ノート
「木瀬野さん、俺、家出してみたかったんです」
木瀬野さんは、うん、と優しく頷いた。
「もう、未練ないなってくらいに、いろんなこと、したくて……だから嬉しいです」
ここに来た目的は明確には家出ではなかった。
けれど、嬉しいのは本当だ。
少し眠くなっていたのもあり、そのあと少しテーブルに突っ伏してうとうとしていた。
ピザも食べたからかリラックスしてしまうし、なんだかここは落ち着く。
木瀬野さんが少し席を立ってから、どこかから沢山スケッチブックを抱えて戻ってきた。
それは今日の目的だったりする。
「わあ、ありがとうございます!」
「あんまりちゃんと見られるもの、無いけどね」
部活にも役立つかもしれない、と小さな工具箱に沢山入ったビーズやシーグラスも見せてくれた。 きっかけというのは、
俺たちが出会って沢山話をしたときに、偶然部活の話になったこと。
「もう、描かないんですか」
木瀬野さんは、寂しそうに笑った。
スケッチブックの一番近くに手にとったのを開く。中は彼の性格の現れるような繊細なスケッチがあった。
「忙しくて、やめてしまったから。僕はそんなのばかりだったな。
必死に勉強したことも、周りから反対されて一度それを貫けなかった。今も、後悔している」
木瀬野さんのことを知りたいという俺の願いは、こうして少し叶った。
なのになんだか、楽しいより先に胸が苦しくなる感じだ。ノートのことを思い出す。
今は調子がいいと思ってもなるべく記録を付けていない。そこに書くこと自体が思い出してストレスになってしまうから無理はしなかった。
でも、知らない環境が、不安だったのかもしれなくて、ぼーっと二人で本を読んだりスケッチブックを見ていた合間合間で、なっちゃんや河辺のことが頭に過った。
気にしないようにと意識しても、
今度は姉を思い出す。
「いなくなれ」 と、何度も俺に叫んでいた。
スケッチブックを広げてノートを思い出したことに気がついた俺は、慌ててそこから離れた。
自分から言っておいて、なにをしているんだという気になって、申し訳なくて、泣きたくなってくる。
紙の束を開いて閉じるだけの動作が、俺を苛んでいるみたいだ。自分の人生が全部空虚な作り物だったような途方もない気分がまたおそってきた。
怖くて木瀬野さんにしがみつくと、どうかしたの?と言いながら抱き返してくれた。
「……少し」
「はい?」
「少しこうしてて欲しい、です」
木瀬野さんの腕の中は力強くて、でも優しい。
恋人でもないのに。
その言葉を、ひたすら頭の中で繰り返す。
恋人でもないのに。
でも、俺はたぶん、一番大事な人がいたなら、そいつには弱いところを見せられないと思う。
弱いところを見せないと、相手は信じてくれない、好きになってくれない。信頼しないだろう。
俺と木瀬野さんがこうしていたら、きっと恋人みたいに見える。
頭のなかが、整理できない。
怖いだけなんだ。
わけがわからなくて、好きな人に見せられない弱さを見せているだけ。
俺はとてつもなく、弱くてちょっとしたことで何もわからなくなって怯えてしまうから。
「ごめんなさい……」
何に対してなのかわからないけど泣きたくなった。とても悲しい。
「ごめんなさい、俺」
木瀬野さんは、わかってるよという風に俺を抱き締めて、そのまま顔が見えない状態で呟く。
近すぎなくて遠くなくて、他人よりは少し踏み込んだような、ちょうどいい距離の誰かが居てくれないと、もうまともに自我を保つことが出来なくて、ただ怖い。
「利用している、なんて、思わないで」
木瀬野さんは、そんなことを言った。
「カウンセラーになりたかったときもあるからさ。そう、治療の一貫みたいに、僕といるときは、カウンセリングだって、思ってよ」
おどけたように言われて、必死に笑顔を作った俺は、なんとか泣かないでその優しさにこたえた。
嬉しかったから。
「なりたいもの、いっぱいあるんですね」
いいなぁ。
夜は鍋をごちそうになってから、泊まっていけばいいという誘いを断って、家に帰ることにした。
誰と居ても苦しかったのはきっと、「他の人はこんな目に合ってない」
という負い目があるからだ。
木瀬野さんと会話していても、だんだん辛くなり、どことなくイライラし始めた俺は最低だと思う。
ただ、それを出さないように頑張ったのは、傷つけたくないからだし、それだけは自分でも褒めてやりたい。
