ショウワな僕とレイワな私
1945年3月。清士は日本から少し南の島国にいた。ここは野戦病院である。

「ったく、あの坊ちゃんも大変なもんだなあ。帝国大の法科生らしいが、なあ。」

外は騒がしいが、軍医であろうか近くで小声の話し声が聞こえる。

「噂によると特幹(とっかん)*になる予定が人事部のナントカってのがこちらに回せと言ったらしいぜ。しかし、この調子だと嫌われたかなあ。大学で英国法をやっとったらしいからなあ」
*特幹(とっかん): 特別幹部候補生。

「もう5年早く入隊したら近衛(このえ)兵でもやっとったんじゃないですか。見てくださいよ、まるでこの只今(ただいま)削り上げたばかりの鉛筆と言わんばかりの整った顔を」

きっと今頃これを言った軍医は、もう一人の軍医にその鉛筆を見せているのだろう。

「しかし検査で嫌われたならば、いくら造形が良くとも戦場()きだろう」

清士は長男であったが、徴兵検査の時の面接官にひどく英国嫌いな軍人がいたらしく軍学校を経ず実際に戦地で経験を積む「乙種幹部候補生」に分類され、入隊前の試験の成績が良かったためか指揮能力があると見られ、部隊の物資調達を担う輜重(しちょう)兵として戦地へ(おもむ)くことになった。それからというもの、海に囲まれた島の上で野原でもジャングルでも構わず駆け巡ったのである。時にゲリラ兵士だと思われる銃声が聞こえたり、戦況が悪化してからは飛行機や砲弾も飛んできたりするようになった。清士はそれで怪我をしたこともあったが、どうにか生き延びていた。しかし、突然高熱を出し野戦病院へ運ばれてきたのである。ジャングルの中で記憶が途絶え、気が付いたらベッドの上に横たわっていた。

「キニーネ、まだ残ってたかなあ」

二人いた軍医のうち片方が離れていき、しばらくして戻ってくるのが聞こえる。

「残数ありません」

「そうか、もう……しかしまあこの人数だからなあ」

軍医たちがため息をついて離れていくのが聞こえた。

清士はそれから2日ほどは関節痛や頭痛はあったものの熱はなく元気にしていたが、ある日の朝、再び高熱に襲われた。暑いなあと思ったその次の瞬間には意識が薄れていった。

「キニーネはまだ入っとらんのか」

これが清士の聴いた最後の言葉である。外は蒸し暑ささえあったものの、すっきりと晴れた空であった。

─「キニーネが十分に残っていれば、この人も助かったかも分からんなあ」

軍医はそっと手を合わせる。キニーネは蚊による感染症に使われる薬品であったが、戦況の悪化に伴い軍需品や医薬品の物流も鈍化し、感染者が相次いだこともあって薬は底をついていた。
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