罠にはまって仮の側妃になったエルフです。王宮で何故かズタボロの孫(王子)を拾いました。
3章 リチャードとイレイザちゃん


「お前なんか嫌いだ、このくそばばー!」


 初対面でこんなくそ台詞を吐いてきたのは、ラッセルとアリエルちゃんの一人息子のリチャードだ。

「躾のなってないクソガキね。親の顔が見てみたいわ、恥ずかしい子」

 私のそっけない言葉に、暴言を吐いたくそガキは、肩をびくりと震わせる。
 どうやら、私の反応に本気で驚いているようだ。ヨヨヨ、と泣くとでも思ってたの?

「無礼者! ぼ、僕が誰か分かっていてそんな態度なのか!」
「ほほう、その年で権力を笠に着る。性根が腐っているねぇ」

 うりうり、と頭を乱暴に撫でつけると、「や、やめろぉ」と言いながら、顔を真っ赤にして抵抗している。
 5歳児の抵抗など、ないも同然だ。可愛い。うははは。

「聞いたぞ、このくそガキぃ。また家庭教師を辞めさせたとか」
「ぼ、僕の()()()()()な知能についてこれない愚民が悪いのだ!」
「高尚の意味も知らない赤ん坊が、生意気な口を利くんじゃないわよ」

 ひょい、とくそガキをひっ捕まえた私は、すたすたと歩き出す。

「は、はなせ! 僕をどこへつれていく気だ!」
「勉強に集中できるお部屋よ」
「うそだ! そっちには北の塔しかないはずだ! 僕の部屋じゃない!」
「あんなくそみたいな部屋で集中できるか、ばっかもーん!」

 リチャードの勉強部屋、あれは酷かった。
 くそラッセルと親バカリエルちゃんが、二人の総力を尽くして作り上げたそれは、黄金色に輝く机、教科書は全てゴテゴテの装丁で書き込みなど許さない高貴さ、先を割るのが恐ろしいほど高級な万年筆、王族の色である赤一色の絨毯に、小指をぶつけたら瀕死になるであろう、動かすのも重たいゴテゴテふかふかの椅子。壁一面に飾られた歴代国王の肖像画の視点は、全て、部屋の中央で勉強するリチャードに集められている……。

「気が狂うわ! 幼子の精神が病んでしまう!」
「はなせ魔女ー! 僕は()()()な方なんだぞ!」
「うっさい、成人して王太子か王様になるまで、お前はただのくそガキよ! わははは」
「髪をぐしゃぐしゃするなぁー!」

 そう言って、私は北の塔……ではなく、その道すがらにある図書館の、一番広くていい個別自習室にリチャードを突っ込む。

 あんなに子供っぽく暴れていたリチャードは、急に借りてきた猫のように、小さく固まった。

 シンプルな絨毯の部屋に、勉強用の大きな机が一つ。
 グループ自習用の部屋なので、椅子はいくつもある。
 休憩用のソファスペースはあるものの、絨毯は落ち着いたえんじ色で、勉強していても歴代国王に睨まれ続けることもなく、大きな窓から庭園の様子もよく見える、勉強に最適な部屋だ。

 けれども、リチャードが見つめていたのは、部屋の内装ではない。
 そこで待っていた、リチャードの婚約者のイレイザちゃんだ。

「イレイザちゃん、もう練習帳終わった?」
「はい。これでしゅ」

 公爵令嬢のイレイザちゃんは、リチャードと同い年の5歳。緊張するとたまに舌を噛む。しかも、それを自分で恥じらっている。可愛い。あああー本当に可愛い。
 真っ赤になって俯いているイレイザちゃんを見て、リチャードは震えていた。どうやら、私と同じく、イレイザちゃんの可愛さに悶えているようだ。

「はわわ、きゃわいい」
「おいババア! 僕の声真似で変なことを言うな!」
「心の声を代弁したのに」
「必要ない!!」

 こっそり声真似したのにバレてしまった。可愛くないガキだ。こんな奴にイレイザちゃんはもったいない。

「……リチャードさまは、お姉ちゃまのこと、そんなふうに呼んでるの?」
「え!? いや、その、ちょっと今だけ、というか」
「でも……」
「いつもは違うんだ! ……そう、ですよね、お……義母、様……」

 グギギギ、と声に出てしまいそうな目線を受けながら、私はチラリとリチャードに目線を送りつつ、イレイザちゃんを抱き上げる。

「そんなことよりイレイザちゃん、今日は来てくれてありがとうね」
「いーの。イレイザ、サンドラお姉ちゃま綺麗だから大しゅき」
「可愛い! イレイザちゃん、可愛い〜」

 私の大きさだけは自慢の胸でイレイザちゃんをぎゅーっと抱きしめると、イレイザちゃんは「きゃーっ」と声を上げて喜んでくれる。亜麻色の髪の毛が、ふわふわと揺れている。
 可愛い。はあ、可愛いよおお。

「イリーをはなせ! お、お前は何をしにここに僕たちを連れてきたんだ!」

 足元で、リチャードが地団駄を踏みながら、ぷんぷん怒っている。
 これはこれで可愛い。が、私をクソババア呼ばわりするような奴に、甘い顔はしない。

「リチャード。君はここに、勉強するために来たのです」
「お、お前が僕に教えるって言うのか!」
「いいえ。私は教えを乞うてこない相手に物を教えるほど酔狂ではありません」

 ぽかんとしたリチャードに、私は続ける。

「私がここでするのは、君が毎日、宿題を終えるまでここから出ないよう、見張ることだけです」
「こ、この穀潰し!」
「あら、難しい言葉を知ってるのね。でも、そんなふうに私を罵倒する姿を、愛しのイレイザちゃんに見せてもいいのかしら」

