造花街・吉原の陰謀

04:だから全部、雨のせい

 初対面を二人きりなんてダメじゃん、空気読んでよ。と思った明依だったが、そう思っているのは楪も同じようで、困った様な焦った様な顔をしていた。

「あの、嘘ですから。ウチの楼主はそんな人ではないので……どうか、お気になさらず」
「そうですか、安心しました。てっきりおっかない人なのかと。……では、どうぞ。こちらに」

 楪は困り笑顔でそう言うと、進行方向に手の平を向けて明依を誘導した。最初は不気味な人だと思ったが、意外と表情が豊かな人だ。

「改めて、楪と申します」

 明依に背を向けて歩きながら、彼ははっきりした口調でそう言った。

「明依といいます。源氏名は黎明ですので、どうぞお好きな方で」

 この人は裏側の人間か、表側の人間か。〝付き人〟というのだから、裏側の人間なんだろうか。それによって、話せる事も変わってくる。明依は彼からの話題を待っていた。

「黎明さんは、満月屋で働いていらっしゃるんですね」
「はい」
「あんなに大きな見世です。やはり小春屋とは、雰囲気が違いますか」
「はい。随分違う様に感じます」
「例えば、どんなところが?」
「そうですね。満月屋は従業員の数が多いです。それに所作や立ち振る舞いが厳しい分、よく言えば落ち着いています。悪く言えば少し殺伐としているというんでしょうか」

 明依と楪は、襖の開いている部屋の横を通り過ぎた。遊女の楽しそうで豪快笑い声が聞こえてくる。小春屋がこんな調子なのは、いつもの事だった。

「小春屋はなんだか、みんな楽しそう。丹楓屋をご存じですか?」
「ええ。勝山大夫のいる大見世ですね」
「そうです。その丹楓屋の雰囲気に凄く違い気がします」

 楪は一室の襖を開いて明依を誘導した。明依は頭を下げて室内に入り、腰を下ろした。楪は明依の斜め前に腰を下ろした。

「それは凄く興味深い話ですね。こじんまりとしているウチと、吉原指折りの妓楼では全く違う様に思いますが。……その要因は何なんだろう」

 楪はこの話に興味があるようで、口調を少し砕いて顎に指を添えて考えている。

「多分、上に立っている人間ではないですかね」
「というのは?」
「似ているんですよ、勝山大夫と時雨さん。豪快な所とか、自分を隠さない所とか。二人とも他人を巻き込む才能があるというか」

 きっとそんな人として素晴らしい素質を持っている人間は、どこに行っても上手くやっていける。どこか似ている素質を持った二人がいい例だと思った。

「ところで、付き人というのはどんなお仕事をするんですか?」
「時雨さんがそう呼んでいるだけで、大した仕事なんてないんですよ。言われれば部屋の掃除をしたり、予定を確認したり。その程度です」

 楪がそう言い終えてすぐ、時雨が襖を足で開けて入ってきた。盆の上には、お茶と茶菓子が三人分。

「ありがとう、時雨さん」
「すみません、僕まで」
「付き人だからな」

 楪の言葉に、時雨は冗談めいた口調でそう返した。楪はそれぞれの側にお茶と茶菓子を置いた。

「宵に入れたんだろ?」

 時雨は明依の前に腰を下ろしながらそう言う。明依はちらりと楪を見たが、彼はただ時雨の隣で黙って座っていた。投票の話は、表側の人間は詳しく知らないはずだ。何と答えたらいいのかわからないまま、だまっていた。

「楪は裏側の事を知ってる」
「知ってるって事は」
「そうそう。表側の人間なんだけどウチの見世、知っての通り管理がザルでさ。表座敷と裏座敷の区別つけなかったから、慣れない楪が間違えて入った部屋が客と遊女の真っ最中だったって訳」

 明依は自分の座敷を持っているので部屋を間違えた事はないが、酔っぱらった客が間違えて真っ最中に襖を開けたという話は聞く。間違えて入った部屋で男女が真っ最中だったら一体どんな雰囲気なんだろう。こればかりは絶対に真っ最中の方にはなりたくない。誰と誰がいつどこでどうなっていたかは墓場まで持って行くと誓うので、目撃者の方でありたいと思った。
 楪は当時の事を思い出したのか、困った様に笑っていた。

「あの時は本当に……驚きました」
「驚いたのは向こうのお二人サンだろうよ。……で、テンパってる楪を落ち着かせようと、人のいいウチの楼主のじーさんがペラペラとしゃべっちまって。本当、アホみたいな話だろ」

 時雨はそう言うと、ため息交じりに笑った。

「でも、それならどうして……」

 言葉を続けようとして明依は口を噤んだ。
 そもそも、(かげ)が見張っているのならこんな状況を逃すはずがない。表座敷と裏座敷の区別をしっかりつけないなんてもっての他だろう。

