造花街・吉原の陰謀

9:吉原の子ども

「ここは日用品を売っている所。満月屋から一番近いから、よく使うと思うよ。あ、あそこは甘味処でね!あんみつが最高なんだ!後、あそこの甘味処は団子が絶品だよ!並んで食べるあそこのそばが美味しいんだよね」

 明依は雪を連れて吉原の街を歩いていた。食べ物の話になると急にテンションが上がる明依に、都度びくびくしている雪だったが、最後の方は慣れたのかこくこくと頷いていた。

「ねェ、お母さん!お稽古頑張ったから、あれ買って!」

 よく使う店などだいたいの街案内が済んだ頃、次はどうしようかと考えていると、子どもの声が聞こえた。

 視線を向ければ、雪と同じくらいの年の女の子が母親の着物の袖を引っ張っていた。
 吉原で子どもを見かける機会は多い。

 将来を有望とされた遊女に芸事を仕込む講師陣は超一流だ。
 その有名な先生に教えを乞おうと、わざわざ吉原の中にまで習い事をさせに来る親は案外どこにでもいるものだ。

 その金額は、到底一般人に払える様な金額ではないらしい。
 いわゆる金持ちのステータスの一つとして、吉原内での習い事があるのだと聞いたことがある。

 だから、雪の様な禿と呼ばれる遊女見習いが吉原の中を一人で歩いても誰も気にもとめないのだ。

 よくできたシステムだが、意図してこの状況を作り出しているのだとしたら吉原という街の闇は深いと思わされる。

 盗み見た雪は俯いていた。明依が吉原に来たときはまだ大きかったから気にも留めなかったが、雪くらいの年齢の子どもからするとこの状況を見るのはかなり辛いものがあるだろう。

 しかもこれから先、ずっとこの吉原という檻の中で暮らしていかなければいけない。もし本当に神様というものがいるなら、一体どこ見てんだと言ってやりたい。

 吉原には、〝梅の花見て笑えば表。嘆けば裏門〟という言葉がある。

 梅、という言葉を聞いて純粋に梅の花を連想するのであれば表側の人間、つまり正式に雇われたスタッフで、性病である梅毒を連想するなら裏側の人間、という意味だそうだ。

 ちなみに吉原開設初期の遊女が作った言葉の様で諸説あり、正式に雇われた女スタッフの位を梅ノ位と呼んでいる事から、裏側の人間は梅ノ位の人間が妬ましい、という意味だという説もある。

 今の明依からすれば本当にその通りで、いい所だけを切り取って持っている梅ノ位の女たちが、少し妬ましく思えた。

「雪も頑張ったから、お団子買おうか」

 何を頑張ったのかは自分で言っておいてよくわからない明依だったが、頑張って歩いたとかそんな事にしておこうと思った。

「いいの?」
「いいのいいの」

 最初こそ明依に対して敬語で喋っていた雪だったが、だんだんと子どもらしい喋り方になってきた。少し心を許してもらえた様な気がする。やっぱり子どもは何も考えずに鼻水たらしながら無邪気にはしゃぐのが一番だ。
 団子屋の前に到着すると、雪はどれにしようかと一生懸命選んでいる。本当に愛らしい。

「明依お姉ちゃんはどれにするの?」

 上目遣いでそう聞いてくる雪に、可愛いを連呼したくなるような、抱きしめ潰したくなるようなとにかく不思議な気持ちだった。お姉ちゃんを通り越してお母さんと呼んでくれても構わないくらいだ。堪らなくなって「可愛い……」とだけため息交じりに呟いておいた。

「えぇ~明依お姉ちゃんはね~」

 自分を〝明依お姉ちゃん〟という時点で傍から見ればかなり痛いヤツだ。見るに堪えない程デレデレだろう事はノリノリの明依でも予想できたが、他人の目線なんて全く気にならない。

 脳内お花畑というやつだ。正直に言えば、雪と仲良くなるには時間が必要だと思っていた。しかし、意外にも気に入ってくれた様子だ。

 ハイテンションのまま団子を購入して、店の前の開いていた縁台に腰を下ろした。

 美味しそうに団子を頬張る雪を見て、ふと我に返る。
 信じられない程穏やかな時間だ。宵が帰ってきて、日奈の大夫昇進はそのまま。雪という可愛い女の子が満月屋にやってきて。