 リチャードは、はっと目を見開いて、私が抱き上げているイレイザちゃんを見る。
 イレイザちゃんは、眉をハの字にしながら、リチャードを見ていた。

「リチャードさまは、お勉強がお嫌いなの?」
「そんな訳ない! 大好きだ!」
「そうなの? イレイザはちょっと苦手な科目があるの。リチャードたまは凄いのね、かっこいい」

 イレイザちゃんの純粋無垢な激かわ尊敬攻撃、効果は絶大だ! 再び噛んでしまったことに打ち震えるその様子も良い。リチャードはもう、顔をりんごみたいにして震えていて、その目にはイレイザちゃんしか映っていない。

「リチャードが毎日真面目に勉強するなら、週に3日は一緒にイレイザちゃんも勉強させて構わないと、イリーガル公爵からお言葉をいただいています」
「勉強に邁進します、お義母様」
「うむ、素直でよろしい」

 そんなこんなで、リチャードは私に丁寧に対応するようになった。

 リチャードとイレイザちゃん、こんな小さな頃から仲良しの二人は、大人になってもすごく仲が良かった。
 というか、リチャードがイレイザちゃんに夢中だった。もう、イレイザちゃん以外、目に入っていなかった。

 幸せそうな二人の姿は、末長く続くものと、誰もが思っていた。


 でも、ある時、流行病で、平民だけでなく、貴族達も大勢が亡くなった。

 その《大勢》の中に、イレイザちゃんが入っていた。

 皆が愛していた王妃イレイザちゃんは、感染を拡大させないよう遺体も焼かれた。
 私の村では火葬が主流だったけれども、土葬が主のこの国では、それは耐え難いことのようだった。


 その後のリチャードは見ていられなかった。


 イレイザちゃんとリチャードの間には、まだ子どもがいなかった。
 そして、前国王ラッセルと前王妃アリエルちゃんの間にも、子どもが一人しかいない。リチャードしかいない。

 しかも、なんと前国王ラッセルも一人息子で、兄弟姉妹がいなかった。
 いなかったというか、生まれてはいたのだけれども、()()()()()()のはラッセルだけだった。

 つまりリチャードが子どもを作らなければ、お家断絶という状態になってしまっていた。
 だから、皆息を呑んで、リチャードがどうするのか、見守っていた。


 リチャードは後妻を迎えた。

 13人も迎えた。

 全て側妃で、全員が、イレイザちゃんにそっくりだった。


 子どもが何人か生まれた段階で、もうやめろと、ラッセルもアリエルちゃんも私も、リチャードを止めた。元々、無理に子どもを作る必要がないと、遠縁から養子を取ろうと私達3人は主張していた。
 けれども、リチャードは子作りをやめなかった。
 そして、産んだ子や産んでくれた妻には、見向きもしなかった。

 リチャードは、日中は執務に邁進し、夜は後宮に行く。

 そして、深夜になると、図書館の、一番広くていい個別自習室に閉じこもって、朝まで過ごしていた。

 リチャードは、イレイザちゃんと結婚するまで、毎日毎日、あの一番広くていい個別自習室で、二人で勉強していた。
 小さい頃はイリーガル公爵に連れてきてもらわないといけなかったので、週3だったけれども、二人が大きくなってからは毎日、この自習室で勉強していた。
 二人は沢山の思い出を、この部屋で培ってきたのだ。
 私も、進展がないと悩むイレイザちゃんを応援すべく気を利かせて何度か席を外したりしていたし、リチャードと初めてキスをしたのだと、本当に嬉しそうに打ち明けてくれた彼女の笑顔を忘れたことはない。

 私も。私ですら、この部屋に来ると辛い。


 イレイザちゃん。


 イレイザちゃん……。


 どうしてイレイザちゃんだったんだろう。
 どうして彼女が、いなくならなきゃいけなかったの。

 イレイザちゃんに会いたい。ほんの少しでいい。
 私の寿命のほんの少しでいいから、どうして彼女に分けることができないの。


 リチャードに、声をかけなきゃいけないと思う。
 けれども、深夜、自習室に近づくたび、彼の嗚咽が聞こえる度に、私はそれ以上、立ち入ることができなかった。

 私だけじゃない。
 誰も、リチャードに、それ以上踏み込むことができなかった。

 もちろん声をかけていた。何度も抱き締めたし、一緒に涙を流した。
 それでも、誰も、リチャードを悲しみから掬い上げることができなかった。


 イレイザちゃんが亡くなってから5年後、リチャードも亡くなった。


 心臓発作だった。
 不規則で不健康な生活がたたったのだと思う。
 この5年間、あの子がまともに寝た日はないのではないだろうか。


 ラッセルもアリエルちゃんも私も、誰もリチャードに寄り添うことはできなかった。

 リチャードの心には、いつもイレイザちゃんだけがいた。
 人生を、命をかけた大恋愛だ。
 仲睦まじい二人の姿は、いつも皆を笑顔にしていた。


 私は、部屋に飾った二人の肖像画を、毎日寝る前に眺める。
 その絵は、二人が結婚したばかりの頃、幸せの絶頂だった姿を切り取ったものだ。

 二人の笑顔はとても幸せで朗らかで、いつも私の部屋に来る人達を温かい気持ちにしてくれる。


 リチャード。そして、イレイザちゃん。


 私はその絵を見る度に、大好きな二人が絵の中だけじゃなく、私達がいつか行く先で仲睦まじくしているであろうことを、それはもう本当に心から、確信しているのだ。

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