貴方の残り香〜君の香りを狂おしいほど求め、恋しく苦しい〜
初めて知るかれのこと
 とうとうこの日がやってきた……。いつも通りでいいと言われたものの、真梨子はどこか心許ない。

 仕事柄、話をするのは苦手ではないが、得意というわけでもない。初対面の人なら尚更だった。

 とりあえずツイードのワンピースを着てから姿見の前に立ち、思わずため息をつく。これで大丈夫かしら……。

 そんな真梨子を笑顔で見守っていた譲は、彼女の背後に回って肩を叩く。

「緊張してる?」
「……当たり前じゃない」

 口を尖らせた様子がツボに入ったのか、譲は突然吹き出した。

「このギャップがたまらないんだよなぁ。ちゃんとそばにいるからさ、安心して」
「……絶対よ」
「もちろん」

 その言葉だけで、緊張が少し解けていくようだった。

* * * *

 譲に連れて来られたのは、よくテレビでも取り上げられている割烹だった。家が料亭だからこそ、この店の凄さも知っていた。

 しかし扉を開けた途端、
「あけおめ〜! 久しぶりだなぁ!」
と普通の会話が飛び交い、真梨子はどこか拍子抜けした。

「元気だったか?」
「まぁぼちぼちな。お前らは?」
「こっちもぼちぼちだよ」

 扉を抜けると小上がりの先に、受付と絨毯張りの廊下が伸びる。靴を脱いだ二人は、店の人間らしい人物の後について、二階への階段を上がっていく。

 廊下を挟んで両脇に襖がある。どうやらこのフロアは二つの大広間があるらしい。その右側の部屋からは賑やかな声が聞こえる。

 案の定、そちらの部屋に誘導された。襖を開けると、中にいた十人ほどの男女が歓喜の声を上げる。

「おーっ! 譲じゃん!」
「聞いたぞ、で戻ったんだって?」
「ただ独身に戻っただけだよ」
「同じじゃんか〜」

 そんな会話をしていた譲の友人たちが、彼の後ろで縮こまっている真梨子を見つけ、驚いたように口を開けた。

「お、お前……離婚したと思ったら、もう次の女がいるのか⁈」
「そういう下世話な言い方はやめてくれ。彼女は俺の大事な人だから」

 そう言うと、真梨子の腰を抱いて引き寄せる。

「真梨子、こいつらが俺の悪ガキ仲間。名前は……まぁ今はいっか」

 突然紹介されたものだから、真梨子は慌てて頭を下げる。

「今日は大事な会にお邪魔させていただきありがとうございます。よろしくお願いします」

 しかし真梨子が顔を上げると、その場にいた全員が凍りついたかのように動かなくなる。

「真梨子……さん?」
「あっ、はい、そうです」

 口をあんぐり開けたままの友人たちに言われ、真梨子は首を傾げた。

「まさか……あの真梨子さん?」
「あの……譲がクラブでナンパした後、ハマっちゃった真梨子さん?」

 すると譲が満面の笑みで頷く。

「やっと付き合えることになったんだ。《《今後》》もよろしくな」

 その途端、歓喜の声が沸いたため、真梨子は驚いて飛び上がった。
 
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