造花街・吉原の陰謀

3:ただ、今を愛しく思う

 団子屋の店主に通された個室の奥に明依と日奈が座り、テーブルをはさんだ向かいに旭が座った。

「今日は俺のおごりだから、なんでも好きなの頼めよ。前祝だ」

 旭は嬉しそうにそう言った。何の前祝かは知らないが、俺のおごり、という言葉でテンションが上がった明依は、注文を取りにきた店員に思いきり団子を注文した。
 浮かれているのは日奈も同じらしい。明依と同じくらいの団子を注文すると、次に旭が注文を告げた。店員が襖を閉めて去った後、旭はそれを横目で確認してから口を開いた。

「終夜が戻ってくる」
「本当に!?」

 日奈は嬉しそうな顔をして前のめりになったが、すぐに冷静になったようでどこか暗い顔で身体を元の位置に戻して少し俯いた。
 終夜は日奈と旭の幼馴染だ。と言っても、明依は二人から話を聞くだけで、直接的に終夜の事は知らない。しかし何度も終夜の話を聞くうちにまるで自分のリアル友達かと錯覚する程度には勝手に親近感が湧いている。

 日奈が何か言いたげに口を開いたが、それと同時に個室のドアが開いて日奈は口をつぐんだ。
 団子屋の店員が「おまたせしました」と団子をテーブルに置き、「ごゆっくり」と言って襖を閉めた後、しばらく沈黙が続く。

 ただ昔馴染みの話をしているだけだというのに、まるで誰にも聞かれたくないと言った旭と日奈の様子はいつもの事だ。終夜の事を詳しくは知らない明依は、終夜の話が出るといつも聞く専門だ。しかし、見た事のない人物を勝手に想像するというのは意外と面白いものだった。

「終夜って、どんな人なの?」

 今まで何度も機会はあったし、別に今日じゃないといけなかったわけでもない。ただ、一体その終夜という人物の何が二人にそんな顔をさせるのか、何となく気になっただけだ。
 自分の中で勝手に組み立てた終夜像と照合してみたいという浅はかな気持ちも多少はあった。
 隣に座っている日奈は少し悲しそうな顔をしていたが、明依が終夜の事を口にすると驚いたような顔をした後、本当に嬉しそうに笑った。

「終夜はね、いつも笑ってるよ」
「笑ってるんだ。イメージとちょっと違う」

 明依の質問にすぐ返答したのは日奈だった。

 ちょっと、なんて言ったが、だいぶ想像と違う。
 明依の中での終夜は、ぶっきらぼうで手が付けられない様なそんな荒くれ者のイメージだった。想像の中の終夜はなぜかいつも時代遅れの短ランを着ていて、釘がいろんな方向に刺さった鉄バッドを肩にかけていて、雑草が生えまくった河川敷から想像主である明依を睨みつけていた。
 どうやらその人物像を修正しなければいけないらしい。そのままの終夜モドキを無理やり笑わせると、血まみれで眼光がさらに鋭くなり、とんでもない絵面になった。手に負えない。

「典型的な一匹狼気質で、好んで人と深く関わる様なヤツじゃないな」
「だけど、優しいよ」
「まあ、顔はあれだな……整ってるってやつだよな」

 旭はどこか悔しそうにそう言う。
 一匹狼気質の時点で既に危うかったが、顔が整っているというワードがグレた中学生の様なイメージを跡形もなく粉々にした。
 それからどういう経路をたどったのか知らないが、スーツを着こなしたとんでもないイケメンが出来上がった。スーツを着こなしたとんでもないイケメンが脳内で様々な角度から決めポーズをサービスしてくれている最中、日奈と旭は終夜との思い出話をして笑っていた。

 今までずっと終夜の事は聞いてはいけないものだと思っていた。でも、こんなに楽しそうに話す二人が見られるなら、もっと早くに終夜の話を聞いていればよかった。

「さて、さっさと本格的に吉原変える段取り組まないとな」

 旭は随分前から、この吉原を変える準備をしている。みんなが笑っていられる場所にしたいんだという旭は、いつも目を輝かせていて眩しかった。

「次の頭領にはなれそうなの?」

 日奈が旭にそう聞いた。

「絶対になる。それが吉原を変える為の最低条件だ」

 頭領になることが最低条件なんて発言を主郭の人間が聞いたら、目の敵にされるに違いない。しかし、だからこそ旭は強いのだという事を明依はよく知っていた。いつもどこか先を見据えている。

「絶対次の頭領になって、現行の制度を壊して、みんなを自由にする。ふたりが吉原に自由に出入りできるようになったら3人で、いや、終夜もいれて4人でいろんな所に行こう。季節のイベントとか、流行のカフェとか、綺麗な景色とか。とにかくいろんな所」
「うん、行きたい!」

