造花街・吉原の陰謀

11:春の訪れ

 もうすぐ花が咲く季節がやってくる。それでもまだ肌寒い事に変わりはない。特殊な方法で早咲させた花を外部から仕入れて植え終えていている吉原には、既にいたるところに花が咲いていた。

 それが吉原に春の訪れを告げる合図だった。
 どの妓楼も花祭(はなまつり)の準備を進めていた。

 普段は派手な色の着物を身に着けた吉原の女たちは、花祭の期間中は花を連想させる淡い色の着物に身を包む。

 夜になれば空に咲く桜と地に咲く山吹、それらを照らす雪洞(ぼんぼり)が吉原の至る場所を大袈裟なまでに飾り立てる様を、酒と共に楽しむ。

 テーマパークならではの季節限定イベントだ。

「一応確認しておいたけど、私の着物も明依の着物も虫に食われてないみたいだよ。今年も着られるね」
「ありがとう。やっぱり日奈に預けて置いてよかった」
「どういたしまして。はい、どうぞ」

 明依は日奈から着物を受け取った。それは淡い桃色の着物で、去年日奈と花祭の為に着物を新調しようと話していると、宵が二人にプレゼントしてくれたお揃いの着物だった。

 宵はまだ帰らない。吉野を含めた三人は裏方の仕事が板についてきて、自分の仕事と掛け持ちできる程度には成長していた。

「明依これから仕事ある?もし時間があるなら、久しぶりに清澄さんのお店に行ってみない?この着物にあう紅を買いたくって」
「できる仕事はもう終わらせてきたから、一緒に行く。お店、今はどこにあるんだっけ?日奈は知ってる?」

 清澄が趣味で営んでいる小間物屋は、よく場所が変わる。
 観光客からの人気が高いようで、一度場所が特定されてしまえばひっきりなしに客が訪れるからだ。

 清澄の売っている商品は値段は安いのにモノがいい。欲のない金額設定はもちろんだが何より彼のセンスの良さは人気店になって当然だった。

 しかし当の清澄はと言えば、自分の好きな時間に店を開けて、自分の好きな時間に閉めて、時々客が来る程度でいいらしい。明依と日奈は、簪や化粧品はほとんど清澄の店でそろえていた。
 だから場所が変わった時には、ひっそりと教えてくれるのだ。

「主郭のすぐ近くだよ。いこっか」
「黎明さん、雛菊さん」

 日奈がそう言って、二人が立ち上がろうとした頃。襖のすぐ前で凪が二人の源氏名を呼んだ。いつもの元気がない声色に、明依と日奈は顔を見合わせた後、同じタイミングで浅く頷いた。

「入っておいで」

 凪の声に日奈が返事をすると襖が開いた。そこには縋るように明依と日奈を見ている凪と、その凪に手を引かれた朔がいた。朔は思いつめた顔をして俯いている。

「そんな所に立ってないで座ったら?お茶でも入れようか」

 その言葉に凪は室内に入ろうと一歩踏み出したが、朔は俯いたまま動かなかった。

「お二人は、宵さんがいつ帰ってくるのかご存じなのですか」

 いつも朗らかな雰囲気を纏っている朔が、明依の目には憔悴しきっている様に見えた。明依と日奈は顔を見合わて、すぐに朔へと視線を移した。

「吉野姐さまから聞いたでしょう。宵兄さんは満月屋で働いてくれる人を探しに外に出ているの。まだしばらく帰らないよ」
「嘘よ!」

 日奈の言葉に声を荒げた朔に、三人はびくりと肩を浮かせた。

「どうして誰も、何も、教えてくれないの」

 そういって朔は眉を寄せて、自身の手のひらで顔を覆った。
 明依は薄々勘付いてはいたが、どうやら朔が宵に抱いている感情は、雇い主と従業員の関係を大きく超えているらしい。好意を寄せている相手をよく見ている人間は、ささやかな変化から情報を読み取る。それはいつか、旭が日奈に好意を寄せていると気が付いた時と同じなのではないかと明依は思った。小さな違和感から生まれた、勘としか言いようのない何かなのだろう。

