造花街・吉原の陰謀

12:施設

 早朝とは打って変わって、賑やかになった吉原の街を三人で歩いていた。

「どこに行くんですか」
「施設よ」
「施設って、雪のいる所ですか?」
「そう。清澄さんが特別に取り計らってくれたのよ」
「ちょうど人手が足りないって野分さんが言うんでね。本当はダメなんだけど、今回だけ特別に」

 人手が足りないという事なら、今回の目的は何かの手伝いだろう。つまりそれは、雪に会えるという事だ。

「……でも、どうして本当はダメなんですか?」
「あの施設はちょっと特殊でね。……吉原の一部だけど、独立した組織として俺達は扱っているんだ。あくまで中立。かなり大げさに言えば吉原を、頭領という圧倒的な決定権を持っている人間を、第三者の目線で監査する立場。というのかな。だからって何か、特別な権力を持っているわけじゃないんだけどね。基本的に吉原の人間はあそこには立ち入らない」

 吉原にいる人間のほとんどはその〝施設〟の出身者だ。それがどんなところなのか、少しわくわくしている気持ちもあった。

「覚悟は決まった様だね、明依ちゃん。なんだかつきものが取れた様な顔をしている」

 穏やかな様子で嬉しそうにそういう清澄に、明依は「はい」としっかり一度頷いて返事をした。

「ところで明依ちゃん、もう高尾ちゃんには会ったのかい?」
「高尾大夫?……どうして私が高尾大夫に?」

 なぜ今この流れで高尾大夫が出てきたのか驚いている明依だったが、それ以上に驚いているのは他の誰でもない、清澄の様だった。

「どうしてって、吉原の昇格制度を知って勝山ちゃんや夕霧ちゃんに会っていたんじゃないのかい」
「いえ……違います。私はただ、あの二人から私に足りないものを教えてもらっただけなので」

 そう言うと清澄は吉野を見た。

「その事は、誰も話していません」
「そうかい。じゃあせめてこれくらいは、俺の役割って事にしてもらおうかな」

 いつもの様子でそういう吉野に、清澄もまた穏やかにそう言った。

「吉原の松ノ位、つまり大夫という称号をもらうには、主郭の厳正な審査と許可、そして最後に頭領の許可が必要になる。しかし、それを全部すっ飛ばしてほとんど強制的に松ノ位に上がる事が出来る方法がたった一つだけ。それが、自分の妓楼の所属外、三人の松ノ位からの推薦を受ける事なんだ」

 そんな制度があるなんて知らなかった。しかし、別に大して驚きもしない。松ノ位と呼ばれる人間はそれだけ吉原の中で存在感が大きい。
 自分の所属外、という事は吉野から松ノ位の推薦は受けられないという事だ。

「松ノ位の選定については代々、最重要事項として厳正に審査してきた。言い方は悪いけどねェ、松ノ位と呼ばれる人間は見てくれだけじゃ絶対になれない。主郭は好き勝手やっているように見えて、松ノ位の遊女には一目置いている。違う妓楼の三人の松ノ位が推薦する程の遊女なら、間違いなく立派な人間だろうって判断らしい。吉原創設当時からこのシステムはあるけど、 絵に描いた餅というか……。まず、松ノ位がこの街に三人もいる事が珍しい。結局今まで使われた事は一度もないし、きっと、現代の吉原ではそんな制度がある事自体知らない人間の方が多いだろうね。……だからてっきり、次は高尾ちゃんかと思ったんだけど……」

 そういった後、清澄は言いにくそうに口を開いた。

「高尾ちゃんは滅多に人の前に出ないし、何のコネもなく妓楼に行ったっておそらく門前払いだろう。贔屓客どころか、主郭の人間でさえ会いたいと思った時にすぐ会える子じゃない」

 俗な言い方をすれば、高尾は間違いなく吉原で一番の〝レアキャラ〟だ。タイミングが悪かったのだとしても、5年吉原にいる明依が高尾の花魁道中を見たのは、たった一度だけ。

 異国の宗教を信仰する女性の様に頭を布で覆い隠し、顔を別の布で覆っている。高尾を見たという目撃情報も殆どない。どうして頑なに顔を隠しているのか、どうして花魁道中をしないのか。彼女の事は、何もわからない。

