造花街・吉原の陰謀

05:思い込みすら殺して

「ごめんね、期待しちゃった?」

 終夜は明依に向かってニコリとほほ笑むと、愛嬌のある様子でそういった。

「期待したって言ったらおとなしく殴らせてくれるなら期待した」

 明依がそう言うと終夜は少し目を見開いたが、それから短く乾いた笑いを漏らす。

「可愛くな」
「別に可愛くなくていいから」

 明依はそう言うと殴ってやろうと終夜の胸ぐらを掴んでいる腕を少し引き寄せた。

「待って待って。嫌なら振り解けばよかったのに、そうしなかったって事はお互い様だろ」
「それが盗聴器を仕掛けた人間が言うセリフ?アンタの言うお互い様は、一体どれだけアンタに都合がいいの?」
「だって、状況把握しときたかったんだもん」

 何が、だって、だ。何が、だもん、だ。
 顔面でゴリ押しして可愛い言葉言っとけば許されると思うなよ。やっぱりこの男の事をぶん殴ってやりたいし、その殴った拳で心のどこかでほんの少し可愛いと思った自分もブーメラン方式でぶん殴りたい。

「一応、悪かったなーとは思ってるよ」
「何が?」
「一般人相手に手段を選ばなかったこととか。あと、バレなきゃしてないのと一緒って思ってたところとか?それから夕霧大夫がいなかったら、アンタは今も盗聴器ぶら下げたままバカ面で街を歩いてるんだろうなーって思ってることとか」
「言いたい事は山ほどあるけど、もう何も言わない。気が済むまで殴らせて。全部許してあげるから」
「それ、全然許されてないじゃん」

 終夜の生きている世界では、盗聴器を活用するなんて普通なのだろうか。怒りと並行してそんなことを冷静に考えていると、宵が終夜の胸を掴んでいる明依の手に触れた。

「明依、落ち着いて」

 我に返った明依は、宵に手を握られる感覚を感じながら、しぶしぶ終夜の胸元から手を離した。

「説明してくれ、終夜。どういう事だ」
「プライベートな事だよ。楼主サマのお耳に入れる程の話じゃない」
「はぐらかすな。裏通りで明依に刀を突き付けたと聞いてるよ」
「へ~。……誰から?」

 終夜は宵から明依へと視線を移した後、どこか意地悪な笑みを浮かべて宵にそう問いかける。

「一人しかいないか。ねっ?」

 終夜はそう言うと、同意を求めるように明依を見た。
 ほんの少し痛む心には、今は知らないふりをする。まずは自分の宵に向ける感情について考えなければいけない。でもそれは別に、今じゃなくていい。

 旭と日奈が死んでからというもの、宵の前ではいつも感情のコントロールが出来なかった。全て宵に任せていた。雰囲気も、流れも、何もかも全て頼り切りで。終夜の言葉一つで、感情の全てが揺れていた。
 まだ〝自分の軸〟なんて大層なものは持っていない。ただ、他人の言葉に感情の全てを委ねなければいけない程、自分の気持ちがない訳じゃない。
 何より、自分の味方すらしてあげられないなんて、自分が可哀想だ。終夜の前にいると、夕霧の言わんとしている事がよくわかる。

「宵兄さん。終夜が私の首元に刀を突き付けたの。すごく怖かった」

 宵と十六夜の関係がどうであれ、終夜の味方というわけでもないのだ。
 気分を害された腹いせと言えばそれまでだが、この男の思い通りになっている現状が気に入らないのは以前から変わらない。
 淡々とした口調に少し可愛らしさを混ぜる明依を、終夜は唖然とした様子で見た。

「怖いのはこっちだよ。何、可愛い子ぶってんの?」
「別に可愛い子ぶってなんていないけど」
「アンタのせいで、危うく無駄に人殺す所だった。謝罪してほしいくらいなんだけど」
「こういうのは先に手を出した方が悪いの」

