造花街・吉原の陰謀

14:主郭の意思

 主郭の一室の中。清澄や終夜の席も埋まる中、到着した宵と時雨は促されるままその場に座った。宵はいつも通り凛とした態度で座っているが、時雨はどこか納得のいかない様子だ。

「絶対等級制度での評価の結果、獲得票数一位が宵、そして三位が時雨。まずはおめでとう。……今回の頭領候補の件については、頭領には既に話を通してある。そして、上位三位までを対象にするのであればこの制度での評価を許可するとの事だ。それが本当に頭領の意思かは知らないが」

 そういう叢雲に、終夜は涼しい顔を崩さなかった。

「お前達二人の気持ちを聞きたい」
「俺は遠慮するわ」
「宵、お前はどうだ」
「お受けします」

 時雨と宵の言葉に炎天は大きく一つ頷いた。

「思い通りに事が運んだ気分はどう?」

 鼻で笑った後でそう言う終夜を見た炎天は、彼がニコリと笑う様子を厳しい顔で見つめた。

「自分が準備した花魁道中が他人の評価に繋がった気分はどうだ?終夜」
「最悪の気分だね」
「お前は吉原で無実の人間を三人も殺した。何のお咎めもないまま終わると思うなよ」
「俺が殺したって証拠はどこにもないだろ」
「お前は証拠なんて残さない」
「じゃあ、俺じゃないかもしれないって事じゃない?」

 いつもの調子で飄々とそういう終夜に、炎天は舌打ちをした。叢雲は「炎天」となだめた後、終夜を見た。

「頭領同様、お前も上位三名を対象とすべきとの判断だったな。その理由を聞かせてもらおうか」
「話すまでもない事だろ。本当、これだから」

 その先に続くであろう侮辱の言葉を想像しての事か、叢雲と炎天は終夜を睨んだ。

「例えば、宵が死んだらどうするの?一般人に戦闘力は皆無だよ。宵がどれだけ対人で立ち回れるか、確認した?旭の件で一度痛い目を見てるのに、どうして何も学ばないの?」

 そういう終夜に、しばらくは沈黙が続いた。叢雲はため息を吐き捨てた後、口を開いた。

「俺達が全力で守っていく」
「俺だったら、全力のお前達だって殺せるよ」
「僕もいけると思います」

 終夜が叢雲の発言に間髪入れずにそう言うと、晴朗は笑顔を張り付けて手を挙げた。それを見た終夜はどこかげんなりとした様子を見せた後、叢雲に視線を移した。

「だってさ。教育するなら一人も二人も同じ事だろ」
「何で俺まで。……巻き込むんじゃねーよ、終夜。あの花魁道中でいいように利用したかと思えば、今度は次代頭領か?ふざけんな。全部お前の仕組んだ事なんだろ」

 はっきりとそう言い放つ時雨に、叢雲は大きく頷いた。

「本人が嫌だと言っている。一度検討すべき事なのではないか?」
「何言ってるの?これが絶対的な〝主郭の意思〟だろ?」

 そういう終夜に、叢雲は押し黙った。頭領の息子。暮相を吉原から追放したときに彼らが使った言葉も、〝主郭の意思〟という表現だった。

「満月楼・黎明の花魁道中。確かにあれは見事だったよ。俺が想像していたよりずっとね。だからあれが宵の吉原での評価をさらに大きくした事実を否定するつもりもない。だけど、時雨はその黎明の隣を歩いていた。あれが時雨の投票結果にどう影響しているのかわからない以上、平等に考慮すべきだ」
「考慮なんてしてもらわなくて結構だ。俺はあの妓楼が気に入ってるんでね。ほかの妓楼に移る気も、ましてや主郭に所属しようなんて気はさらさらない」
「俺はお取り潰し間近だった小春楼を、大盛況の見世に変えた事を評価してるんだ」
「別にお前の評価なんて、」
「それにしてもさァ、時雨。アンタの所の楼主は本当に慈悲深い人間だよね。感服するよ」

 明らかに何かを含んだ言い方をする終夜に、時雨はどこかぶっきらぼうな態度を一瞬にして引っ込めた。

「どこの妓楼でも輪を乱してお払い箱になったアンタを唯一受け入れ、信じてそこまで更生させたんだから。でも、それを言えば暮相兄さんの存在もアンタを語る上では欠かせないのか。今はもう、いないけど」

