丸いサイコロ
「あ、間違えた……忘れて」
聞き返すと、申し訳なさそうに、失言だったと、まつりは苦笑いして、それはそれで少しだけ、切なくなった。ほら、やっぱり、誤魔化しているだけじゃないか。
「……そんな顔をするから、嫌なんだよ」
まつりは、困ったように笑って、ぼくを見ていた。
他に、どうしようもないという感じで、肩をすくめる。
確かに、ぼくのことをあまり思いだせないからといっても、ぼくにできることなんて何もないし、あいつにできることもないだろう。話を切り替える。
「お前さ、あの、静かな方のコウカさんのことも、最初は覚えていなかっただろ」
「……、……なんで?」
「いや、なんとなく、だけど。お前が知り合いに優しいわけがないっていうか」
「失礼な」
「手当てしようとしていたけど、お前、大人しくしてたし」
「何歳だと思ってるんだ……そこだけ言うなら、違う。別に、耐えるくらい出来る。いやさ確かめたいことがあったんだよ。食堂にさ、二番目の部屋の救急箱があったのは、やっぱりおかしいなと」
頭の中で、映像を作り出す。再現する。目の前にあるみたいな、食堂。
「──ああ、そのあとも、彼女は食堂に、大事にしまってたな。あそこにあるもんだと思ってしまっているように見えた……ぼくらが帰ってから、または最近、ここに彼女も住んでいたのかな? 救急箱の場所も迷わなかったし……」
「……まあ、手当てなんてしてないんだけどね。彼女がやったのは、使えなくなった装置を抜き取ったりする、くらいかな……」
「おいおい。みんなで劇団でも作ったのか?」
にらまれた。
「……違うよ。それは楽しそうだけど。『ヒビキちゃんは、こちら側に殺意を持っていて、このままだと非行に走りかねない。そこで、ちょっと脅かします。小さい子なのでちょっと驚かすのは余裕ですよ』とか言っていただけだよ。きみへのヒントは、そこだったんだけどなあ」
果たしてその通りの言い方なのか、そもそもそんなことがあったかはぼくには確かめられないが、そんな感じの作戦に彼女が本気で乗っていたなら、なんていうか……なんだかなあ。
っていうか楽しそうかな。鬼畜で悪魔な監督と、気まぐれな劇団員の図を想定する。こわい。頭の隅で、まつりのセリフが聞こえていた。
なんていうか、真面目に受けとるべきか冗談なのかもわからない話が、暇なのかぐたぐだと続いていたが(普段は手短にするタイプだ)、しかしぼくは半分くらい意識が違う方に向いていた。最初の場面から、巻き直して、ぼくは考える。
……えーっと、食堂にコウカさんが慌てて入ってきて。
『やめて! その人は……その人は、本当は、エイカを追い詰めた人物じゃない!』
本当は。
『……エイカって、誰? 本当は、エイカっていうの? 《双子のお姉ちゃん》。ねぇ、《双子のお姉ちゃん》はどこ? あなた、双子のお姉ちゃんの妹?』
また、本当は。
『ケイガちゃんがまだ、保育園にいるくらいのとき、エイカのことを、双子のお姉ちゃん、と慕っていたみたい。
――その頃、私はある人たちに、囚われたり、いろいろとあったから、詳しくわからないんだけど』
コウカさんが『ケイガちゃん』と、違和感なく呼んでいた。ヒビキちゃんは、あの人の名前は《本当は》エイカって言うのかと、聞いた。
はっとして起き上がると、口に出した自分の声が、やけにはっきり聞こえた。
「──ヒビキちゃんは……ケイガって呼ぶように言われていたか、間違えて呼ばれていることが、あったんじゃないかな。それはたぶん、榎左記さんの娘の名前だったんだ」
「……突然どうして、そんなことを」
「ちょっと前に、兄に聞いたんだよ。三姉妹の母親の名前だったけど、その名前をもらった、小さな子の話をね」