造花街・吉原の陰謀

2:始動の合図

 応援を寄越してほしいというくらいだ。時間に余裕があると思っていた訳ではないが、こんなに忙しいとは思ってもみなかった。

 幸いだったのは、意外にも丹楓屋には問題なく馴染む事が出来ている事だ。
 別の妓楼から来た遊女なら目の敵にされるかと思っていた明依だったが、とんだ見当違いだった。

 丹楓屋の遊女はあっさりとした性格の人が多い。満月屋は全体的におとなしい雰囲気の人が多い気がする。妓楼によってこうも遊女の雰囲気が違うのかと驚いた。

 当然五日も仕事をすれば「忙しいね~」と世間話に加わることが出来るようになっていた。

 そう。五日も仕事だけをしているのだ。
 旭はイベントが行われているときには少なくとも週に一度は様子を見に来ていた。
 終夜が来ない可能性を考えていなかったわけではないが、その可能性は薄いと踏んでいたのだ。予定通り、明後日には満月屋に戻ることになっている。

 明依は内心焦っていたが、同時に終夜と会わないで済むという安心感も少なからずあった。
 何もしないで帰る後悔と天秤にかけて無理やり押し込めているが、一日が終わるたびに顔を出す。

 随分と諦めが悪いらしい。その度に、さっさと諦めて覚悟を決めてくれと、明依は一人芝居で自分に言い聞かせていた。

「何、小難しい顔してんだい」

 勝山は明依の隣を歩きながら大きな欠伸をして、大して興味も無さそうに聞いた。この5日間で、勝山ともよく話す間柄になっていた。

 丹楓屋に来て一番驚いたのは、勝山とほかの遊女との距離が近い事だ。
 学校の一つ上の先輩を相手にしている程度の温度感で話し始める遊女に、最初は肝が冷えた。

 満月屋では〝大夫〟〝松ノ位〟と聞けば、自分よりも格上で凄い人。という印象がどうしても付きまとい萎縮してしまう。
 いや、これはおそらく丹楓屋が特殊なのだ。

 ここはいい妓楼だ。
 吉野は勝山の性格とそれに充てられた遊女達が醸し出す丹楓屋の雰囲気を知っていて送り出したのだろうと確信を持てる程度には。

「もうすぐ丹楓屋での仕事も終わりかと思うと、なんだか物寂しい気持ちになっているだけです」
「そんなタマかい」
「失礼な」

 鼻で笑う勝山をみて、これはこれで悪くないと思うのだから、明依も丹楓屋の雰囲気に充てられているのだろう。

「これから座敷に上がるんだろ?気張んなよ」
「ありがとうございます」

 そう言って立ち去る勝山の背中に、明依は軽く頭を下げた。勝山とすれ違い丁寧に頭を下げた十六夜は、難しい顔をして明依の方へと真っ直ぐに進んでくる。

「黎明、大事な話があるの。一緒に来て」
「これから仕事が、」
「代わりを立てて来たから大丈夫よ」

 そう言うと十六夜は、明依の返事を聞かずに足早に先を歩いた。焦っているようにも見える十六夜の様子に疑問を抱きながらも、十六夜の後に続いた。

「ここまで忙しいだなんて、想像していなかったわ」
「私もです」
「初日からほとんど喋れていなかったから心配していたのよ。慣れない場所で不安だったでしょう。何も気遣ってあげられなくてごめんなさいね」

 明依と十六夜が満月屋で共に過ごしたのはたった数か月の事だったが、当時からこんな風によく気遣ってくれた。

 明依が吉原に来た時、満月屋には既にたくさんの竹ノ位がいた。
 そんな中で、明依は吉原で禿(かむろ)と呼ばれる平均年齢を大きく超えて、吉野大夫の身の回りの世話をしながら彼女から直接遊女の在り方を学んだ。

 楼主である宵の判断だったとはいえ、当然周りから認められるはずもなかった。風当たりが強い中、十六夜は日奈と同様に優しく接してくれたのだ。

 そんなことを思い返していると、十六夜が一室の戸を開いた。
 そこは明かりすら灯っていない物置部屋だった。明依が中に入った後、すぐに十六夜はピタリと戸を閉めて少しの間周りの音に耳を澄ませていた。それから明依へと向き直った。

「宵さまの一件で、ここへ来たのよね」
「そんな訳、」
「黎明。もう時間がないんでしょう」

 圧のある口調で止められてしまえば、どんな風に返事をすればいいのかわからない。せめて表情を読まれない様にと俯いたが、おそらく十六夜は確信を持っているのだろう。

「ここでも一部では、宵さまが本当は主郭の人間に連れていかれたんじゃないかって噂になっている。だから、あなたがここに来ると聞いた時から確信していた。この件には終夜さまが絡んでいるんじゃないかって話だったから」

 もはや、言い訳は無意味だと明依は悟った。しかし、ではすべてを話すのかと言われれば別の話だ。満月屋でさえ一部の人間しか知らない事実なのだ。公になれば満月屋の存続にも関わる話を軽々と話せる訳もない。

 黙りこくっている明依と、それ以上何も言わない十六夜の間には痛い沈黙が流れている。十六夜は短く息を吐いたが、その音は震えていた。

「私はあの頃、宵さまから与えられてばかりで何も返せなかった。それどころか、今もまだ何一つ返せていないの。私で何か役に立てる事があるなら、協力させてほしい」

 当時、明依から見た限りの十六夜と宵の関係は、楼主と遊女という関係そのものだった。
 明依や日奈と宵の様な一歩踏み入って親しい関係ではなかったはずだ。

 丹楓屋に異動してから月日が流れて、満月屋にいた頃に宵からしてもらったことへ恩を改めて感じているのだろうか。真実は分からない。

「お願いよ黎明。何か計画があるなら、話して」

 手の色が変わる程強く拳を握り、悲痛な面持ちで十六夜は言う。

 あまり感情を表に出さない十六夜が、必死とも思える様子で訴えかけている事に胸が痛んだ。
 目の前の十六夜と、旭に会う為に終夜に縋った自分を重ね合わせているのかもしれない。