 そんな事を考えながらたどり着いたのは、子どもを相手に書道教室を開いている建物だった。何か特別なことはない。いたって普通のよくある建物だ。何人かの子どもや大人が、掃き掃除や拭き掃除をしていた。

「こんにちは」

 吉原ではいたって普通の品のある芸事の師範に三人で挨拶をすると、師範は丁寧に頭を下げてからこちらに近付きながら、口を開いた。

「こんにちは。ご機嫌いかがです」
「おかげさまで、変わりなく。ただ、先日天気が崩れた時は風邪を引きましてね。参りましたよ」
「そうですか、そうですか。大事がなくてよかった。……今日は、山吹(やまぶき)に御用でしょうか」
「いやいや、山吹さんとはつい先ほどお会いしました。今日は、氷雨(ひさめ)さんに」
「そうでしたか。では、どうぞ中へ。ゆっくりして行ってください」

 今日ここに来るまでの間には、誰も会っていない。山吹って、誰だ。
 そう思っている明依をよそに、師範は進行方向に誘導するように手を向けた。彼女の手にはカードが一枚。清澄はそれをさっと受け取って、何事もなかったかのように先を歩き出す。
 どうやらこの掛け合いが、愛言葉になっていたらしい。周りの人間は何一つ気付かずに、三人に向かって挨拶をする。やはり、闇の深い街だと思った。

 清澄に連れられるまま入った奥座敷は、やはりいたって普通だ。ある程度の生活感があって、不審な所なんて一つもない。
 隠し扉でもあるのか。それだったら、かなりワクワクする。部屋を見回してそんなことを考えている明依だったが、清澄は押し入れの襖を開けようと手をかけた。明依の知っている襖より、少し重たそうに見える。

 そこには人一人がやっと通れるくらいの細い下り階段があった。中はとても暗く、明かりなしではとても先に進めそうにない。外の世界ならポケットからスマートフォンを取り出すだけで万事解決だ。しかし、この街ではそうはいかない。これだけ暗く、どこまで続いているかもわからないなら、蝋燭一本じゃ心許ない。

 清澄が襖の裏にあるカードスキャナーにカードを通すと、手前から一つずつ、階段の下に明かりがついた。清澄と吉野は何のためらいもなく先を進んでいく。明依もそれに続いて歩くが、好奇心よりも恐怖心の方が大きかった。まるで逃走経路の様な道だ。
 カードもカードスキャナーも久しぶりに見たし、吉原にあるとは思わなかったという感想さえ、口にして共有しようとは思えなかった。
 明かりがついて確かに歩きやすくはなったが、決して一人で先を行こうとは思えない。

「……なんか、怖いですね」

 そういった明依の声は、辺りにぼんやりと響く。それが不気味で堪らなかった。たった一人で乗り込んだ主郭の地下の方が廊下の幅は随分と広くて開放感があった。その分、気持ちは楽だったかもしれない。
 鎧をまとった骸骨がカタカタと音を立てて笑っていても、それがこの場所の常識と思えるくらいの不気味な雰囲気。本当にこんな所に〝施設〟と呼ばれる場所があるのか。

 息が詰まるような場所を歩き切って、階段を上がると蔵の様な場所に出た。
 よく見る引き戸に取り付けられているカードスキャナーに、清澄が先ほどと同じようにカードを通すと、手前から一つずつ、明かりが消えていった。

 ドアを開けると、日の光が容赦なく眼球を刺した。そしてぼやけた視界が世界を淡く魅せる。だからだろうか。目の前の光景が酷く、幻想的に見えた。

 たくさんの子どもが外廊下を、それから庭を走り回っている。

「こら!走るんじゃないよ!」

 部屋から顔を出した野分がそう言った側から、外廊下を走っていた一人の子どもが盛大にこけた。

「うわあああん」

 大きな声を出しながら泣く子どもに、足早に駆け寄ってきたのは雪だった。雪は手のひらを握りしめて、どうすべきか迷っている。それからゆっくりと手を解いて、その子の頭を撫でていた。
 雪が可愛い過ぎて無理だ。くらくらさえする気がする。

 野分は泣いている子どもの側に来ると、まず雪に「偉かったね」と言って頭を撫でていた。雪は少しだけ嬉しそうな表情で頷いている。
 可愛い。とにかく可愛い。顔も仕草も、全部可愛い。

