に出るのが好きになっていたからそれを失うのは、酷く残念なことだった。まつりは言った。


『そのときは、まあ、逃げようか』



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