「誰にも口外しないと、約束してくれますか」
「勿論よ。約束するわ」

 十六夜は力強いまなざしで明依を正面から見つめる。とても嘘をついている様には見えなかった。

「危険な目に合わせるかもしれません」
「承知の上で聞いているの」

 十六夜の態度は依然として変わらない。つい先ほどまでこの件が公になった場合の損失ばかりを考えていたが、宵が死んでしまえば満月屋の損失以前の問題だ。
 丹楓屋に精通している十六夜が味方になってくれるのなら、これほど心強い事はない。

 明依は安堵のため息を吐いて、十六夜に向き直った。

「全てお話します、十六夜さん。だから私に協力してください」

 明依の言葉に、十六夜は力強く頷いた。

 それから明依は、満月屋で起こった事の顛末と現状、これからの計画を十六夜に話して聞かせた。十六夜は終始、真剣な面持ちで明依の話を聞いていた。一方的な会話が終了すると、十六夜は一つ頷いた。

「今日を含めても残り二日。その間に終夜さまがここへ来るかはわからない。でも黎明の予想通り、ここへはよく出入りしている。今のうちに計画を立てましょう」

 無謀だった計画が、ここへ来て徐々に肉付いてきているように思えた。明依の心臓はうるさくなっていた。

「終夜さまがここへ来たら、」

 十六夜がそう言ってすぐの事。急に廊下がガヤガヤと騒がしくなり、二人は戸へと視線を移して息を潜めた。この件を誰かに聞かれたのかと思ったが、どうやらそうではない様だ。

「何かあったのかしら」

 そういって戸を開けて廊下へと出た十六夜に、明依も続いた。

「本当にいたんだ」

 女たちがわきによけて出来た道の真ん中を薄笑いを浮かべて歩いている男を見て、明依は全身から汗が噴き出すのを感じた。

「終夜」

 完全に気を抜いていた。あの時の恐怖感を、鮮明に思い出す。覚悟していたはずなのに、逃げ出したくてたまらない。折角十六夜が味方についてくれたというのに、肝心の計画はまだ何一つ立てられていない。最悪のタイミングだ。

「アンタが来るって聞いた時は驚いたよ。正気の沙汰とは思えないけどね。自分でも、そう思ってるでしょ?」

 そういうと終夜は、明依の目の前で立ち止まった。

「でも、本当に人が足りなくて困ってたんだ。来てくれてありがとう」

 感謝の気持ちを口にしている終夜だが、相変わらずこの男の思っている事は分からない。十六夜は額に汗を浮かべて終夜を見つめていた。明依はぐっと下唇を噛みしめて、落ち着けと言い聞かせた後、細く息を吐いた。

「普通、花祭の初日に顔出すモンだろ?サボってんじゃないのかい?」

 重い空気感を遮って終夜の肩に腕を回したのは、勝山だった。

「主郭の仕事が立て込んでいたんです。それで、どうですか?」
「こんな味気ない廊下で、遊女の話を聞こうってのかい?」

 挑発するような勝山の口調に、終夜はふっと笑った。

「今夜は天下の勝山様が相手してやろうじゃないのさ」
「お言葉ですが天下の勝山太夫。今日は座敷に上がるご予定では?」

 飄々とそう返す終夜に、勝山は額に手を当てて「そうだった」と呟いた。

「残念です」
「終夜。アンタ、狙って来たね」
「嫌だな。そんな訳ないじゃないですか」
「仕事は一段落ついたんだろ?だったら飯でも食っていきな」

 勝山はそう言うと終夜の肩から腕を離して去って行く。「またフラれちゃいましたね」と勝山に話しかけている遊女たちの雰囲気が、明依の気持ちをほんの少し軽くし、冷静に傾けた。

「勝山大夫がああいっているんですもの。召し上がって行ってください」
「じゃあ、そうするよ」

 十六夜の言葉に終夜は意外にもあっさりと答えた。ここは流れに任せて何もしないのが得策だ。おそらく十六夜には何かしらの考えがあるのだろう。

「ではこちらに」
「アンタじゃない」

 十六夜は終夜を座敷へ誘導するために彼に背を向けて一歩踏み出したが、足を止めた。終夜から見えていない十六夜の顔には、焦りの色が見えた。
 終夜はゆっくりとした動きで、明依を指さした。

「黎明をつけてよ。彼女だけでいい」
「しかし、終夜さま。黎明ではここの事をお話する事ができません」
「その話はさっき、楼主から聞いてきたよ。特に問題なしだって。だから別に、丹楓楼の人間じゃなくて構わない」
「私は、それで構いません」

 終夜と十六夜の会話を遮って、明依はそういった。
 内心はかなり焦っている。せっかく十六夜が味方になってくれたというのに、一人で座敷に上がるのならその強みを全く活かせない。

 しかし、もともとはその計画だったのだ。ここまで来て終夜に勘づかれる訳にはいかないと、自分でも驚く程冷静に判断出来ていた。

「じゃあ行こっか」

 軽い口調で言った終夜の言葉は、まとまりのない宵奪還計画の始動の合図だった。
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