「私たちも宵兄さんの帰りを待ってるの。だから、教えてあげられる事は何もないんだよ。ごめんね、朔」

 朔の心配する気持ちはよくわかるが、真実を教える訳にはいかなかった。明依は差支えない程度で、しかし嘘はつかない程度でそう言葉を返した。

「朔。黎明さんと雛菊さんがこう言ってるんだもん。宵さんが返ってくるまで、一緒に待っていようよ」

 凪にそう促された朔だったが、唇を噛みしめた後明依と日奈を睨んで部屋を飛び出していった。凪はシュンと肩を竦めて溜息をついた。

「宵さんが出て行ってから、ずっとあんな感じで。お二人から言ってもらえれば分かってくれると思ったから、私が連れてきたんです。ごめんなさい」
「気にしないで。きっと朔は、宵兄さんの事が心配で仕方ないんだね。何も言わずに満月屋を長くあける事なんてないもんね」
「朔は何がそんなに心配なんだろう?もしかして、実は吉原は犯罪組織が仕切ってるっていう都市伝説を信じてたりして」

 日奈の言葉に凪は目を閉じて考える素振りをしながら唸ってそういった。それに明依と日奈はびくりと肩を浮かした。コアなファンの中ではそんな非現実的に思えるような都市伝説も噂されているのかと明依は思った。

「朔をさがしてきます。ありがとうございました」

 そういって凪はぺこりと頭を下げて速足で部屋を出て行った。足音が遠くなったことを確認した後、二人は深く息を吐いた。

「確かに、宵兄さんの性格だったら、絶対に店をあけるって話をしてから出て行くはずだもんね」
「朔、宵兄さんの事が本当に心配なんだね。何も力になってあげられないのが、なんだか悔しいな」

 明依の言葉に日奈はそう返した。日奈は本当に純粋な人だと感心するばかりだ。明依は朔に睨まれた時、正直に言えば、なんだこいつと思った。心が狭い事は認めるが、それでも日奈の心は底がなく広いといつも思う。

「いこっか日奈。今は考えても仕方ないよ」
「うん、そうだね」

 思いつめた様に俯いていた日奈にそう声をかけると、日奈はこくりと一度頷いてから立ち上がった。




 誰もが見逃すような小さな敷地に立っている建物の引き戸はぴったりと閉まっている。看板すら立っていない。しかし、店は開いている。閉まっている時には番傘が立てかけてあるからだ。〝せっかく来てもらったけど留守です。雨が降ったらこの番傘使っていいよ。〟という意味らしいが、誰もわかるはずがない。

「いらっしゃーい。花祭の準備かい?」

 引き戸を開けると、清澄は正面にある机に頬杖を突きながら間延びした声でそういった。
 清澄の店の雰囲気はどの場所でも、いつも不思議だ。窓から漏れた太陽の光が部屋の中に溢れて、ほんの少し古臭い匂いがする。空間自体が、時間が穏やかに流れる事を望んでいる様な。江戸の頃を模した場所に懐かしさなど覚えるはずもないが、こんな感覚をノスタルジックと言うのだろうか。

「そうなんです。紅を見せてください」

 日奈が清澄に説明を受けながら紅を見ている間に、明依は置いてある商品を見て回った。どれもデザインは全く違う。中には明依の趣味ではないデザインの物もあるのに、そのどれもが魅力的に見えてくるのだから本当に清澄のセンスには感心する。
 それぞれ商品見ながらゆっくりと時間を過ごしていると、店の引き戸が空いた。

「やっぱりここにいたわ。日奈、明依。ちょっといいかしら。二人に会わせたい人がいるの」

 吉野はそう言いながら誰かに道を譲った。

「二人とも、久しぶりだなァ!ついでに清澄も!」
「俺はつい一週間くらい前に会った気がするけどね」

 豪快な印象を受ける大男は軽く片手をあげて愉快そうに笑うと、店の中に入ってきた。清澄はその熱量に少し呆れたように返答する。

炎天(えんてん)さん。お久しぶりです」
「……炎天さん」
「おい、明依。せっかくこうして会いに来たって言うのになんだその顔。もしかして、まだあの時の事引きずってんのかァ?まったく。繊細なヤツだな!」