 そういってそっぽを向く明依を睨んだ終夜は、舌打ちを一つする。それから溜息を一つ吐き捨てると宵に向き直った。

「だいぶ可愛げはない女だけど、楽しく二人で遊んでただけだよ」
「刀で脅しておいて、遊んでた?随分悪趣味だな」
「俺の趣味を否定しないでほしいなァ。無趣味よりマシだろ。趣味趣向がはっきりしてるって事は、自分がしっかりしてるって事だ」

 終夜ははっきりとそう言い切る。なんだか変なヤツだという印象が強いが、やはり考え方を含めてしっかりしている。
 時々感じる終夜への違和感は、きっとこのちぐはぐさにある。狂っている様に見えて、誰よりもしっかりと自分の軸を持っている。今ならそれが、よくわかる様な気がしていた。

「あ、大丈夫だよ。一緒に行くから。どうせこれから俺も行かないといけないし。不安なら俺が帰りもここまで送ってきていいよ」

 終夜の言葉に、宵は少し眉を潜めた。何の話か、状況が理解できないのは明依だけの様だ。

「アンタが満月楼に戻ってきたら丹楓楼に来るようにって、勝山大夫から」
「俺と一緒に行こう、明依」

 終夜の言葉の後で間髪入れずにそういう宵に、終夜は呆れたように笑った。

「いいよいいよ。どうせ俺は丹楓楼に様子を見に行くんだから。それとも、何?この人利用して、十六夜に会いに行こうとしてるとか?」

 もし二人がそういう関係だったとしてもだ。仕事中に宵がそんな理由で丹楓屋に足を運ぶなんて絶対にありえない。
 おそらく終夜もわかっているはずだ。宵がここでどう口を開いてもいい方向に転ばない事をわかっている。この男は、本当に口がうまい。
 しかし、その事を除外しても、宵は今目が回る程忙しいという事は明依にはわかっていた。イベントの時はいつも忙しそうにしている。吉原のイベントの中で、夏祭りは大きなイベントだ。

「大丈夫。終夜と行くよ。人通りの多い場所を通っていく」
「俺の事なら気にしなくていい」
「宵兄さん、ごめんね。でも悪く思わないでほしい。私、終夜と話がしたいの」

 『誰とどんな人間関係を作るのか、それは明依の自由だと思ってるよ。でも、正直に言うと終夜にこれ以上関わってほしくない』
 はっきりとそういった宵に対して、これは裏切りだろうか。『終夜の事を信用しているのか?』と言われた時、ありえないと答えておいて、これは裏切りだろうか。
 終夜が吉原の人間から命を狙われる未来。カウントダウンはもう、とっくに始まっている。
 だから、終夜と話がしたいと思う。この男は人に紛れる程、考えている事が分からなくなっていく気がする。だから、二人で話がしたい。機会があるなら、一度でも多く終夜という人間に触れてみたい。それが誰の影響も受けていない、純粋な明依自身の本心だった。
 自分の中では今、結構な決断をした気になっていた。しかしそんな状況を、終夜は一人だけ楽しそうに眺めていた。

「アンタの着せ替え人形には自我が芽生えつつあるみたいだよ。コントロールできなくなっちゃうね」

 『遊女のコントロールも大変だね』
 以前終夜がそう口にした時、心の奥底まで深く抉られた様な気がした。
 やっと少し、本当の意味で自分というものが分かった様な気がするのだ。簡単な判断基準だ、こんな時自分はどうありたいのか。
 自分は負けず嫌いで、言われっぱなしは性に合わないという事が今日で嫌という程よくわかった。その判断には終夜も、宵すらも必要ない。

「アンタの思い通りになるつもりもないから」

 明依は踵を返しながら終夜を睨んだが、彼は何食わぬ顔で宵を見ていた。

「じゃあ俺達は、ちゃんと仲良く人通りの多い場所を通っていくよ。じゃあね、宵」

 そう言うと終夜は先を歩く明依の手に指を絡めて隣を歩いた。
 明依は混乱したが、すぐに平常心を取り戻して自分の手を握る終夜の手首を握った。しかし、びくともしない。

「何してるの……?」
「手、繋いでる。仲良さそうに見える?」

 平然とそういう終夜の手を握ったまま、力を入れて歩く事を拒んでみてもそのまま引きずられるだけだった。

「もう本当、バカじゃないの!?はなして!!絶対ぶん殴ってやるから!」
「じゃあ後で大人しく殴られてあげるよ。だから今くらいさ、黙ってこうしててよ」
「……なんで?」
「なんでって……わからないかなァ。アンタが黙って俺の隣を歩いてるこの状況が、宵に対する最大の嫌がらせだからに決まってるよ」