こんな調子じゃ、誰と居ることもできそうにない。
たまらなく自己嫌悪に陥ると、消えてなくなってしまいたいようだった。 姉のように泣いて叫べたらいいのにと思うことがある。
旅行を楽しいと思うタイプの人間だったらいいのにと思うときもある。
きっとディズニーランドに行こうとUSJに行こうと今の俺は、崩れ落ちておかしくなってしまうだろう。
ジェットコースターに乗ってる途中で、降りて帰りたいと泣き出すかもしれない。さすがにないかもしれないが、笑えない冗談ではあった。
端的に言うなら、いても迷惑。
元気なときの俺だったら、なっちゃんから好きだと言われたって普通にありがたがったかもしれない。
河辺になにか言われようが適当にあはははと笑っておしまいだったかもしれない。
こんなに悩んだことが、いくつあったというのだろう。
自分自身がわからないと、こんなにも苦しいんだなという驚きと、それをどうやって知ろうかという模索の間で、生涯消えることのない不安や孤独感について考える。
やさしくなれない、明るくなれない、温厚になれない俺には、
いったいなんの価値があるというのだ。
「まっ、価値なんか知らないけどさ」
道端に置いてある、居酒屋のたぬきの置物の頭を撫でて、暗い夜道を歩く。
横目に、夜の海が見える。
誰かの笑い声がする。
楽しそうだ。
俺も、酒でも飲んでみようかなと考えたけど、まだ身体が成長する望みがある以上、飲むのはやめた。
なにもかも気にしなくていいような、夢中になれる物がほしかった。
次の日は休みだったので、家に居た。
起きて着替えたあと、ふと、飯を作る気になった。夢中になるものがぱっと浮かばないから沢山趣味を持っておけばよかったなと少し後悔したけど、料理も試してみていいかもしれないと感じたから。
ソースをぐつぐつ煮込んで、時間をかけてグラタンを作る。
なかなか楽しかったけど真夏に冷房がない部屋で熱々をつくったので、出来たときには食う気がしなかった。
部屋で昔読んでいた小説を開いてみたが一気に吐き気が込み上げて、身体が強張った。
グラタン作りもあって、熱中症と、本を開いた恐怖が一緒にやってきて、洗面所で吐いた。
「俺は、なにを、してるんでしょうか……」
自力でなにひとつできないような、いやな気持ちに苛まれて何もかも嫌になる。
昔好きだったアーティストの曲を無理矢理流したらただうるさかった。
明るい言葉で、説教されてるみたいに感じて、なんでそんなこと言われなきゃならないんだと思った自分が不快だった。
そのあと、部屋を掃除した。物が倒れたりして余計いらいらした。
あぁ、何をやっても、楽しくない。
冷静になれていないのだとわかっている。ノートに書く習慣を減らしただけで、自分がどんな風に生活してきたのかも、まともに考えられなくなっている。
習慣が無くなった人間がリズムを崩すというのは、よくあることらしい。
例えば兵役から帰った人。退職したサラリーマンやOLやいろんな職業の人……
仕事、が作っていたリズムのために、寝て起きていたのにそれがなくなることでおかしくなってしまうことが、燃え付き症候群とか言われているようだった。
暑いんだか寒いんだか、眠いんだか眠くないんだか、頭が働こうとしなくて、俺はガクガクと震えながら手当たりしだい、物を床に投げた。
わけがわからない。
なんにもわからない。
そのタイミングで携帯にメールが来た。河辺からで、動画と写真が添付されていた。
俺が叫んで物を投げるようなのを盗撮した内容。それとゴリラの画像が比較するようにならんでついている。こんなの送ってきて、どうするんだろうか。
窓から画質の良いレンズで撮っているらしくて、まるでスパイ映画かなにかみたいだ。
「あはははは! あはははっ!」
ドアの前で、河辺の声がした。気のせいか姉の声もした気がする。
慌てて外に出ると、外に河辺はいなくて、代わりに怖そうな黒い服の男が立っていた。
そして、にやー、っとこちらを見て笑っていた。
黒い人は遠くにも数人いたのが見えて、俺は近くで葬式でもしてたんだろうかと純粋に考える。
こういうときは親指を隠すんだった気がする。
ドアを慌てて閉めた後で、何か楽しかったことは無かったかなと考えた。
ぼーっと、木瀬野さんにメールを打った。
「寂しいです。理由はわからないけど」
無気力でもない、でも、楽しいとか嬉しいとかが何をしても見つからない。