 炎天は、吉原の警備を担当している主郭の人間だ。
 ニコリと笑顔を浮かべる日奈に対し、明依はげんなりとした表情で炎天を見た。明依の様子を見た炎天は豪快に笑った。あなたがガサツすぎるんです。と喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 〝あの時の事〟は、思い出したくもない。一年ほど前、旭や炎天など主郭の一部の人間が、宴会の為に満月屋を使った事があった。トイレに行く為に席を外した明依が、たまたま廊下ですれ違っただけのベロベロに酔った座敷の違う客に、無駄に絡まれた時の話だ。
 適当にいなして座敷に向かう明依に男は付きまとい続け、挙句の果てにバランスを崩して掴んだ明依の着物が、調子がいい時のゆで卵の殻くらいのレベルでツルンと剥けた。つまりは、明依の上半身がよろしくお願いします(どうぞよしなに)したという事だ。
 騒ぎを聞きつけた旭が座敷から飛び出してきて、その男を取り押さえたことで上半身がどうぞよしなにした以外には大した被害はなかったが、明依は驚きと回っていた酒のせいで上半身をさらけ出したままフリーズしていた。
 一体どんな人生を歩んだら、そんな女にかける言葉がこの言葉だったのかと未だに疑問だが、炎天は『調子いいときのゆで卵くらい綺麗にいったなァ』とセクハラど真ん中発言をぶちかましながら、唖然としている明依の着物を平然と整えた。

 その炎天のゆで卵発言のおかげで、その後しばらくの間は梅ノ位から裏で〝ゆで卵大夫〟という不名誉極まりないあだ名で呼ばれた。さっさと自分で着物を直してしおらしく涙でも流していれば、悲劇のヒロインを気取れたのかもしれない。今でもそれが悔やまれる。

「よっ!ゆで卵大夫!」
「ちょっと、やめてくださいよ!誰のせいでそんなあだ名で呼ばれたと思ってるんですか!」

 食ってかかる明依に、炎天は豪快に笑うだけだった。日奈は笑いを必死にこらえようと唇を噛みしめて俯いている。吉野は涼しい笑顔を浮かべていたが、ふいに噴出して明依に背を向けた。清澄は「そんな風だから女の子に避けられるんだよ、炎天は」と辛辣な事を呆れた様子でぼそりと呟いていた。

「まあ、冗談はさておきだ」

 自分から話し始めたくせに、炎天は仕切り直すように咳ばらいをした。

「今回の件、叢雲と清澄から話は聞いた。すぐに頭領にかけあってみたんだが、『この件については終夜に一任している』の一点張りだ」
「それは、どういう事ですか」

 炎天の言葉に明依はすぐに反応した。炎天は少し俯いて短く息を吐いた。

「五体満足で生きていれば、宵は幸運の持ち主だという事だ」

 そういった炎天に、明依と日奈は息を呑んだ。

「仮に宵さんが犯人ではなかったとして、終夜くんが彼を連れて行った理由に、炎天さんは思い当たる事がおありですか?」
「無理矢理こじつけるなら、終夜と同じように宵が頭領のお気に入りって事だ。宵はとにかく仕事ができる。だからこそあの年齢で大籬(おおまかぎ)の妓楼を任された訳だ。しかし噂では、終夜は吉原自体に興味関心はないと聞く。それが本当なら、終夜に宵を連れて行く理由がない。つまりは本当に宵が旭を殺したという事になる」

 問いかけた吉野に炎天はそう答えた。

「しかし俺は宵を信じている。あんなに優しい男が、弟の様に思っていた旭を殺すわけがない。どんな理由があるか知らないが、終夜が仕組んだことに違いない」

 そういった炎天の口調には、憎しみが余す事なく込められていた。

「大籬の楼主が今後戻らないという事が確定しているのなら、主郭になんらかの動きがあるはずだ。しかし今、その動きはない。その事から、宵が生きていると仮定する。そうなった場合、状況に耐えかねて自分が殺したといえば、終夜は躊躇わず宵を殺すだろう」
「宵兄さんは、どこにいるんですか?」

 込み上げた何かに耐える様に俯く炎天に、明依はそう問いかけた。

「主郭内で調べられるところは全て調べたが、宵はいなかった。残る可能性は主郭の地下だが、肝心の鍵はあの終夜が持っている」
「この件を仕切っているのが頭領なら、古株の俺達の話に耳を貸してくれたかもしれないけどねェ」

