造花街・吉原の陰謀

12:はたしてこの夜は終わるのか

「先代の吉野大夫は本ッ当に凄い人だったんです!!」

 凪は興奮に身を任せたままの状態でそういった。

「吉原に来る観光客は誰もが夢中になりました。でも、最後の花魁道中で着たこの着物が有名なのは、先代の吉野大夫が美しかったからという理由だけじゃないんです。その後なぜか、吉野大夫は自ら命を絶ったんです。連日大ニュースで、写真は勿論資料や情報なんて出回っていないのに、吉原と吉野大夫についてテレビ番組が特集を組む程大きな影響があったんです。あの白い着物は死装束で、花魁道中をすることでこれから死ぬって暗示していたという説もありますし、何かの陰謀に巻き込まれたなんて話もあるんですよ!!」

 凪はキラキラとした目でそういった後、はっと息を呑んで吉野を見た。

「ごめんなさい!吉野大夫。……私、凄く不謹慎な事を」
「いいえ、気にしないで。本当の事だもの。あなたたちの様に吉原を愛してくれている人からすると、興味の湧く話だって事くらい、私にもわかるわ」

 確かに吉野は先代と深く関わっていたのだろうからいい気分はしないだろうが、その反応は流石吉野大夫だ。

「明依お姉ちゃん!」

 出入口から聞こえた声にそこにいる全員が視線を向けると、雪が立っていた。そのすぐ後ろには野分もいる。

「雪!」

 雪は駆け出すと、明依に抱き着いた。

「いいものが見られるって教えてもらったの。だから、野分さんに連れてきてもらった」
「教えてもらったって、誰から?」
「終夜」

 その名前に、明依の心臓は大きく跳ねる。終夜は本当に、何を考えているんだろう。
 花魁道中の最中に明依がこける事でも期待したのだろうか。注目を集める事に、一体何の意味があるというのだろうか。

「明依お姉ちゃん、凄く綺麗だった。かっこよかったよ」
「雪がそう言ってくれるなら、頑張ってよかった」

 目を輝かせてそういう雪を、明依はすこし強く抱きしめた。

「雪ちゃん!久しぶりだね」

 凪がそう話しかけると雪は少し緊張した面持ちで身体に力を入れたが、こくりと一度頷いた。明依が雪から離れると、吉野は雪に視線を合わせてしゃがみ込んだ。

「私のあげた着物を着てくれているのね。嬉しいわ」
「吉野大夫のくれた着物はどれも可愛いから、みんなに褒めてもらえます。飾りもたくさんあるからみんなでお姫様ごっこをしています」
「あらそうなの?だったらこの前、とても可愛らしいデザインの髪飾りとそれに合う着物を見つけたのよ」
「勘弁しとくれ、吉野大夫。もう部屋に入り切らないよ」

 そういう野分に吉野は「あら、残念ね」と落ち込んだ様子を見せていたが、妓楼の一室が服と装飾品で埋まる程雪に買い与えたのだから当然だ。

「この子が日奈の。……へー、こりゃ将来有望だな」

 少し身を屈めながら雪をまじまじと見る時雨に驚いたのか、雪は少し身を小さくした。
 明依は時雨の胸元を強く押して雪から引き離した。

「何だよ明依」
「いや、危険な匂いがするから」
「そんな趣味ねーって。俺は大人の女と遊ぶのが好きなんだ」

 よくもまあそこまで堂々と女好きを公言出来たものだ。

「それにしても、明依。あんな立派な道中が出来るなんて知らなかったよ」
「ありがとうございます、野分さん」
「立派になったもんだね。私も鼻が高いよ。アンタは日奈の分まで背負ってんだ。気を抜くんじゃないよ」
「はい。努力します」

 明依は内心ひやひやしていた。野分が凪の前で明依が吉原に来た時の話なんてし始めれば、凪から質問攻めにあうだろう。
 明依の返事を聞いた野分は大きく一つ頷いた後、雪を見た。

「さあ、行くよ。挨拶しに来ただけだからね」

 雪は少し寂しそうな顔をしたが明依にもう一度抱き着いた後、すぐに離れて野分の側に歩いた。凪は「またね、雪ちゃん」と手を振っているが、残った全員はただ雪の背中を見つめていた。

「明依お姉ちゃん。雛菊姐さん、きっと天国で喜んでるね」

 雪はそういうと、明依の返事も聞かずに揚屋を出て行った。
 もう日奈と語り合う事も、どう思っているのか聞くことさえ出来ない。しかし、雪がそういうのならそうなのかもしれないという思いが、明依の中にある罪悪感を少しだけ拭った。

「残念だけど、そろそろ仕事に戻らないと。私もこれで。……本当に残念だけど!」

 雪の背中を見送ってすぐ、凪はそういうと皆に頭を下げた。それで帰るのかと思ったが、もう一度明依の着ている着物を目に焼き付けて「よし」と頷いて目を閉じた後、帰っていった。

