造花街・吉原の陰謀

2:真実から夜が始まる

「どうした?具合でも悪い?」
「〝着物着てないから、今。なんか体調悪くて、大したことはないんだけど〟」

 明依の声を真似てしゃべる終夜と宵は、スムーズに会話を進めていく。本人の明依でさえ本当に自分が喋っている様に聞こえるのだから当然だ。明依はしばらく思考停止していたが、すぐにこの状況がどれだけ不味い事なのか理解して身体を捩った。しかし、終夜に力を込められてしまえば、指先一つ動かせない程に身体中が悲鳴を上げた。

「少し待ってて。誰か呼んでくるよ」

 このままでは宵がどこかに行ってしまう。そう思った明依は、喉元で声にはならない音を出そうと鼻から大きく息を吸った。しかし終夜は、口を覆っている手を少しずらして明依の鼻を塞いだ。息が出来ない事に混乱した明依は必死に抵抗しようとするが、当然力で終夜に勝てるはずもなかった。

「〝心配しすぎだよ、宵兄さん。本当に大丈夫。少し横になって、それでも調子が悪かったら声をかけるから。少し眠ってもいい?〟」
「……わかった。何かあったら、すぐに呼んで」
「〝いつもありがとう。宵兄さん〟」

 襖を閉めようとしている宵に、終夜はそういった。宵はそれに短く返事をして襖を閉めた。
 霞んでは焦点を戻そうとする無意識が、眼球がちかちかと痛めつける。もうここで死ぬのかな。と、以外にも冷静に思った後、納得という名の諦めが頭の大半を占めていた。

「危ない危ない。こんなの主郭にバレたらここぞとばかりに抉ってくるに決まってるし」

 終夜が手を離した瞬間、明依は前屈みで突っ伏して酸素を求めて大きく息を吸っては吐くを繰り返した。

「ごめん、つい。うっかり殺しちゃったかと思ったけど、生きててよかった」

 あっけらかんとそう告げながら胡坐をかく終夜を横目に、明依は必死に息を整え続けた。
 宵が襖さえ開けてくれれば、この件を公に出来たのに。まさか他人の声まで真似られるとは思っていなかった。主郭が終夜に手を出せないのは単純な戦闘能力だけではなくて、きっと頭の回転の速さや引き出しの多さも関係しているのだろう。

「この……!」
「不思議だなって思わなかった?日奈が死んだとき来なかったでしょ、警察」

 呼吸が整い次第持ち得る全ての言葉で罵ってやると思っていた明依だったが、終夜のその言葉に息を呑んだ。明依のその反応を見た終夜は、満足げに笑っている。

「日奈のあの一件だけじゃないよ。旭の時もそう。吉原では人が死んでも行方不明になっても警察は絶対に来ない。さて、何ででしょうか」

 終夜は楽し気な面持ちで首を傾げながら明依に問いかけた。今何かを試されているんだろうか。そう思うと、どう返答していいのかわからずに口ごもった。

「何か裏の権力的なものが働いたんだろうって思った?」
「……そうじゃないの?」
「厳密にいえばそうじゃないんだよね。知りたい?知りたいよね。旭と日奈に関わってる事だもんね」

 不信感を露わにする明依をよそに、終夜は楽しそうに笑った。

「教えてあげるよ。造花街吉原の秘密」

 吉原の人間は噂好きが多い。小さな事でも警察沙汰になれば、すぐに噂は広まるだろう。しかし、明依の知る限りでは吉原に警察が介入したことはない。裏の権力が働いた以外、一体何の理由があるというのだろう。気にならないはずはなかった。

「どうして、私にそんなことを教えてくれるの?」
「別にどうしても隠さないといけない事じゃないし。……それに俺、気になるって感覚好きなんだよね。好奇心は人間の原動力。だから、教えてあげる」

 そう言うと終夜は立ち上がって、座り込む明依に手を伸ばした。
 そんな説明じゃ到底納得できない。しかし、妓楼の中にいる明依には、知りたい情報は何一つ入ってこない事は事実だった。この男は信用できないし、嘘をつくかもしれない。さらに根本的なことを言えば、虫唾が走るほどこの男が嫌いだ。だが、もしこの手を取らなければ今まで通り情報は何一つ入っては来ないだろう。すぐに決心できない明依に、終夜はニコリと笑いかけた。

「アンタにとって俺は間違いなく貴重な情報源だ。迷っているなら、有効活用することをお勧めするよ」
「……何考えてるの?」
「特に何も考えてないけど」

 そういった終夜の真意を確かめようと、明依は終夜をじっと見つめた。

「疑いすぎだよ。人の善意には甘えたらいい」
「疑うにきまってるでしょ。アンタ、何考えてるのかわからない」
「何されるかわかんなくて怖いって事?俺はアンタが今まで通りおとなしくしておけば何もしないよ。結構面倒なんだよ?こんな人に溢れた街じゃ」

