さよならの向こうにある世界

 木嶋碧斗という人間は昔からずっと強くて優しい人だった。怖がりだった私のために病室を抜け出して会いに来てくれた夜には、私が眠るまでずっと傍にいてくれたし、心が折れそうになる度に何度も背中を押してくれた。きっと彼だって辛い闘病生活を送っていたはずだと、今なら分かる。薬の副作用で気分が悪い日だってあっただろうし、検査結果が悪くて落ち込む日だってあったと思う。それでも彼はいつだって笑っていた。その笑顔から誰が彼の抱える病を想像することができただろう。

 高校生の頃、一度だけ彼に聞いたことがある。どうしていつもそうやって笑っていられるのかと。すると彼はその時も曇りのない笑顔を作った。

 「世界中にはさ、僕たちよりも苦しんでいる人がたくさんいるんだって。僕たちは病気で、それも手術しないと治らない病気で……。そりゃあ健康な人たちが羨ましいけど、こうやって病院に入院して先生に診てもらえてる。それに薬だって貰えるでしょ?毎日食事をして、柔らかくて暖かい布団で寝てさ、それってすごく恵まれてるって思うんだ。当たり前になりがちだけど、この生活を欲してる人が世界中にたくさんいるって思ったらさ、辛い顔なんてしてられないよ」

 真っ直ぐな彼の言葉は十代だった私の心にも突き刺さった。その言葉の本当の意味とか、深さとか、そんな本質的なことは分かっていなかったかもしれないけど、彼の口から出た言葉だから一言一句逃すことなく受け止められたのだと思う。それから「芽依ちゃんだって世界中の人を笑顔にしたいって言ってたじゃん」と少し冗談まじりに私を笑わせてくれた彼の表情だって忘れはしない。

 「みんなを笑顔にするならまずは自分からね」

 白い歯を見せる彼が私の頬を優しくつねったときの胸の高鳴りも、触れた指先の感触も、今でもよく覚えている。
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