「〝生きてるの?〟って?」

 時雨の言葉に、明依は息を呑んだ。
 そう、生きているはずがない。小春屋の楼主も、時雨も。

「それは多分、運よくウチに(かげ)がいないからだろうな」
「……どうして、(かげ)の事を知ってるの?」
「お前こそどうして、そんなに吉原の裏側に詳しい」

 時雨はじっと明依を見ていた。明依は思わず身構えた。
 誘導されたのだろうか。馴染みの時雨だからと完全に気を抜いていた。お茶と茶菓子の中には、もしかして。

「試すような事して悪かったよ。安心しろ。俺はお前の敵じゃないし、その茶にも茶菓子にも毒なんか盛ってねーよ」

 時雨はそう言うと、身を乗り出して強引に明依の頭を撫でた。

「もう、やめてよ。時雨さん」
「悪かったって。ただなァ、明依。お前ちょいと知りすぎだな。いろいろと吹き込んでるのは終夜か?それとも、お前自身が望んだ事か?」

 返答に困っていると、時雨はため息を吐き捨てた。

「どちらにしても、やめとけ。ロクな事にならねーぞ」

 時雨は取り出した煙管をふかすと、煙が燻る様子をしばらくの間眺めていた。

「さっきの話だけどな。吉原って街は広い。全体を把握するには、主郭は小さすぎんのさ。だからこんな風に穴が開く。まァ、満月屋みたいに大きな妓楼は、常に見張られているだろうがな」

 そう言うと時雨は、再び煙管に口をつけた。明依は肩の力を抜き、お茶を口に含んで飲み下した。

「わかるだけでも終夜に晴朗。最悪の組み合わせだな。……で、とうとう鉢合わせて満月屋の大座敷を滅茶苦茶にする程の大喧嘩か」

 時雨はどこか楽しそうに笑っていた。それを見た明依は、少し眉間に皺を寄せた。

「笑い事じゃないよ。大変だったんだから」
「そりゃ大変だったろうよ。お前、よく生きてたな」
「……終夜が守ってくれた」

 時雨は不思議だ。どんな些細な事でも話を聞いてほしくなる。そして時雨はいつも、嫌な顔一つせず聞いてくれるのだ。

「へー、終夜がねェ」
「なんでだと思う?」
「個人的な感情じゃなくて?惚れたからとか」

 当たり前の様にそういう時雨を、明依は思い切り睨んだ。

「冗談だって。あー他に?そうだな……下心?」
「……もういい」
「何だよそれ。本気で考えたんだぞ」

 時雨はふてくされた様に顔をしかめた。

「変な詮索はやめとけよ。あの男の気まぐれだった。それでいいじゃねーか」

 よくないから聞いているのに。そう思っている明依の気持ちをわかっていて、時雨はきっとこれ以上話を深めるつもりはない様だ。明依はため息をついた後、お茶を啜った。

「旭の事だけどな」
「何か知ってるの!?」
「何も。ただ、首を突っ込むなよって釘刺しておこうと思っただけだ」
「……本当に何も知らないの?」
「知らない」
「嘘ついてない?」
「何も知らないね。どれだけ隠しても、旭を殺した犯人の情報があるなら小さくても噂話くらい回ってくる。今の所何もない。つまり、まだ旭を殺した犯人は野放しって事だ」
「……そう」

 時雨は飄々と語る時雨に、明依は小さくそう呟いた。そんな明依が残念がっている様に見えたのだろうか。時雨は何か言いたげな様子を見せた後、口を噤んで小さく息をついた。

「しかしまァ、やっと主郭も前を向き始めたって訳だ。頭領も病気でそう長くないし、終夜に任せるのは……って事でこの状況なんだろ」
「頭領、病気なの?」
「知らなかったのか?生きている方が不思議なくらいなんだと。旭がいると完全に気を抜いていたな」
「それにしても時雨さん、本当に詳しいね」
「楼主の真似事もやってると、ある程度詳しくもなるわな。……で、話を戻すが。お前は宵に入れたのか?」
「入れに行こうとして、雨が降ってきたの。だから厳密にはまだだけど。……時雨さんは、誰に入れたの?」
「俺」
「……俺?」
「だーから、俺。自分に入れたって事」

 時雨は名前の一覧表を出した。たくさんの名前がある中から時雨が指を差した場所には、確かに〝小春屋 時雨(楼主代理)〟の文字があった。てっきり楼主だけだと思っていたが、時雨もこの投票に参加しているのであれば、話は変わってくる。

「主郭には主郭なりの考えがあるんだろうが、俺は平等中立な立場でいたい。だから自分に投票しただけだ。どう転んでも頭領にはならねーし、思いの他票を取った時は辞退するから安心しろ」

 時雨はそう言うと、湯呑を掴んでとっくに冷めたお茶を(すす)った。

「お前も宵も、バタバタしたろ。旭の件が落ち着いたら顔見に行こうと思ってたんだけどな。日奈までまさかあんなことになるなんて。……それが落ち着いたらと思ったら、頭領選抜に夏祭り。吉原も大忙しだな」

 吉原の夏祭りは妓楼がそれぞれ店の前に屋台を出す。小春屋の様に小さな店は、夏祭りで提供できるだけの食材を用意できるパイプを持っている事の方が少ないので、満月屋の様な常に大口の取引先を持っている大見世に頼む事がほとんどだ。
 毎年小春屋は、満月屋にそれを頼んでいる。

「雨、止んだ様ですよ」

 今まで黙っていた楪が、静かな声で時雨にそう告げた。

「じゃあ宵の所に出発だ。明依は主郭か?」

 そうだ。主郭に投票用紙を出しに行かないといけない。そんな事は重々わかっていた。ただ、きっと雨水を吸った土はぬかるんでいるだろう。雨が止んだと分かった観光客が、ひっきりなしに道を歩いているはずだ。日にちはまだある。わざわざ今日でなくてもいいはずだ。

「ううん。私も一緒に、満月屋に行く」

 だから全部、雨のせいにして。
< 52 / 79 >

この作品をシェア

pagetop