「私もこれでお暇するとしましょうかね。三人とも、風邪なんてひかないように。ご自愛くださいね」

 八千代はそう言うと、もう一度明依を見てから揚屋の外へと出た。
 明依と吉野。それから時雨の三人が残った揚屋の広い玄関には、何とも言えない雰囲気が漂っていた。
 先代の吉野大夫。その人が最後の花魁道中で着た着物。先代は一体どんな気持ちでこの着物を着て、花魁道中を歩いたんだろうか。そしてどんな気持ちで自ら命を。ほんの少し、触れてみたい気持ちになる。

「あの……吉野姐さま」
「本当に凄い人だったのよ。私の姐さんは。一番の自慢だった。今でも思うの、姐さんには敵わないって」

 吉野は小さな声でそう話し始める。吉野がそういうのだ。先代は本当に凄い人だったに違いない。

「先代・吉野大夫か。覚えてるぜ。あの時はまだガキだったが、おもわず息を呑んで見惚れるくらい美しかった」
「私もまだ子どもだった。でも、時雨さんの言う通り。たくさんの人が姐さんに憧れた。そして歴代最高の金額を提示されて身請けの話が来たの。吉原の裏側は大騒ぎだった。もちろんそれは、叶わなかったけれど」

 そして自ら命を絶った。
 松ノ位が花魁道中で着る着物は、揚屋に呼びつける客が準備する。こんな恐縮するほどの白無垢だ。よほどの想いが詰まっているに違いない。

「こんなに立派な白無垢を準備したんですから、身請けたいと思っていたお客様はさぞ無念でしょうね」
「いいえ、この白無垢はそのお客様が準備したものじゃないのよ。当日この揚屋に姐さんを呼びつけたのが誰なのかわからないの。唯一姐さんだけは、この着物を準備したのが誰なのかわかっていたみたいだった。……あなたと同じ。その着物の裾を上げずに、あなたと全く同じ歩き方で最後の花魁道中を歩いていた」

 吉野は昔の事を思い出しているのか、少し目を伏せてそう言った。それからゆっくりとした動きで明依を見た後、嬉しそうに笑った。

「本当は一番に言うべきだったのに、ごめんなさいね明依。本当に素敵だった」
「ありがとうございます。吉野姐さま」

 明依がそう言うと、時雨は「よかったな」と言って明依の頭を撫でた。彼は優しい顔で笑っていた。

「時雨さん!!!」

 そう大きな声で叫びながら揚屋の中に入ってきたのは、小春屋の遊女だった。

「おー。どうした、そんなに焦って」
「時雨さん!大変なんだって!!とにかく、一緒に来て!!」

 小春屋の遊女は焦った様子で時雨の手を引くが、時雨はすぐにその場を動く気は無さそうだった。

「はァ?なんだ急に。理由くらい言えよ」
「楪くんが死んだって!!誰かに殺されたみたい……!!早く帰ってきて!!」

 縋る様に叫ぶ小春屋の遊女の声を聞いた後、明依の頭の中には終夜の顔が浮かんだ。
 明依に花魁道中をさせた理由。時雨を客寄せに使った理由。それらが全て、パズルのピースの様にはまっていく。

「時雨さん……私、」
「お前のせいじゃない」

 明依の声をかき消すようにそういった時雨の声は、ほんの少しだけ余裕が無さそうに聞こえた。

「いいか、明依。俺と楪はもともと今日の午後は別行動の予定だった。それに、この花魁道中は俺が終夜から直接話を持ち掛けられて、俺の意思で受けた事だ。お前が気に病む必要はどこにもない。いいな?」
「でも、」
「いいなって聞いたろ。返事は?」

 時雨は明依に顔を近付けて詰め寄ると、黙って明依の返事を待っていた。

「……わかった」

 時雨は返事を聞くと、明依の頭にポンポンと手を置き「またな」と呟いて足早に揚屋から出て行った。

「時雨さんの言う通りよ。あなたのせいじゃないわ、明依」

 吉野はそう言うと、明依の肩に手を置いた。
 十中八九終夜が犯人だろう。楼主の宵でさえ、終夜が座敷の中から告げて初めて花魁道中をする現状を知った反応をしていたのだ。観光客の目が一心に集まる花魁道中を利用できるのは終夜以外にいない。今までと同じなら、きっと終夜が犯人だと断定して騒いでいただろう。しかし、今の明依にはそれが信じられなかった。利用されたのだろうか。

「着替えをしたら、満月屋に帰りましょう」

 そういう吉野に、明依は大した返事をすることもなく立ち上がった。揚屋の一室に誘導された後、明依はぼんやりとしたまま着替えを済ませた。
 揚屋の店員に挨拶をした後、吉野と一緒に来た道を歩いた。普通に歩けばさほど遠くはない距離だ。時間なんて五分の一もかからない。道中の際に極限まで集中していたからか、それとも今この心理状況が特殊なのか。先ほどよりも随分と距離がある様に感じた。
 明依が顔を上げると、観光客の誰もが張見世をしている着飾った女の子に夢中になっているか、吉原の景色を眺めていた。
 吉原の中の写真は一枚たりとも出回っていないので、大夫の顔は直接見るまで分からない。直接見ると言っても、一般人には派手に着飾った花魁道中以外に機会はないだろう。そのためか吉野が通常の着物を着ているときに一緒に外へ出ても、話しかけられた事なんてなかった様に思う。そういえば終夜は、以前スマホで明依が格子にしがみついている写真を撮っていた。あんなのが主郭にバレたら、終夜はどうなるのだろう。いや、あの男ならそれをわかっていて挑発する材料に使いそうなものだ。
 どこに行けば終夜に会えるのか、わからない。そういう男だと知ってるくせに。朔が終夜の手によって始末される様子を、目の前で見ておいて。
 そんなことを考えて、明依はため息をついた。