 先ほど自分の軸がしっかりあるなんて思ったが、全て撤回した方がいいのかもしれない。本当にこの男はどうしようもなく救いようがないくらい性格が悪い。明依はため息を吐き捨てた。
 なんでこんな男に協力しないといけないんだと思う反面、抵抗してもどうしようもない事を知ってるので、結局終夜の隣を歩く選択肢しか残されていなかった。
 犬の散歩だと思え。常に態度はふてぶてしくて可愛げはないし、躾ミスって言う事なんて聞かない。狂暴ですぐあちこちに喧嘩を吹っ掛ける大型犬だけど、顔面だけは可愛い犬だ。明依はとりあえずしばらくの間はそう言い聞かせて自分を騙す事にした。

「まず時雨の所ね」
「なんで?」
「一応満月楼と提携を結んでる形になってるから。様子を見るだけ」

 不意に終夜の手を放そうと試みるが、終夜はそのタイミングで明依の手を強く握って放そうとはしなかった。
 何度も何度もそのやり取りが続いた結果、終夜は盛大に舌打ちをした。

「しつこいな」
「しつこいのはアンタの方ね!!」

 明依は再び終夜から離れる事を諦めて、手を繋いだまま先を歩く終夜の背中を見た。こうしていると、他の観光客と本当に何一つ変わらない。
 日奈と旭の話だと、終夜は人に深く関わる様な人間ではないし、昔から吉原の厄災と呼ばれて恐れられていたのだろう。
 この浮世離れした賑やかな街を眺めながら、何を思っているんだろうか。小さい頃からずっと、賑やかなこの街で、たった一人で。

 明依がそんなことを考えていると、急に止まった終夜の背中にそこそこ強く鼻をぶつけた。「ぶっ!」と可愛らしさのかけらもない声を出した明依は、鼻血が出ていないか何度も自分の鼻に触れて確認した。終夜は「間合いも把握できないの?」とドン引きした様な視線を明依に向けていた。
 小春屋の従業員は終夜を見るとおびえたように店の中に入っていく。これじゃあ、様子を見るどころか圧をかけに来ている様なものだ。

「何やってんだお前ら」

 中から出ていた時雨は、繋がれた二人の手と何度も鼻血が出ていないか確認している明依を見た。終夜は繋いでいる明依の手を時雨の前に差し出した。

「見て、これ。宵に見せつけてきた」
「やめとけよ、マジで。後が怖いぞ」

 どこか嬉しそうにそういう終夜に、時雨は呆れたようにそう返した。それから次に明依を見た。好きで手を繋いでいるなんて思われても困る明依は、すぐに口を開いた。

「手、繋いでやってるの。犬の散歩でもしてると思って。後で黙って殴られてもらわないといけないから」
「お前は何の話をしてんだ?」

 自分では100点満点の回答をした気になっていた明依だったが、時雨には何一つ伝わらなかったらしい。

「なんか明依お前、変わったよな。何があった?あの道中か?」

 まじまじと明依を見つめる時雨に、終夜は隣で盛大な溜息を吐き捨てた。

「勝山大夫と吉野大夫が余計な事したんだよ。夕霧大夫の所に連れて行った」
「なるほど。夕霧大夫か。確かに適任だな。明依との相性も悪くなさそうだ。……いい女だよな、夕霧大夫」

 時雨はそう言うと、記憶の中のから夕霧を引っ張り出してきたのか、目を閉じて深く頷いていた。
 終夜はもう一度溜息を吐くと、「その話はいいよ。で、調子はどう?」と時雨に問いかけた。それから二人は、仕事の話をし始める。
 時雨と終夜の会話の最中、何度か手を離そうと試みたが、終夜はすぐに明依の手を掴んで二人の繋がった手が離れる事はなかった。宵の視線はとっくにないというのに、一体いつまでこうしていなければいけないんだと、明依はため息をついた。