 そういう事じゃないという言葉が喉元で燻ったがすぐに引っ込めた代わりに、明依はため息を吐いた。この男に聞きたいことが聞けないのは今回に限った事じゃない。しかし、終夜の言う通り彼が貴重な情報源である事には違いない。旭を殺した犯人が未だに捕まっていない事、それに伴って警備を強化することも、あの夜に盗み聞きしなければ知りえなかっただろう。朔が自ら日奈を殺したと言わなければ、きっと一生日奈を殺した犯人を知ることはなかっただろう。知ったところで今更旭も、そして日奈も帰ってこない。ただ、日奈と旭の最期の輪郭くらい知りたいと思うのは当然だと思えた。自己満足とも言うのかもしれない。だから〝好奇心は人間の原動力〟と言われてしまえば、確かにそうだと納得してしまう。
 明依は終夜の手を取った。終夜は明依の手を引いて立ち上がらせると、バランスを崩した明依を肩に担ぎ、そのまま障子窓を開けた。

「うわっ!ちょっと!どこ行くの!?」
「上」
「なんでわざわざ、」
「妓楼の中なんて、誰に聞かれてるか分かったもんじゃないし。黙ってないと舌噛むよ」

 窓辺に足をかけた終夜を見た明依は、歯を食いしばって目をぎゅっと閉じた。身体が何度も大きく揺れて、明依はその度に恐怖心から漏れそうになる声を必死でこらえ、恥を忍んで終夜にしがみついた。やがて揺れが小さくなってゆっくり目を開けると、妓楼の屋根の上にいた。どれだけ鍛えれば、人一人抱えてこれだけ身軽に屋根の上に上がれるのだろう。明依は、一生かけたってこんな身体能力は手に入らないだろうと頭の隅で思った。
 街を見下ろせば、揺れる視界で正確にはとらえられなかったが、双子の幽霊がこちらを見上げていた。

「アンタが何もしなきゃ、あっちも何もしないよ」

 そういった終夜は屋根の上に明依を下ろすと、胡坐をかいて吉原の街を見下ろした。明依が再び街を見下ろした時には、既に双子の幽霊の姿はなかった。

「双子の幽霊って本当に幽霊なの?」

 明依の質問にきょとんとしていた終夜は、すぐにニコリと笑った。

「さァ、どうだろうね」

 どうやらこの質問に答える気はないらしい。少しでも情報をと思ったが、どんな質問にも答えてくれる訳ではなさそうだ。

「俺にとっては本題じゃないから、さっさと説明していい?」

 終夜は明依を見ながらそう問いかけた。明依がこくりとうなずいたことを確認して、再び吉原の街を眺めた。人が行きかう通りは相も変わらず賑やかだが、この屋根の上とは別世界の様な感覚に明依は陥っていた。

「吉原はさ、監獄なんだよ」
「監獄?罪を犯した人がいる、監獄の事?」
「そう、その監獄。正しくは監獄だった」

 自分でそう問いかけておいて意味が分からなかった。こんな人にまみれた場所が監獄である訳がない。しかし、終夜は明依の理解進捗度を考慮する気はさらさらないらしい。

「国は吉原の創設に大きく関わってる。吉原創設時、国は手に負えない犯罪者たちをここに閉じ込めた。犯罪者を野放しにしてるそんな場所に、警察が来るわけないだろ。その名残が今も残ってる」

 裏の力が働いているどころか国が絡んでいるなら警察なんて来るはずがない。まるでこの吉原は、国から見放された様な場所だと思った。聞きたいことが山ほど浮かんでくる話だ。明依は冷静でいる様に努めたが、大して役には立たなかった。

「何でわざわざそんな事するの?」
「犯罪組織が持ってる人身売買のパイプが欲しかったんだよ。この街の中に限って自由に生活をさせる代わりに、この街に子どもを集めさせた」
「国は犯罪組織と結託して、人身売買を容認してるってこと?」
「目的達成が出来るなら人身売買じゃなくても構わないんだろうけど、そういう事だね」
「目的って?」
「ストレス社会が生んだ山ほどある問題の内の一つ、虐待。きっと以前からあったんだろうけど、SNSの発展で露見しやすくなり、国はその対応に頭を悩ませてた。だから、子どもを育てられない親から買い取り、吉原に流すサイクルを犯罪組織を経由して実行した。これで虐待問題は露見するより前に消え、この街は潤っていく。このサイクルは、吉原創立当初から今も変わってない」

 スケールの大きさに、明依は眩暈すらした。今まで平和に生活していた事はもしかすると、本当に奇跡だったのかもしれない。

「自分たちの私利私欲を満たす場所が欲しいっていう理由もあったんだと思うよ。ここは最初からデジタル機器も持ち込めないし。誰かと密会するにも、欲を満たすにも、吉原はぴったりだ」
「ちょっと待って。この前、吉原には敵がたくさんいるって話をした時、国家の犬って言わなかった?それって、警察官の事じゃないの?それに監獄だった、って事は今は違うんでしょ?」