「明依、お疲れ様。本当に見事だったよ」
「ありがとう、宵兄さん」

 満月屋の出入り口。いつもの調子でそういう宵に、明依は今の精一杯で笑顔を作った。

「明依のせいじゃないよ。時雨もそう言わなかった?」

 そして今度は心配そうな顔をしてそういった。

「報告します」

 後ろから聞こえた声は、主郭から派遣されたであろう男だった。

「明依、疲れただろ。部屋に戻って休んでおいで」

 明依は宵の言葉にうなずいた後、満月屋の中に入った。

「小春楼の楪を含めて、三人の遺体が見つかっています。警戒しておくようにと叢雲さまから」
「わかりました」

 明依は胸が抉られる様な錯覚を覚えながら、部屋までの道を歩いた。
 あの男のやりそうな事じゃないか。それなのに〝俺じゃない〟と目を見て言ってほしい気持ちになる。自分は一体、終夜にどんな気持ちを抱いているんだろう。
 明依は自室の中に入り、襖をしめて顔を上げた。
 正面にある障子窓の前の床板に、終夜が座っていた。

「おかげで楽だったよ。感謝しないとね」

 明依が何を言うより先に、終夜はそう言った。

「……終夜が殺したの?」
「そうだよ」

 そういうと終夜は綺麗な顔で明依に笑いかけた。

「俺が殺した」

 はっきりとそう断言され、今までかかっていたフィルターが急に外れた様な感覚だった。

「私を利用したって事?」
「使えるものは都合よく使う。当たり前だろ。……あれ?もしかして俺が良いヤツだなんて思い直してた?」

 終夜は挑発的な口調でそう言う。
 こんな男だと知っているはずだったのに。

「チョロいよ、本当。柄にもなくアンタの()(さき)が不安になってくるくらい」

 立ち上がった終夜は明依の側に歩いて来ると目の前で足を止めた。終夜はまるで口付けようとしているかと思う程ゆっくりと明依に顔を寄せた後、ピタリと動きを止めて明依の目を見た。

「曲がりなりにも吉原が誇る遊女サマだろ?ダメだよ。自分の心まで男にいい様にされてたら」

 明依は終夜の頬を叩こうしたが、それはあっさり終夜に手を握られた事によって止められた。

「どうしてそんな簡単に、人を殺せるの!?」

 きっと本当は、そんな事を口にしたかった訳じゃない。そう叫んだ途端に沸き上がる感情は、怒りじゃなかった。比べ物にならない程に穏やかな色なのに、怒りよりも激しく胸を締め付ける。
 大座敷の中では守ってくれた終夜から、日奈と旭が触れていた終夜という人間に触れられた様な気がした。それなのに、今はどうだ。この気持ちの全てを余すことなく終夜に伝える術を知らない。

「それは俺が、どうしてそんな簡単に股開けるの?って聞いてるのと同じだよ」

 そうだ。この感覚だと明依は妙に納得していた。ひらひらと交わされる。
 もどかしさに唇を噛みしめると目に涙が溜まっていくのが分かった。それがどうにも悔しくて、明依は終夜を見ない様にして袖口でさっと目元を拭った。
 そういう人間なんだ、終夜という男は。何度もそう言い聞かせた。

「……何がしたいの?」
「何も知らなくていい。関係ない事だよ」

 終夜はそう言うと明依の手を離した後、明依の目に溜まった涙をさっと袖口で拭った。
 それから襖を開けて部屋の外へと出て行った。

 明依はそのまましばらくいろんなことがぐるぐると頭の中を回っていた。
 気付けば障子窓は、オレンジ色に染まっている。
 明依は文机の上に置いてあった投票用紙を引っ掴むと、部屋を飛び出した。

「明依!どこに行くんだ」

 そういう宵の声も無視して、明依は満月屋を飛び出して主郭までの道を走った。石段を駆け上がり、重苦しい雰囲気でたたずむ主郭の門前で投票箱を片付けようとしている男達に投票用紙を差し出した。

「あの……!これも、入れてください」

 肩で息をしながらそういう明依に、男たちは顔を見合わせた。

「ああ、わかった」

 一人の男がそう言って、明依から宵の名前が書かれた投票用紙を受け取った。
 明依は頭を下げた後、とぼとぼと以前転がり落ちた主郭の石段を降りた。そして中間地点でへたり込むように座ると、自分の膝に顔を埋めた。
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