 時雨は挑発的な口調の終夜を睨むが、彼はいつも通り飄々とした態度を崩さなかった。

「時雨。アンタの守りたいものを、もう一度よく考えなおした方がいい。今回はたまたま対象じゃなかっただけだよ。もう自分の無力さを呪いたくないでしょ?」

 時雨は舌打ちをした後、「わかったよ」と心底納得いかないという口調で呟いた。

「ほ、報告致します!!」

 様子を伺っていたのか、小さく開いた隙間から意を決したと言わんばかりの声で男はそういった。

「それは火急の要件か?」

 叢雲がそう言うと、男は背筋をピンとのばした。

「はい……!身元が判明致しました!!先日何者かによって殺されたと思われる、三人の身元が……」

 男は段々おとなしくおどおどした様子に変わっていき、チラチラと終夜を横目で見た。

「そんなに凄むなよ、叢雲。怖いってさ。……で、その三人の正体は?」

 終夜は穏やかな口調でそう言うと、男に発言を促した。男は終夜の視線に明らかに叢雲の時よりも怯んだものの、すぐにまた背筋を伸ばした。

「警察官です。三人とも」
「何……?」

 炎天は間髪入れずにそういうと、信じられないと言った様子で終夜を見た。終夜は薄ら笑いを浮かべたまま男を見ていた。叢雲はしばらく考えるそぶりを見せていたが、顔を上げて男を見た。

「その三人と雇用契約を交わす前、経歴を辿って確認はしてあるんだろうな」
「はい。マニュアルに沿って、不備なく完了しています」
「怪しい所はなかったのか」
「何もありませんでした」
「へ~。そっかそっか。吉原で()()()によって殺されたあの三人は警察官。つまり、潜入捜査官だったんだ。どうなってたかな?あの三人が生きていて、吉原の裏側の情報をせっせと国に運んでいたら」

 終夜はわざとらしい口調でそう言うと、叢雲と炎天を交互に見た。座敷の中は、一瞬にして不穏な雰囲気が流れた。

「危なかったね。主郭が頭領選抜とこれから始まる夏祭りに夢中になっている間にも、国は着々と全面休園に向けて吉原を乗っ取る算段を付けていたって事だ。あ、そうか。吉原の外に出たタイミングで主郭の人間が殺される予兆はあったもんね。確かにこの上ないチャンスだよね。観光客がいない分、多少暴力的な行動を取っても被害は最小限に抑えられるんだもん」

 終夜はそれから、時雨に視線を移した。

「特に小春楼の楪なんて、楼主代理の付き人をしていた。主郭の少し深い情報くらいなら、易々と報告出来ただろうね。例えば、吉原休園時の警備の規模や配置とか。それがバレたら、強行突破だったかな?とりあえず、最悪の状況は防いだ訳だよね。よかったよかった」

 シンと静まり返った座敷の中、終夜は場違いな笑顔を浮かべていた。主郭の面々を視線でなぞった後、終夜は笑顔を消した。

「だから言ったろ。もっと疑って、ふるいにかけてもいいくらいだって。俺はこの絶対等級制度とやらにも納得していない。お前達が目先の事ばかりに囚われて、深く考えないまま提案した結果支持を得た。無理に押し通せば反乱でも起こしそうな勢いだから譲っているだけだ。そうなれば、外部からの刺激に対応できない」
「……この件については終夜、お前の言う通りだ。感謝する」

 叢雲は決まりが悪そうにそう呟く。叢雲の珍しいその様子に、宵と時雨は互いに目配せをした。

「しかし、今までお前は好き勝手にやってきた。何の材料もなしに信じろと言うのは無理がある話だろう」
「訳の分からない人間に一か八か賭けるよりも、よっぽどマシな選択肢だと思うけどね」

 全員が黙っている中、終夜は宵を見た。宵が睨むような視線を向けると、終夜は口角を上げた。

「僕もそう思いますね。少なくとも抑止力にはなり得る。いつでもどこでも仲良しごっこでは、組織は回らないのではないですか」
「珍しく気が合うね」
「僕は結構、あなたと気が合う方だと思いますよ」

 にこやかな笑顔でそういう晴朗に、終夜は勘弁してほしいという気持ちを隠さず表情に出して彼から視線を逸らした。

「そうなる方がお前に都合がいいからではないのか。終夜」
「……もう本当、面倒だね。いっそ生き残った人間が決めるって事にしてほしいくらいだよ」

 責める様な口調でそう言い放つ炎天に、終夜は表情を消して圧をかける様な雰囲気を出す。辺りはまた、シンと静まり返った。

「アンタらさ。暮相が吉原を解放したいって言った時、何て言った?」

 沈黙を裂くように時雨はそういうと、叢雲と炎天と清澄を見た。

「頭領が反対したから、主郭の意思に反するって言ったよな。それで?暮相は死んで、頭領が大人しくなった結果、旭が吉原を解放したいって言い出したらそれを擁護して?今度は宵をゴリ押しか?本当に都合がいいのはどっちなのか、一回ちゃんと考えた方がいいんじゃねーの?」