それが気持ちが悪くて、でも何をしたら楽しいかわからないから寂しくてなにが理由なんだろうと、怖かった。
すぐ返事が来て、焦った手で慌てて開いた。
「僕は、そばにいるよ」
優しい言葉。
河辺のときと変わらないようなことをしてることに、あとで気がついた。
前はそれでも気が紛れたんだ。
なのに今は違ってて言葉だけ、もらってもやっぱりダメだ。考えるほど余計に悲しくて怖くて寂しくなってしまうことに気が付く。涙がぼろぼろと溢れる。胸が痛い。近くにあったハサミで、腕を強く引っ掻いた。
だらーっと血が流れてきて、案外深くしたことに気がついたけど別にどうでもいい。
二階の窓を開けて、下を眺めてみる。
車が下の道路を走っている。
……この高さじゃ、せいぜい骨折か。
うまくいかなかったときを考えて飛び降りるのはやめた。
腕がヒリヒリしていることがなんだか急に恥ずかしく感じてきて慌ててテープを貼ってから、ただぼーっと床に座るだけで三時間くらい過ごして、眠くなったら少し寝る。
すごく時間を浪費して、変な罪悪感にとらわれる。
自分がいったいなんだったか思い出せない。
寝ていたら、時々声がした。
人が暴れまわる音がした。
『秋のことが好きだから、こうするんだ!!』わかってくれ、と誰かが俺に馬乗りになって首を締め上げている。
冷や汗をかきながら目を覚まして、グラタンを食べた。
少し涼しくなってから改めて食べたら、普通に美味しい。
二回、三回、それ以上はやめたけど木瀬野さんにメールを打った。
「寂しいです」と、書いて消してから「夏にグラタンも美味しいですね」と書き直す。
重いかもしれない。
気持ち悪いかもしれない。何を書いてもなんだかそんな気がしたけど書いた。
その次は「この前は、ありがとうございました。また機会があったらお願いします」
そのあと、また、じっと床にすわっていた。
不安になったときは、目を閉じて寝ようとした。そしたら怖いものを見そうになった。
自分の動画は消した。
「暇だなぁ」
誰にともなく呟いて、それからまた泣きたくなるけれど、死ぬと決めたんだから嘆いてばかりもいられないんだと思い直す。
攻撃したり、脅したりしたってどうせ死ぬから。
木瀬野さんは、うん、と優しく頷いた。
「もう、未練ないなってくらいに、いろんなこと、したくて……だから嬉しいです」
ここに来た目的は明確には家出ではなかった。
けれど、嬉しいのは本当だ。
少し眠くなっていたのもあり、そのあと少しテーブルに突っ伏してうとうとしていた。
ピザも食べたからかリラックスしてしまうし、なんだかここは落ち着く。
木瀬野さんが少し席を立ってから、どこかから沢山スケッチブックを抱えて戻ってきた。
それは今日の目的だったりする。
「わあ、ありがとうございます!」
「あんまりちゃんと見られるもの、無いけどね」
部活にも役立つかもしれない、と小さな工具箱に沢山入ったビーズやシーグラスも見せてくれた。 きっかけというのは、
俺たちが出会って沢山話をしたときに、偶然部活の話になったこと。
「もう、描かないんですか」
木瀬野さんは、寂しそうに笑った。
スケッチブックの一番近くに手にとったのを開く。中は彼の性格の現れるような繊細なスケッチがあった。
「忙しくて、やめてしまったから。僕はそんなのばかりだったな。
必死に勉強したことも、周りから反対されて一度それを貫けなかった。今も、後悔している」
木瀬野さんのことを知りたいという俺の願いは、こうして少し叶った。
なのになんだか、楽しいより先に胸が苦しくなる感じだ。ノートのことを思い出す。
今は調子がいいと思ってもなるべく記録を付けていない。そこに書くこと自体が思い出してストレスになってしまうから無理はしなかった。
でも、知らない環境が、不安だったのかもしれなくて、ぼーっと二人で本を読んだりスケッチブックを見ていた合間合間で、なっちゃんや河辺のことが頭に過った。
気にしないようにと意識しても、
今度は姉を思い出す。
「いなくなれ」 と、何度も俺に叫んでいた。
スケッチブックを広げてノートを思い出したことに気がついた俺は、慌ててそこから離れた。
自分から言っておいて、なにをしているんだという気になって、申し訳なくて、泣きたくなってくる。
紙の束を開いて閉じるだけの動作が、俺を苛んでいるみたいだ。自分の人生が全部空虚な作り物だったような途方もない気分がまたおそってきた。