 そんなことを思っていると、ふいにこちらを向いた雪と目が合った。
 雪は目を見開いて、それから嬉しそうに笑顔を作った。

「明依お姉ちゃん!」
「こら雪、走るんじゃないよ!」

 落ち着きを取り戻した子どもの面倒を見ながら野分はそういうものの、雪は真っ直ぐにこちらに走ってきた後、明依に飛びついた。

「雪~。可愛い。会いたかった~」
「明依お姉ちゃん、なんでいるの?」
「連れてきてもらったの~。清澄さんと吉野姐さまに」

 雪を抱きしめながらテンションが上がる明依とは対照的に、雪はだんだんといつものテンションに戻っているらしい。

「雪、調子はどうかしら」
「元気です。吉野大夫はどうですか」
「おかげ様で、とても幸せな気持ちよ」

 吉野は雪と視線を合わせて微笑んだ。

 明依は立ち上がると、この場所の様子を眺めた。武家屋敷の様なとても広い家だ。部屋のほとんどは開け放たれていて、子どもが大勢楽しそうにはしゃいでいる。
 外側は高い塀に囲まれていて、覗き見る事は不可能だ。外は観光客ばかりで侵入の心配もない。今通ってきた場所が唯一の通り道なら、危険は少ないだろう。

「この場所から、遊女、陰間、それから主郭に所属する陰に分かれる。それから先は、自分次第。吉原って街は、そういう所さ」

 清澄はさらりと流すようにそういうが、彼の顔はどこか寂しそうに見える。

「どうして、私をここに?」
「……何でだろうねェ。あんな立派な花魁道中を見せられたから、なのかな。もしかすると、勝山ちゃんと同じ気持ちなのかもしれないねェ」

 しみじみとした様子で、清澄はそういう。

「嬉しいよ。まだ、終夜くんに手が届きそうな人間がいる事が」
「終夜がどうしたんですか」

 雪は清澄の顔を見た。

「……何もないよ」

 雪の問いかけに、清澄ははぐらかすように少し明るい口調でそういった。
 結局、どうしてここに連れてきてくれたのかわからないまま。

「この通り、毎日毎日てんてこ舞いさ」

 野分はそう言いながらこちらに向かって歩いてくるが、その顔はどこか穏やかにも見える。

「じゃ、頼んだよ」

 頼んだって、何を?
 そういう前に、野分はさっさとその場を去る。
 え、頼んだって何を?子どもの世話を?お世話って、何したらいいの?
 そう思う明依をよそに、清澄と吉野はそれぞれ違う場所に移動していく。明依は二人の背中を視線で見送った後、雪を見た。

「私、何したらいいの?」

 雪は少し考えるそぶりを見せてから明依の手を引くと、外廊下を歩いて一つの部屋の中に入る。そこには小さな子が台につかまって立っていた。ぼーっとこちらを見ている。

「……可愛い」

 男の子か女の子かもわからないが、とにかく可愛い。

「昨日から掴まり立ちをし始めたんだよ。だから、」

 その子はバランスを崩してお尻から畳に落ちるとバウンドしてバランスを崩した。明依は考えるより先に走り寄ると、その子の頭と畳の間に手を滑り込ませた。

「まだ上手に出来ないの」

 雪がそういった後、明依は息をついた。体勢を変えようとした子どものよだれが頬を伝って畳に落ちる。明依は一連の出来事でどっと疲れていたが、当の子どもはケラケラと楽しそうに笑っていた。
 吉原の裏側を生きている人間の大半はこの場所に来るのだ。だから子どもの世話に慣れている。清澄も吉野も、きっとそうなのだろう。

「あそぼーーー!!」
「うわぁ!!」

 明依が体勢を整えて子どものよだれを拭いていると、勢いよく後ろから飛びつかれて畳に腕をついた、危うく子どもをつぶすところだった。ほっと息をついたのもつかの間、子どもが何人も背中に飛び乗ってくる。

「ねー!!あそぼーって!!」
「わかった、わかった!!ちょっと待って……!!」
「なまえ、なんて言うの?」
「明依」
「明依、あそぼ!!」

 呼び捨てかよ。というツッコミを声に出す暇もない。
 言葉は通じているはずなのに、話が通じない。こんな生き物がこの世にいるのか。
 着物が汚れるなんて気にしていられないし、ちょっと休ませて、なんて聞いてもらえない。