 明依がそう言うと終夜はあからさまにげんなりした顔を作った。

「アホかと思ったら、意外と人の話ちゃんと聞いてるよね。じゃ、説明しないとダメだね」
「アンタ、いちいち人の事貶さないと話できないの?」
「ちょっと黙っててよ。ややこしくなる」

 自分の事を棚に上げてそういう終夜を明依は睨んだ。きっと気付いているだろうが、終夜は何も気にしていない様子だ。

「過去の記録からわかってる事だけど、吉原が完成して国の連中は毎晩吉原で遊び呆けてた。最初は吉原に軟禁されていた犯罪者も現状に満足していたらしい。だけど、だんだん不満がたまってきて国から無理やりこの街をぶん取って今の吉原の形が出来たんだ」

 知らない方が幸せなこともあるというのは、きっとこういう事だろう。目の前の世界が、さらに変わり果てた様な気がしているのだから。

「会社が設立したことになっているこの街に、国が深く関わっているなんてバレたら大事だろ。だから、昼夜問わず隅から隅まで国が監視するなんてことは不可能だった。怪しい動きに気付いた時には吉原はもう秘密裏に〝陰〟を組織していて、武器を持たない場合の個人戦闘能力は軍人傭兵相手でも難なく立ち回れる程度の教育に成功していた」
「つまりここは、無法地帯って事?」
「そうだよ。国から見放された街、国は今も吉原の主権を取り戻したくて必死だけどね。常に観光客がいる吉原に武力行使は不可能。内側から壊そうにも、吉原の心臓である主郭の重役達は代々、人と深く関わりを持つ前の幼少期に吉原に来た者たちばかり。さらに、当時酒に酔った人間が遊女にペラペラしゃべったおかげで、露見すれば国が傾く秘密とその証拠をいくつも持っているんだ。手なんか出せるはずもない。国の思い通りになっていないとはいえ、少なくともこの街は日本を底から支えてる」
「人身売買が正しいと思ってるの?」
「そうじゃなきゃ死んでる人間が山ほどいるって話だよ。アンタだってそうだよ。この吉原がなかったら、人を二人殺してただろ?」

 明依の心臓はドクリと嫌な音を立てた。しかし、終夜は主郭の人間。どんな経緯で吉原に来たのかくらい、簡単に調べる事は出来るのだろう。
 
「もうわかったと思うけど、吉原は微妙なバランスで成り立ってる。そんな吉原を解放するって事がどれだけ難しいか、アンタにわかる?」

 明依の頭の中には旭と日奈の顔が浮かんだ。日奈はともかくとしても、旭はこの現状を分かった上で吉原を自由にしたいと言っていたのだろう。今頃になって、旭の言葉の重みがどれほどのものだったのか認識している。そのきっかけを作った事が自分だという事が誇らしく思えてくる程には。

「これについては直接警告しておくけど、間違っても吉原を解放したいなんて考えない方がいい。目立たず騒がず過ごしていれば、年季なんてあっという間に明ける。ただそれを待っていた方が身の為だよ」
「もし私が、吉原を解放したいって言ったら?」
「別に止めはしないよ。俺に消される覚悟があるって事だよね」

 薄く笑う終夜から感じるのは、背筋が凍るような殺気だ。

「アンタにそんな度胸がない事を祈ってるよ」

 終夜の一言で、緊張の糸が緩んでいく。動けば殺されると思うこの感覚はきっと、何度味わっても慣れる事はないだろう。明依は乱暴に息を吐き捨てた。

「だから旭を殺したの?」
「なんで?」
「吉原を解放したいって言う旭が邪魔で、殺したの?」
「だーから、俺じゃないって。その噂、誰消したらなくなるのかな」

 溜息を吐きながら物騒なことを言う終夜だが、明依はもう慣れつつあった。
 旭を殺したのはきっと、朔ではない。旭が死ぬことで一番得する人間は、旭に次いで頭領候補として名前があがっている終夜だろう。しかし、もしそうなら安易な気がしなくもない。疑われると分かっていて、安直にという言い方が正しいのかはわからないが、旭を殺すだろうか。いやそもそも、これが狙いなのだろうか。

「これで、アンタの気になってた話は終わりでいいよね。次は俺の番。聞きたいことがあるんだよ」
「聞きたい事?」
「そう、聞きたい事。じゃあ、質問するから」

 そう言うと終夜は人込みの街から明依へと視線を移して薄く笑った。身構えた明依は、少し身を引いてから視線を彷徨わせた。

「もしかして、自分が不幸だなんて思ってないよね?」

 終夜は軽い口調でそう明依に問いかけた。
 まず一番に思ったことは、見抜かれているというどこから来るのかわからない焦りだった。次に感じたのは、どうしてわざわざそんなことを質問するのかという疑問。それから、そう思っていた場合何かあるのかという恐怖。短い言葉を注ぎ込まれた脳内は、すぐにその情報を処理できなかった。

「当たりだ」

 唖然としている明依を見て、終夜は笑った。
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