 いつもの雰囲気はない。時雨はまるで恨み事を吐き捨てているかのように、重たい口調でどこまでも冷たくそう言い放った。それから時雨は深く細く息を吐いた。

「叢雲さんも炎天さんも吉原の為によくやってると思うし、清澄さんと飲む酒は美味い。俺は、アンタら一人一人は嫌いじゃねーよ。でも、アンタらの考え方は、絶対に好きになれない。この空間にいるだけで虫唾が走る。……人間、そう簡単には変わんねーよな。アンタら、何も変わってねーよ。暮相を吉原から追い出した、あの頃と」

 時雨はそういうと、今度は終夜を見た。

「正直、楪には情も湧いてた。事情が事情だ。何も言えないが、納得もしちゃいない。それなのに……俺は狂ってんのかね。お前の方がまだ幾分かマシに思えるわ、終夜」
「時雨、貴様!!この期に及んで吉原の厄災を擁護するか!!」
「落ち着け、炎天!」

 声を荒げて今にも時雨に掴みかかろうとする勢いの炎天を、叢雲は必死に止めた。

「炎天さん、落ち着いてください……!」
「少し批判されたぐらいで(わめ)くな」

 宵が焦った様子で立ち上がるより前。終夜は炎天の前に立って刀の切先を彼の喉元に向けていた。

「黙ってろよ。話が進まないだろ」

 晴朗は膝元を確認した後、二本あったはずの刀が一本ない事に気が付くと、笑顔を張り付けて終夜を見た。

「こんなヤツがいるから、多少暴力で解決しても仕方ないって思考はいつまで経ってもなくならない。アンタらのグダグダ長い会議は大嫌いなんだ。……ほら、さっさと話し進めてよ」

 終夜はそう言って炎天の隣にいる叢雲を見ると、彼は少し間を開けた後で宵と時雨を見た。

「……二人には今日から、主郭への出入りを許可する」

 叢雲はどこか動揺した様子でそういった。言葉を聞き終えた後、終夜は炎天に向けていた刀身を下げた。

「質問をしてもいいでしょうか」
「ああ。何だ」

 叢雲はまだどこか本調子ではない様子で、宵へ発言を促した。

「旭が進めていた吉原の解放の話は、」
「おい」

 宵の言葉を強い口調で遮ったのは終夜だった。終夜のこれまでとは比べ物にならない程重苦しい雰囲気に、主郭の人間はさらに気配を消そうと息を呑んだ。

「夢は眠って見るものだ、宵。口にするな。吐き気がする」

 終夜はそう言って、宵を見た。明らかに肌で感じる終夜の殺気に警戒をしていないのは、晴朗と宵だけだった。

「俺はただ、状況を確認しようと思っただけだよ。何か気に障ったなら、理由を教えてくれないか。終夜」
「黙ってお飾り楼主の立場に収まっていればよかったのに。少しはマシな死に方ができたかもね」

 終夜はそう言うと、宵の方へと身体ごと向き直った。

「逃げないの?もしかすると、まだ間に合うかもよ」
「おい、晴朗……!」

 宵に身体を向けた終夜に焦ったのか、叢雲は用心棒としてこの場にいる晴朗の名を呼ぶが、当の本人は動く気すらない様で胡坐をかいたまま二人の様子を眺めていた。

「今ここで、俺を殺すのか?」

 宵はどこか、いつもより冷静な態度で終夜にそういった。宵のその態度は、明らかにこの座敷の中では異色だった。

「いや。今じゃない。お前は一番最後だ。でも、必ず殺す。……一回言ってみたかったんだよね」

 終夜はそう言うと、刀身を鞘に納めた。

「首を洗って待ってろ」

 宵に向かってそう吐き捨てた後、終夜は笑顔を張り付けて刀を晴朗に向かって投げた。晴朗はそれを軽々と受け取ると先ほど同様、膝元に置いた。

「もう一度言う。俺は絶対等級制度には反対だ。これは最後の警告だよ。後の事はもう、各々自己責任だ。手加減はしない」

 終夜はそういうと、座敷から出て行った。
 シンと静まり返った座敷の中で、最初に口を開いたのは叢雲だった。

「……今日の所は解散にしよう」

 そういうと、主郭の面々はぞろぞろと立ち上がっては座敷の外に出て行った。

「おい」

 何事もなかったかのように隣を通り過ぎる晴朗を、叢雲は一言で制した。

「何の為にこの場にお前がいるんだ、晴朗」
「怪我人はいません。つまり僕は必要なかったという事です」
「あの状況で刀すら手に取らないというのは、一体どういう了見だ」
「終夜はその気じゃない。という僕の判断です。それとも、小心者のあなた達のささやかな不安を拭う事も、僕の仕事内容なのでしょうか」