 旭の提案に日奈はすぐに応えた。しかし明依は、私は幸せ者だな、と心の底で思うだけに留めた。
 本心からそう思える友達に出会ったからこそ、明依の中で吉原という場所はそう悪いものでもないのだ。外の世界の方が、よほど残酷だった様に思う。

 本心はどうであれ、自らの意思で吉原に来た自分が旭の提案に同意するという事は、拾ってくれた宵の恩を仇で返す事だと思っていた。

「楽しそうだね」

 そんなあいまいな返事しか出来ない自分と楽しそうに笑う二人の間が、なんだかとても寂しかった。





 明依が宵への土産の団子を買った後、用事があるという旭と団子屋の前で別れた。明依と日奈は満月屋までの道を歩いていた。

「やっと帰ってきた!黎明(れいめい)さん!雛菊(ひなぎく)さん!」

 二人でなんて事のない話をしていると、満月屋の前でキョロキョロと辺りを見回す小柄な女の子が一人。
 明依と日奈を見つけた途端に二人の源氏名を呼びながら全速力で走ってきたのは、凪という梅ノ位だ。彼女は所謂オタクだ。このテーマパークが大好きで、高校を卒業してすぐここで働くことを決めたという。
 どれだけ真っ当に働いても階級が上がらない梅ノ位には珍しく、竹ノ位である明依と日奈を敵視していない、そこそこ珍しい人物だ。

「どうしたの?凪」
「大変なんですよ!」

 そう問う明依に凪はキラキラとした目で言う。とても大変そうには見えないが、一体何が大変なのかと明依と日奈は顔を見合わせた。
 凪は日奈の肩を掴むと、ぶんぶんと力任せに前後に動かした。

「雛菊さんに松ノ位昇進の話が来てるんですよ!!」

 〝松ノ位〟。妓楼に籍を置く女性スタッフの位の一つ。源氏名の後ろに〝大夫〟という最高位の称号をつける事が許される遊女の憧れ。
 明依や日奈のいる満月屋の様な大見世と呼ばれる格の高い妓楼に籍を置く松ノ位は、この広い吉原の街にたった四人しかいない。

 日奈は松ノ位になることに憧れていた。
 だから独り立ちした今も、芸事に打ち込んでいた事を明依はよく知っている。そんな日奈の努力が実ったのだから、友達として嬉しくないはずはなかった。
 旭のいう前祝とは、日奈の昇進だったのかと納得した。

「おめでとう!日奈!」

 明依は日奈へと向き直り、団子を持っていない方の手で彼女の手を握ったが、まだ状況を理解できていないのかぼんやりとした様子で立ちすくんでいる。

「どの見世もその話で持ち切りですよ!一つの妓楼から二人の松ノ位が出るなんて、間違いなく吉原の歴史に残る出来事ですよ!」

 この造花街が作られたそれなりの歴史の中で、一つの妓楼から二人の松ノ位が出た事はない。吉原内に太夫が一人もいない時期もあったのだそうだ。
 見合うと認められたものにだけ与えられる称号。吉原の歴史に残る出来事である事には違いない。
 唖然としたままの日奈を他所に、明依と凪は浮かれっぱなしだった。

「いずれ吉原の黄金期と呼ばれるかもしれない時代にこの場所で働けているなんて……!これで吉原の大夫、つまり松ノ位は五人になる!これは歴代最高人数です!あと、」
「もう、凪ったら」

 興奮気味に語る凪を穏やかな声が制した。声の主へと視線を移せば、いつも凪と行動を共にしている朔という梅ノ位の女だった。
 いつも朗らかで落ち着ている様子の朔もまた凪同様小柄で、二人でいる様子はどこか微笑ましい。お転婆な凪のいいブレーキ役になっている。

「あ、朔。あのね今、」
「お二人ともすみません。凪が失礼しました」

 凪の呼びかけを無視した朔は、明依と日奈にぺこりと頭を下げた。

「まだ昼見世の最中でしょ?こういうのはちゃんとしないと、宵さんに迷惑がかかるんだよ。ほら、行くよ」

 そういう朔に手を取られた凪は話し足りなさそうな様子だったが、朔に引き摺られて行った。
 不意に朔が引き戸の前で立ち止まり、道を譲る様に端に避けた後にペコリと頭を下げた。引き戸から出てきながら温かい笑みを朔に向けて明依と日奈に向き合ったのは、宵だった。