怖くて木瀬野さんにしがみつくと、どうかしたの?と言いながら抱き返してくれた。
「……少し」
「はい?」
「少しこうしてて欲しい、です」
木瀬野さんの腕の中は力強くて、でも優しい。
恋人でもないのに。
その言葉を、ひたすら頭の中で繰り返す。
恋人でもないのに。
でも、俺はたぶん、一番大事な人がいたなら、そいつには弱いところを見せられないと思う。
弱いところを見せないと、相手は信じてくれない、好きになってくれない。信頼しないだろう。
俺と木瀬野さんがこうしていたら、きっと恋人みたいに見える。
頭のなかが、整理できない。
怖いだけなんだ。
わけがわからなくて、好きな人に見せられない弱さを見せているだけ。
俺はとてつもなく、弱くてちょっとしたことで何もわからなくなって怯えてしまうから。
「ごめんなさい……」
何に対してなのかわからないけど泣きたくなった。とても悲しい。
「ごめんなさい、俺」
木瀬野さんは、わかってるよという風に俺を抱き締めて、そのまま顔が見えない状態で呟く。
近すぎなくて遠くなくて、他人よりは少し踏み込んだような、ちょうどいい距離の誰かが居てくれないと、もうまともに自我を保つことが出来なくて、ただ怖い。
「利用している、なんて、思わないで」
木瀬野さんは、そんなことを言った。
「カウンセラーになりたかったときもあるからさ。そう、治療の一貫みたいに、僕といるときは、カウンセリングだって、思ってよ」
おどけたように言われて、必死に笑顔を作った俺は、なんとか泣かないでその優しさにこたえた。
嬉しかったから。
「なりたいもの、いっぱいあるんですね」
いいなぁ。
夜は鍋をごちそうになってから、泊まっていけばいいという誘いを断って、家に帰ることにした。
誰と居ても苦しかったのはきっと、「他の人はこんな目に合ってない」
という負い目があるからだ。
木瀬野さんと会話していても、だんだん辛くなり、どことなくイライラし始めた俺は最低だと思う。
ただ、それを出さないように頑張ったのは、傷つけたくないからだし、それだけは自分でも褒めてやりたい。
こんな調子じゃ、誰と居ることもできそうにない。
たまらなく自己嫌悪に陥ると、消えてなくなってしまいたいようだった。 姉のように泣いて叫べたらいいのにと思うことがある。
旅行を楽しいと思うタイプの人間だったらいいのにと思うときもある。
きっとディズニーランドに行こうとUSJに行こうと今の俺は、崩れ落ちておかしくなってしまうだろう。
ジェットコースターに乗ってる途中で、降りて帰りたいと泣き出すかもしれない。さすがにないかもしれないが、笑えない冗談ではあった。
端的に言うなら、いても迷惑。
元気なときの俺だったら、なっちゃんから好きだと言われたって普通にありがたがったかもしれない。
河辺になにか言われようが適当にあはははと笑っておしまいだったかもしれない。
こんなに悩んだことが、いくつあったというのだろう。
自分自身がわからないと、こんなにも苦しいんだなという驚きと、それをどうやって知ろうかという模索の間で、生涯消えることのない不安や孤独感について考える。
やさしくなれない、明るくなれない、温厚になれない俺には、
いったいなんの価値があるというのだ。
「まっ、価値なんか知らないけどさ」
道端に置いてある、居酒屋のたぬきの置物の頭を撫でて、暗い夜道を歩く。
横目に、夜の海が見える。
誰かの笑い声がする。
楽しそうだ。
俺も、酒でも飲んでみようかなと考えたけど、まだ身体が成長する望みがある以上、飲むのはやめた。
なにもかも気にしなくていいような、夢中になれる物がほしかった。
次の日は休みだったので、家に居た。
起きて着替えたあと、ふと、飯を作る気になった。夢中になるものがぱっと浮かばないから沢山趣味を持っておけばよかったなと少し後悔したけど、料理も試してみていいかもしれないと感じたから。
ソースをぐつぐつ煮込んで、時間をかけてグラタンを作る。
なかなか楽しかったけど真夏に冷房がない部屋で熱々をつくったので、出来たときには食う気がしなかった。
部屋で昔読んでいた小説を開いてみたが一気に吐き気が込み上げて、身体が強張った。
グラタン作りもあって、熱中症と、本を開いた恐怖が一緒にやってきて、洗面所で吐いた。
「俺は、なにを、してるんでしょうか……」