 そんな穏やか過ぎる時間が、嵐の前の静けさの様に思えて怖かった。ずっと忙しく働き詰めで、考える事がたくさんあったから、ゆっくり流れる時間に身体がまだ慣れていないんだろう。そう考えなおして、明依は団子を頬張った。

 ふと雪を見ると、髪に花びらが乗っていた。それを取ろうと明依が手を伸ばすと、雪はびくりと大きく肩を浮かせた後、ぎゅっと目を閉じて肩をすくめた。その拍子に、雪の持っていた団子は地面に落ちた。

「あっ」

 そういって雪はすぐに落ちた団子を拾った。何におびえているのかわからない明依は伸ばした手を彷徨わせたまま、雪を見ていた。

「ご、ごめんなさい、でも大丈夫!ちゃんと食べるから、」
「ダメ!」

 明依はとっさに雪が持っていた団子を取り上げて大きな声で制した。びくりと反応した雪は、唇を噛みしめて目に涙をためている。

 すぐに理解した。
 手を挙げられると殴られると思い込んでいるのだろう。

 吉原に来る子どもたちは、親から虐待を受けていた子も多くいるんだと日奈から聞いたことがある。
 この異常なまでの脅え方は、おそらく雪もそうなのだろう。

「ごめんね、急に大きな声出して。雪の頭に花びらが乗っていたから、取ろうと思っただけなの」

 明依は雪にそう説明して、ゆっくりと手を伸ばして雪の髪の毛についた花びらを取って見せた。

「ここには、雪の事を叩いたりする人はいないよ。それから、落としたものは食べちゃダメ。お腹壊しちゃうから。わかった?」
「うん、わかった」

 明依は返事をした雪の目元に溜まっていた涙を袖でさっと拭った。

「明依お姉ちゃん、怒ってない?」

 落としたものを、もったいないから食べろと言われて怒られていたんだろうか。

 怯えた様な縋る様な視線を向ける雪を見ていると、胸の内をきつく締め付けられる様な思いがした。

 視界の隅では不注意で食べ物を落とした子どもが「新しいの買って~」と親に強請っている。その子どもが、自分の置かれている状況が幸せだという事に気付く日は来るのだろうか。

 いやきっと、たいていの人間がそんなささやかなものは幸せではないと気づきもしないまま大人になるのだろうなと皮肉じみた事を考えていた。

 本当に神様というのは一体どこを見ているのか。しっかり仕事しろよ。と心の中で口汚く呟いた。

「こんな事で怒らないよ。でも、落としたものを食べたら怒るよ。雪の事が心配だから」

 普段子どもと話す機会もない明依は、どの程度かみ砕いた説明が雪くらいの年齢の子に伝わるのかわからなかった。

 おそらくこの年齢の子は多感な時期だろう。
 自分の事を思う大人が一人でもいるのだと安心してほしい。

 どちらにしろこれから、この地獄の色に染まらないといけないのだ。小さな子どもにせめてそれくらいの希望くらいは大人として与えてあげたかった。

 そんな思いが雪に伝わったかは分からないが、雪は頷いた。自分も大人になったな、と明依は思っていた。
 残りの団子を食べ終えてから、満月屋への帰り道を歩いた。

「ねぇ、明依お姉ちゃん」
「はーい」
「手、繋いでもいい?」

 恥ずかしそうに俯いてそういう雪が可愛すぎて、明依は返事をするより前に手を差し出した。平和過ぎる、もはやずっとこのまま平和がいい、平和を通り越していっそボケてしまいたいくらいだ。

 先ほどまで嵐の前の静けさの様だと思っていた事なんてすっかり忘れて、雪の小さな手を握って歩いた。

「あ、黎明さん!おかえりなさい!」
「うん、ただいま」

 満月屋の前には凪がいた。凪は普段時間が空くと吉原の街を散歩している。本当に吉原が大好きな様だ。

「丹楓屋って、どんな感じでしたか!?満月屋とはやはり雰囲気が違いましたか!?その要因は、一体どこにあるんでしょうか……。勝山大夫には会いました!?お話した感想は!?やっぱり見かけ通り、凛とした素敵な方なんでしょうねェ。羨ましいです!」