 明依はふと終夜の言っていた事を思い出した。
『主郭に沿って右側に歩いて行くと、主郭内に入れる古い扉があるんだよ。知ってた?だから、鍵さえ何とかなれば簡単に入れるよ。見張りがいないし、今は俺以外使ってないから。今度試してみなよ』
 おそらくその古い扉が地下室への入り口なのだろう。鍵さえ手に入れば、宵を助け出せるかもしれない。その後の事は分からない。でも、そう一度思ってしまえば収まりそうになかった。血が騒ぐ様な感覚だ。

「そういえば清澄。お前が任されていた丹楓(たんふう)楼の件、人は決まったのか?」
「タイミングって言葉を知っているかい、炎天」
「まあ、丹楓屋に何かあったのですか?」

 問いかける炎天に盛大に溜息をついた清澄は、頭を抱えた。その様子に吉野が問いかけたが、清澄は口ごもった後、観念したように息を吐いた。

「あんなことがあったんだ。満月楼には知らせないでおこうと思ったんだけどね。実は丹楓楼から、花祭が始まってから1週間だけ竹ノ位を応援に寄越してほしいと、吉原中の妓楼に話が回ってるんだ」

 丹楓屋は満月屋同様、松ノ位を抱える大見世だ。

「まァ、なにせ終夜くんが受け持っている唯一の妓楼だからね。どこの楼主も二つ返事で承諾しちゃくれないって訳さ」

 満月屋を受け持っていた旭は、よく満月屋に出入りしていた。それがどこの妓楼にも当てはまるのなら、終夜と接触する機会があるかもしれないという事だ。

「私に行かせてください」
「明依!本気なの!?」

 明依の言葉に、日奈は目を見開いて叫んだ。

「悪い事は言わない。やめておいた方がいい、明依ちゃん」

 清澄は眉を潜めてそう言う。懐が深い清澄の事だから、今もまだ終夜を完全に悪者には出来ないのだろう。そして同時に、心底心配しているのだという事も明依にはよくわかっていた。

「そうは言っても清澄。丹楓楼に人が集まらない事も事実だろう。期限はもう数日とないはずだ」
「あんな光景を間近で見ておいて、じゃあお願いしますなんて言えるはずないだろう」

 炎天の言葉に、清澄はため息交じりにそう返した。

「丹楓屋に行きたいというのは終夜くんが関係しているのね、明依」
「一度、終夜とちゃんと話がしたいんです。あんなことをされたとはいえ、元は私の行き過ぎた発言が原因です。それに、宵兄さんの事も、自分でちゃんと聞きたいんです」

 吉野の言葉に、明依ははっきりとそう返した。
 怖くないはずはなかった。殺されかけた相手に自分から近付こうだなんて正気の沙汰ではないと、明依自身も思っていた。どう行動しようとしているのかをこの場で吐き出してしまいたい。さらに言えば、引き留めてほしいさえ思っているのかもしれない。
 しかし既の所で思い留まる辺り、やはり何より自分自身を許せずにいたのだと思った。宵を連れ去ったというのに、終夜が自分に背を向けた時の安心感とその後に襲ってきた虚無感を嫌気がさすほど脳内で反芻するだけの日々を終わらせられるなら、一縷の希望に宵から貰った命と人生を賭けても構わない。そんな精一杯の強がりに反発するように、手は小刻みに震えていた。
 吉野から聞く限りは、叢雲は宵を解放するために動き続けているという。しかし、吉原の頭領がこの件を終夜に一任しているのであれば話は変わってくる。どれだけ無計画でも、これ以上何もせずに待ってはいられそうにない。それが明依の結論だった。

「では清澄さま。その件については、満月屋から黎明を出します」
「吉野姐さま!」
「本気かい、吉野ちゃん」

 日奈は吉野を責めるように叫び、清澄は冷静に吉野に問いかけた。

「吉原で生き抜く為には、困った時には助け合う気持ちが必要です。満月屋は私と日奈がいればなんとか回ります。丹楓屋もきっと今、人が集まらずに困っている事でしょう。できれば力になりたい。心配ではないと言えば嘘になりますが、丹楓屋には彼女がいますから」

 吉野の言う彼女とはおそらく、丹楓屋の松ノ位の遊女の事だろう。明依は彼女が道中している所を何度も目にしているが、直接話したことはなかった。見た目だけで気丈さが伝わってくる美しい容姿をしている事は知っていた。

「明依ちゃん、本当にいいのかい」
「勿論です」

 清澄と明依の会話に、日奈は心配そうに眉をひそめていた。
 吉原に春が来るまで、あと数日。
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