自力でなにひとつできないような、いやな気持ちに苛まれて何もかも嫌になる。
昔好きだったアーティストの曲を無理矢理流したらただうるさかった。
明るい言葉で、説教されてるみたいに感じて、なんでそんなこと言われなきゃならないんだと思った自分が不快だった。
そのあと、部屋を掃除した。物が倒れたりして余計いらいらした。
あぁ、何をやっても、楽しくない。
冷静になれていないのだとわかっている。ノートに書く習慣を減らしただけで、自分がどんな風に生活してきたのかも、まともに考えられなくなっている。
習慣が無くなった人間がリズムを崩すというのは、よくあることらしい。
例えば兵役から帰った人。退職したサラリーマンやOLやいろんな職業の人……
仕事、が作っていたリズムのために、寝て起きていたのにそれがなくなることでおかしくなってしまうことが、燃え付き症候群とか言われているようだった。
暑いんだか寒いんだか、眠いんだか眠くないんだか、頭が働こうとしなくて、俺はガクガクと震えながら手当たりしだい、物を床に投げた。
わけがわからない。
なんにもわからない。
そのタイミングで携帯にメールが来た。河辺からで、動画と写真が添付されていた。
俺が叫んで物を投げるようなのを盗撮した内容。それとゴリラの画像が比較するようにならんでついている。こんなの送ってきて、どうするんだろうか。
窓から画質の良いレンズで撮っているらしくて、まるでスパイ映画かなにかみたいだ。
「あはははは! あはははっ!」
ドアの前で、河辺の声がした。気のせいか姉の声もした気がする。
慌てて外に出ると、外に河辺はいなくて、代わりに怖そうな黒い服の男が立っていた。
そして、にやー、っとこちらを見て笑っていた。
黒い人は遠くにも数人いたのが見えて、俺は近くで葬式でもしてたんだろうかと純粋に考える。
こういうときは親指を隠すんだった気がする。
ドアを慌てて閉めた後で、何か楽しかったことは無かったかなと考えた。
ぼーっと、木瀬野さんにメールを打った。
「寂しいです。理由はわからないけど」
無気力でもない、でも、楽しいとか嬉しいとかが何をしても見つからない。
それが気持ちが悪くて、でも何をしたら楽しいかわからないから寂しくてなにが理由なんだろうと、怖かった。
すぐ返事が来て、焦った手で慌てて開いた。
「僕は、そばにいるよ」
優しい言葉。
河辺のときと変わらないようなことをしてることに、あとで気がついた。
前はそれでも気が紛れたんだ。
なのに今は違ってて言葉だけ、もらってもやっぱりダメだ。考えるほど余計に悲しくて怖くて寂しくなってしまうことに気が付く。涙がぼろぼろと溢れる。胸が痛い。近くにあったハサミで、腕を強く引っ掻いた。
だらーっと血が流れてきて、案外深くしたことに気がついたけど別にどうでもいい。
二階の窓を開けて、下を眺めてみる。
車が下の道路を走っている。
……この高さじゃ、せいぜい骨折か。
うまくいかなかったときを考えて飛び降りるのはやめた。
腕がヒリヒリしていることがなんだか急に恥ずかしく感じてきて慌ててテープを貼ってから、ただぼーっと床に座るだけで三時間くらい過ごして、眠くなったら少し寝る。
すごく時間を浪費して、変な罪悪感にとらわれる。
自分がいったいなんだったか思い出せない。
寝ていたら、時々声がした。
人が暴れまわる音がした。
『秋のことが好きだから、こうするんだ!!』わかってくれ、と誰かが俺に馬乗りになって首を締め上げている。
冷や汗をかきながら目を覚まして、グラタンを食べた。
少し涼しくなってから改めて食べたら、普通に美味しい。
二回、三回、それ以上はやめたけど木瀬野さんにメールを打った。
「寂しいです」と、書いて消してから「夏にグラタンも美味しいですね」と書き直す。
重いかもしれない。
気持ち悪いかもしれない。何を書いてもなんだかそんな気がしたけど書いた。
その次は「この前は、ありがとうございました。また機会があったらお願いします」
そのあと、また、じっと床にすわっていた。
不安になったときは、目を閉じて寝ようとした。そしたら怖いものを見そうになった。
自分の動画は消した。
「暇だなぁ」
誰にともなく呟いて、それからまた泣きたくなるけれど、死ぬと決めたんだから嘆いてばかりもいられないんだと思い直す。
攻撃したり、脅したりしたってどうせ死ぬから。