「明依お姉ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫」

 雪くらいの年齢の子がどれくらいの事が出来るのかわからなかったが、どうやら雪は相当落ち着いていて物分かりのいい子らしいという事は理解した。

 お世話なんて大それた事は出来ないので、明依はとりあえず子どもたちと一緒に走り回ったり、カルタをしたり。遊ぶことに徹していた。
 明依は急に俯いた女の子を不審に思い、おそるおそる近づいた。

「どうしたの?どっか怪我した?」
「ママにあいたい」

 そう言って子どもは、急に泣き出した。それに感化されてか、そこにいる数人の子は泣きだしてしまった。
 その様子を見て、雪は俯いていた。そして明依の着物の裾をぎゅっと握った。

 明依は何も出来ないまま、声を上げて泣く子どもと、雪の様子を見ていた。抱きしめてなだめてあげた方がいいのだろうか。いや、今日あったばかりの大人に抱きしめられるなんて、子どもは怖いんじゃないだろうか。そもそもどうして急に、泣き出してしまったのか。
 そんなことが頭の中を回ってどうすべきなのか、こんな時に子どもたちは大人にどんな対応を求めているのか、何もわからなかった。
 
 自分がそんな経験を、したことがなかったから。

「明依、アンタが悪いんじゃないよ。こうなっちまうとね、もう仕方ないのさ。落ち着くまで待ってやらないと」

 野分は子どもたちの前に座り込みながら淡々とした口調でそう言うが、その声は少し震えていた。

「こんな時、大人は何もできやしない」

 野分は子どもたちを抱きしめて一生懸命小さな背中をさすりながら、一緒に涙を流していた。

 胸を抉られた様な気がした。
 あんなに楽しそうに笑っていたって、心には明らかな傷がある。

「泣き止まなーい」

 別の部屋にいた子どもだろうか。泣いているまだ小さな赤ちゃんをやっとの様子で抱いた男の子が部屋に入ってくる。
 あまりに危なっかしいと思った明依は、子どもなんて抱いたことはなかったが、その子に手を伸ばした。

「かわるよ」
「まだ首が座ってないから、気を付けてね。……こうやって、支えたらいいよ」

 男の子に教えてもらった通りに抱いてみるが、全く泣き止まない。

「座ってたら泣き止まないよ」
「そうなの?わかった」

 明依は立ち上がって、それから身体を揺らしてみた。しばらくしてやっと泣き止んだ子どもは、顔中を濡らしたまま、愛らしい笑顔を浮かべた。

「……笑った」

 落とさない様にバランスを取りながら、涙で濡れた子どもの顔を袖で拭くと、ケラケラと高い声を上げて子どもは笑った。

「可愛い……」

 先ほど声を上げて泣いていた子どもたちも落ち着いたのか、先ほどの大号泣が嘘だったかのように楽しそうに笑っている。

 明依は安堵の息を漏らした。それからは平和な、いや、平和かどうかは分からないが、子どもたちに揉みくちゃにされて遊んだ、というか遊ばれた。

 この子どもたちもそう遠くない未来で、この街の逆風にさらされる事になる。
 施設というこの場所を、そこにいる子どもたちの気持ちを知っているから、日奈と旭は本気でこの街を変えたいと思っていたのだろう。

「どうだった?」

 帰り際、穏やかな口調で吉野大夫は明依にそう聞いた。

「すごく、勉強になりました。清澄さんも、本当にありがとうございます」
「何か学ぶことが出来たなら、何よりだよ」

 明依は側にいる雪と視線を合わせるためにその場にしゃがみ込んだ。

「雪、もう少し待ってて」

 雪は少し不思議そうな顔をして、明依を見ていた。

「必ずお迎えに来るから」

 そう言って微笑みかける明依に雪は目を見開いたが、すぐに嬉しそうに笑顔を作った。

 いつかあの二人が願った様に、この街を変えられたら。
 これからこの街で過ごす子どもたちがせめて、少しでも未来を選べるように。
 やはりグダグダしている暇なんて、一秒だってない。
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