 眉間に皺を寄せる叢雲を気にも留めず、晴朗は宵に向かって笑顔を作った。

「それでは楼主。また、満月楼で」

 晴朗が出て行った座敷の中には、宵と時雨。それから叢雲、清澄、炎天だけが残った。

「……時雨。頭領選抜の件、巻き込んですまないな」
「本当だぜ、叢雲さん。勘弁してくれよ」

 時雨はそう言いながら、溜息を吐き捨てた。

「今回ばかりは、一度考え直そう」
「何をいまさら。あの男の思うツボだ」

 どこか焦った様子でそういう清澄に、炎天はいら立った様子でそういった。

「宵くんと時雨くんの命に係わる事だ」
「俺はこのまま話を進めてもらって構いません」

 清澄と時雨は宵の発言に目を見開いて彼を見た。宵はいつもの穏やかな様子を崩さない。

「どうせ終夜から命を狙われる未来は、回避できないでしょうから」
「そんな……」

 当たり前の様にそういう宵に、清澄は二の句が継げない様子だ。

「もう一度、話し合おう。終夜くんは話が分からない人間じゃない」
「今まで一度でもまともに、あの男と話し合いが出来た記憶があるか。清澄」

 叢雲にそう言われた清澄は、眉間に皺を寄せて押し黙った。

「一方的な命令、支配で終わる。俺達の考えなんて考慮もしないだろう。今でさえそうなんだ」
「あの男が頭領になれば、独裁が始まる。それが吉原にとって、何の得になるんだ」

 叢雲と炎天がそう口にすると、清澄は俯いて拳を握った。

「でも今回の件は、終夜がいなかったら本当に危なかったんじゃないのか」

 沈黙を裂いて時雨がそう言うと、炎天はすぐさま鼻を鳴らした。

「簡単なことだ。吉原が無くなって困るのは、あの男にとっても同じことだろう」
「炎天さんアンタ、本当に終夜が嫌いだな」
「あの男は頭領に拾われた身だぞ。あんな身勝手な振る舞いをしていいはずがない。俺は忠義を尽くさないヤツは大嫌いだ」
「じゃあ終夜の警告は無視して、このままこの話を進めて吉原休園を狙ってドンパチやるって事なんだな」

 そういう時雨に対して叢雲と炎天、それから清澄が黙っていると、時雨は「なるほどね」とたいして興味も無さそうに呟いて立ち上がった。

「今後の方針もこれで決まりなら、もう話す事もないだろ。帰るぞ、宵」
「ああ」

 時雨はそう言うと、先に座敷を出て廊下を歩いた。

「では、俺もこれで。何かあればまた、連絡をください」

 宵はそう言うと廊下に出たが、既に時雨の姿はなかった。小走りで廊下を走った後、宵が時雨に追いついたのは主郭の門を出た辺りだった。

「帰るぞって言っておいて行くのか?」
「お前が遅いからだろ」

 冗談交じりの口調でそういう宵に、時雨はどこか上の空と言った様子で返事をした。

「それにしても時雨。よくあの三人の前で、終夜の方がマシなんて言えたな」

 宵は笑いながら言うが、時雨はそれに対して返事もしないまま宵より数段先の階段を降りていた。

「俺はお前を友達だと思ってるよ」
「何だ急に。気持ち悪いな」

 立ち止まった時雨は真剣な口調でいう。宵は時雨を追い越して、彼よりも数段下で動きを止めて振り返った。

「吉原から逃げろ、宵。死ぬぞ」

 どこか冷たくも見える程真剣な様子の時雨に、宵は少し困った様に笑った。

「そんな無責任な事、できるわけないだろ」
「あの終夜相手に、何の勝算があるんだ?」
「勝算なんてない」
「じゃあどうしてそんなに平然としていられるんだ?」
「そう見えてるだけだよ」
「……なあ、宵。お前さ、何者だ?」

 時雨と宵はどこか真意を探る様に、ただ黙って互いを見ていた。

「その質問に俺は、どう答えたらいいんだ?」

 時雨をまっすぐに見つめたままそういう宵を見て、時雨はふっと笑った。

「愚問だな」

 そう言うと時雨は足を進めた。そのまま宵の隣を通り過ぎ、軽く手をあげた。

「じゃ、またな。宵」

 宵はしばらく、遠くなる時雨の背中を見ていた。
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