ねこのひるねの、ひとりごと
家族て何だろ?

父のこと。

前述、わたしは父を憎んだり恨んだりした、と書いた。

これ、裏返しに愛情があるからだ。

どうでもいい人が相手なら、わたしこんなに逆上しなかった。

分らへんやろけど「この人」に自分の感情(愛情)を理解して欲しかったから。

だからわたしは、基本的に父がきらいではない。


そして人間としては悪い人とは思わない。
ただし、性質(タチ)の悪いことに外面(ソトヅラ)はとてもよい。

その外面を少しでいいから、家族にも回して欲しかっただけ。

わたしが赤ん坊の時。
父は東京に単身赴任になった。
どのくらい東京で一人暮らしして頑張ったのか知らんけど。
「やっていかれへん」と、
大阪に舞い戻りその会社を辞めたらしい。

それからなんのきっかけがあったのか、母も言わぬのでわたしは知らんが。
「脱サラ」して自分で会社を始めたらしい。

これが、転落の分かれ道だった。
母の両親と共に頭金を出して購入した家を担保にし、会社を回す借金をしていた。

良い人材が集まって、そこそこよい状態でいられた時期もあったと言う。
それで、地道にやって信用固めをすればよかったものを。
東京と名古屋に「支店」を出すと言い出した。
無論、「今が大事なんだから」と目一杯反対されたらしい。
すると自分の思い通りにならない事に不貞腐れて。
その人達を全て首にしちゃったらしい。
周りはただの人形「イエスマン」。

そんなんで、企業として成り立つわけもなく、まもなく出るべくして「不渡り」を出した。

家に電話はジャンジャン!!ジャンジャン!!
父はいち早くトンズラ。行方知れずの雲隠れ!!

父が担保にしていたから、「家」は競売。
家族はわたしにそんな光景を見せたくなかったからそうそうに「家」を空けて。
わたしには。
「引っ越すことになっちゃったからね。」
とだけ告げた。

母は父に言ってたそうだ。
「女の子だけやし。年寄りもおる。家だけは担保にせんとって。」
父は、そんなん知ったことかだったってことだ。
俺名義の家、どうしょうと俺の勝手やろってな。

たぶん。
父の心の中。

(娘は10数年もすりゃ嫁に行く。年寄は10数年もすれば逝くやろう。)
そんなところじゃなかっただろうか?
アンタ、借金まみれ。その娘に貰い手なんかあるわけないやん。
わたしは、事実上結婚をあきらめた。

父は、まだ子供のわたしには何にもわからへんと思っていたのか?

いつの間にやら帰って来て「しれっ~と」引っ越しして。
今度はさっさと海外に1週間程度旅行に行ってしまった!

おい。
その「金」はどっからわいてきたんや。

また借金したんかーい。

サラリーマンとして地道に仕事を続けていてくれたなら。
この人の金銭感覚が、完全崩壊する事はなかっただろう。

自分の金は自分のもの。
これは100歩譲って目をつぶるとして。

借りた金も自分のもの。
同居していた母の両親や、別にきちんと所帯を持っている自分の兄夫婦、仲のよい同僚などに、
「ちょっと手元不如意で~」
と言っては借金をしていたという。

もともとお金を貸借をしたら、縁を切られたりすることもある。
そんな事はあんぽんたん父の頭には全くなく。

「借りたものも自分の物」または、「借りたものは貰ったもの」

というとんでもない理論をもっておったのである。

だから。母が一度だけ、「アンタ。借金、じい、ばあからしとんやて?」聞くと。

返ってきた返事。

「返せちゅうんか?」

頭、腐っとる!
当たり前でしょ、「借りたものはキッチリ返す」。
わたし、本当にアンタからは何にも教わらんかったけど。

わたしも社会人になり、社会人人生を始めると。

やはり見えてしまう父の『異質性』。
家に生活費をろくすっぽ入れず、飲み歩き。
会計はすべて『ツケ』。

いままで荒れた事のないわたしが、
そこらじゅうの物を投げつけて。
通じなかった父への反感と言うか『精一杯の抗議』。

周りに言っていたセリフにキレた。

「うちはおかんもパートしとるし、娘も就職した。」
「それにおかんのジジイとババアも働いているから、オレの稼ぎはいらんねん。」

何やて?一家の家長は誰や飲んのん?

もう知らん。
どっかで野垂死にしようがもう知らん。
もう、生涯2度と会わない。

「父親」という役割の人を、わたしは知らない。
一度たりともわたしの人生に存在しなかった。

わたしはアンタから何にも教わらなかった!
そんなアンタから唯一「反面教師」として得たもの。

”絶対に借金はしない”
”クレジットカードは1枚も持たない”

生物学的には、アンタの娘のわたしだから。
必ず、一生この2つを守って生きていく!!

そして、今生で二度と会わない!

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