「旭からもう聞いた?」
「ううん。今、凪から聞いたの」

 宵は日奈にそう問いかけたが、放心状態の日奈の変わりに明依がそう答えた。

「そうか。タイミングが悪かったね。二人が出て行ってからすぐ主郭の人が報告に来てね。……本当におめでとう、日奈」

 宵の言葉でやっと実感が湧いたのか、日奈は目に涙を溜めた。

「日取りなんかは追って連絡が来るらしいから、詳細はまた後日伝えるよ」
「……嬉しい」

 宵がそういった後、ぼそりと呟く日奈と明依は顔を見合わせた。花が咲いた様に笑顔になる日奈を見ていると、堪らなく嬉しい気持ちになってきて、力強く日奈を抱きしめた。

「先越されちゃったね」
「でも、次は明依の番だよ」

 先を越されたなんて強がりながら、この状況が嬉しくないはずがなかった。

「はーい。日奈ちゃん、おめでとさん」
「清澄さん。ありがとうございます」

 感動の空気感の中に遠慮のかけらもなく中に入ってきたのは、中年の無精ひげを生やした飄々とした態度の男。小間物屋の店主、清澄(せいちょう)だ。
 明依と日奈はどちらともなく離れて、互いに目に溜まった涙を袖で拭って顔を見合わせた後で笑い合った。

「俺も混ぜてもらおっかな~」

 そう言いながら両手を広げて明依と日奈に抱き着こうとする清澄を宵が軽く睨んだ。

「ダメですよ。彼女達に指一本でも触れたら、金輪際この妓楼へは立ち入り禁止です」
「おーおー。満月楼の楼主は怖いねェ。まるで姫君(プリンセス)を守る騎士(ナイト)の様じゃないか」

 芝居かかった口調でそう言うと、清澄は降参だとばかりに両手を上げて笑った。

「ここ最近、主郭では暗い話ばかりで皆参ってたんだ。今回の事でてっきりその話は延期になると思っていたけどねェ」

 無精ひげを触りながらそういう清澄の顔は嬉しそうだ。清澄は小間物屋を営んでいるが、それはあくまでも趣味だ。本業は吉原にある妓楼や揚屋、茶屋など、遊女がかかわる施設の管理調整を行っている。つまりは旭同様、主郭の人間だ。

「こんな時だからこそ明るい話題も必要だって、頭の固い主郭の人間もようやくわかったらしい」
「〝吉原の厄災〟ですか」

 宵は先ほどとは打って変わって重々しい雰囲気でそういう。
 その〝吉原の厄災〟とは何なのか。わからないまま状況を伺っていると、清澄が口を開いた。

「……みんな噂に踊らされてるだけだよ、宵くん。何も心配ないさ。それよりも今は喜ぼうじゃないか。やっぱり人生ってのは、楽しいに越したことはないからねェ」

 雰囲気を一掃して清澄は笑う。結局深く踏み込まれなかった内容に多少落胆している明依をよそに、宵は困った様に溜息をついて笑った。

「それはそうでしょうが……。あなたは少し楽観的すぎやしませんか、清澄さん」

 清澄の言葉にどこか呆れたように返すのは宵だ。宵はどちらかと言えば現実主義者で、彼ら二人は相入れない存在の様に思う。

「自分以外の誰かが存在している限り、変わらない事は自分(てめェ)がどれだけ頭抱えても変わらないものさ。人間は誰しも必ず死ぬんだ。だったらもっと楽観的に考えて、一秒でも長く楽しんでいる方がいい」

 もっともな意見だが、そうはっきりと切り分けできないのが人間だ。しかし清澄はいつも楽しそうにしている。彼のその考え方は模範とすべきだと明依は思っていた。
 それは宵も同じの様で、一部だけでも納得したように「まあ、確かに」と困ったように笑っている。

「あ、そうだ」

 思わぬ朗報ですっかり忘れていたが、宵に団子を買ってきていたことを思い出した。手に持っているそれは所々へこんでいるような気がした。どうすべきなのか少しだけ考えたが、宵の視線は不思議そうに明依を見ていたので後に引けず、堂々と渡す事にした。

「宵兄さん、これ。期間限定の団子も、ひとつだけあったから」

 宵は、まるで何事もなかったかのように包みを差し出す明依を見てフッと笑った。

「明依、わざわざありがとう。後でいただくよ」

 そういって包みを受け取っていつもの様に笑う宵には、やはり大人の余裕というのか、色気の様なものがある。

「いや~めでたいね!どうせ満月楼を上げてのドンチャン騒ぎは、日奈ちゃんが大夫になる日に行われるんだ。それよりも前に内々で祝いの席を設けようじゃないか」

 楼主の宵や主役の日奈をほったらかして「誰を誘おうか」「いつにしようか」と、そんな事をブツブツと呟きながら予定を立てる清澄に、他三人は顔を見合わせて笑った。どうやら清澄は、日奈が大夫になることがよほど愉快らしい。
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