「お前、明依に何でもかんでも吹き込むのはやめろよ」
「俺ばっかりが悪い訳じゃないと思うけどね。だって俺、この人に脅されて条件のまされたりしてるんだよ?ほぼ拷問だろ」
「……お前、そんな事してんのか」

 時雨は信じられないという表情で明依を見るが、明依は必死に首を左右に振って否定した。

「違うから!ちょっと!アンタ何被害者面してるの?誤解招く様な事言わないでよ」
「事実だろ」
「とにかくだ。明依は吉原の深い所を知りすぎだ。だからこうやって後つけられてるんじゃねーの」

 時雨は終夜に向かってそう言う。それがどういう意味なのか、明依の返事を聞く前に時雨は口を開いた。

「今日の所はとりあえず、終夜のいう事ちゃんと聞いとけよ」

 時雨はそう言うと、いつも通り明依の頭をぽんぽんと撫でて、それから小春屋の中に入っていった。

「……どういう事?」
「満月楼を出てから、ずっと誰かにつけられてるんだよ」
「つけられてるって、何?」
「そのままの意味だよ。誰かが俺達をこそこそ見てる」
「誰?陰?」
「かもね。気を付けて。俺に関わる人間は、よく死ぬから」

 (さく)はおかしかったにしても、終夜を庇った日奈は目をつけられて死んだ。次が自分の番だって、別におかしなことではない様に思えた。日奈よりもよほど直接的に終夜と関わっているんだから。そう思うと、恐怖心が芽生えてくるのは当然の事だった。

「私も死ぬの?」
「死にたい?殺してあげよっか」

 当たり前の様にそういう終夜に、こいつ何言ってんの?と思った明依は、この男の頭のおかしさと自分の頭のおかしさを理解して、思わず笑った。

「笑ってる?頭おかしくなった?」
「頭おかしいのはどう考えたってアンタじゃん」

 吉原で一番頭のおかしい人間と手を繋いで歩いておいて、どこからなんの目的で見ているかわからない人間が怖いなんておかしな話だ。

「俺達が怪しい動きをしないなら、何もしてこないみたいだよ」

 みたい、という事は今まで様子をうかがっていたのだろうか。だから、いざという時の為に手を繋いだままにしていたのだろうか。例えば以前の様に手を引いて逃げたり、以前の様にすぐに守ることが出来る様に。
 そんな事を言えばきっと終夜は、自意識過剰だ。というだろう。

「終夜」

 明依は歩きながら終夜にそう問いかけるが、彼は返事をしなかった。

「私、終夜は私の事が気に入らなくて、嫌いで、私の心をへし折ろうとして楽しんでいるんだと思ってた。でも、花魁道中の時も、夕霧大夫から話を聞いた時も、何度も終夜の言った言葉を思い出してた」

 終夜はやはり、返事をしない。

「突き放すような言い方をしたのも、厳しい言い方を選んだのも、ほんの少し、私に期待してくれているのかもしれないって思うのは、私の思い込み?」
「思い込みだよ。都合よく解釈しすぎ」

 丹楓屋の前、立ち止まった終夜の隣で明依も同じように立ち止まった。明依が終夜と絡んでいる手に少し力を入れると、なぜか終夜もその手を強く握った。
 ほらまた、そんな思わせぶりなことをする。
 終夜は明依の手を引いて先に丹楓屋の敷居を跨いだことを確認すると、今までが嘘の様にあっさりと明依から手をはなして、明依の隣を通り過ぎていく。

 この男が、何の目的もなく手を繋ぐなんて、ありえない話だ。
 きっと宵に嫌がらせをするために手を繋いだら、本当にたまたま見張られている事に気付いただけ。一番都合がよかったから、言いくるめて手を繋いでいただけ。

 ただ、本当に全部思い込みで、それを正したいと思っているのなら、もっとはっきりわかりやすい形で、突き放してくれたらいいのに。
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