 一方的にそういった凪は明依に詰め寄った後、視線を下にずらした。

「可愛い~」

 そういった凪はしゃがみ込んで雪を覗き込んだ。ビクリとした雪は明依の後ろに移動して、顔を隠していた。

「私、凪っていうの。お名前は?」

 雪のおびえた様子にも臆さずに話しかける凪に、雪はぽつぽつと小さな声で返事をしていた。雪と凪がそんなやりとりをしていると、満月屋から朔が出てきた。

 凪もそうだが朔と話すのは、宵の事を知らないと嘘をついて睨まれたあの日以来だ。正直、どんな表情で接していいのかわからない明依だったが、朔はこちらへと歩いてきた。

「宵兄さん、無事に帰ってきてよかったね」
「黎明さんは、あの怪我を無事だと思っているんですか」

 それについては、確かに、と思う他なかった。朔の態度は喧嘩腰という訳でもないが、棘がある。女独特の威圧感があった。

 明依が苦笑いを浮かべると、朔は冷たい顔で明依を見る。
 しかし、ここ最近終夜の殺気にあてられ続けて多少忍耐力が付いたのか、余裕をもって受け流すことが出来るという思ってもみないスキルが身についていた。

「朔の思っている最悪の自体にはなっていないね、って言いたかったんだけど、伝え方が悪かったならごめんね」

 余裕ぶってそう返すと、朔は少し目を細めた。やはり物静かな朔の雰囲気は先日から随分と変わった様に思う。以前は陰険な敵意を向けるような事はなかったのに。

「宵さんが帰ってきた事について、雛菊さんは何か言っているんですか?」
「朔、そういうのやめなよ。感じ悪いよ」

 先日の様子を引きずったままの朔を凪はそういってなだめるが、朔は涼しい顔をしているだけだ。

「宵兄さんが戻ってきたことを素直に喜んでたよ。じゃあ私はこれで、」

 言いかけた明依はとっさに振り返った。
 主郭の地下で感じた違和感と似たような感覚だった。誰かから見られている様な違和感。しかし必死に視線を泳がせてみても、こちらを見ている人間はいない。

 気のせいとは思えなかったが、誰もいない。もしかして霊感が目覚めたのだろうかと、明依は本気で恐怖を感じていた。

「明依お姉ちゃん」
「雪、あのさ、」

 不思議そうな声でそういう雪の手をしっかりと握った。そして後方を指さすと、雪がその方向に視線を移した。

「こっち見ている人、誰もいないよね?」
「いるよ」

 そういう雪に、心臓がドクリと跳ねた。雪は言葉を失っている明依の目を見た。

「みんな不思議そうにこっち見てるよ」

 明依が周りを見回すと、観光客が不審者を見る目で明依を見ていた。急に勢いよく振り返って、必死に首と視線を動かしているのだから不審がられて当然だ。

 どうやら霊感が目覚めた訳ではないことには安堵したが、代わりに大切な何かを失った気分だった。

 凪と朔に軽く挨拶をして、雪の手を握ったまま満月屋の中に入ると、日奈の大夫昇進の話はちょうど終わりを迎えたらしい。宵の部屋から明依と雪を除いた先ほどのメンバーが出てくるのが見えた。

「明依、ありがとう。助かったよ。雪、吉原の街はどうだった?」
「明依お姉ちゃんが、お団子買ってくれました。美味しかったです」

 宵に小さな声で感想文のように雪は呟く。

「どんなお団子を食べたのかしら?」
「白と、緑と、ピンク色の甘いお団子をふたつたべました」

 吉野の問いに返答して呟く雪にその場はいっきに和んだ。複数人の大人をすぐに笑顔にできるのだから、本当に子どもの力は凄まじいと思い知る。それからまもなくしてその場は解散となった。日奈は雪に妓楼を案内しに行った。

「久しぶりに明依とゆっくり茶でも飲んで話したいもんだね。ま、日奈の大夫昇進の件が落ち着いてからだね」

 そう言い残して野分は帰っていった。これだけ急に日奈の話が進めば、皆忙しく動くだろう。

「一か月後に〝雛菊大夫〟のお披露目だ」

 宵は明依にそういって嬉しそうに笑った。吉原に5人目の大夫が誕生する。おそらく吉原の外の世間は大賑わいだろう。当日は一目見ようと多くの人が吉原に訪れるに違いない。

 嬉しい事には違いないのだが、なんだか置いて行かれてしまった様な気分になったことも事実だ。先ほどまでこの平和な日常に満足していたというのに、足るを知る、という事が出来なくなるのは人間の性なのだろうか。
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