カタストロフィ


「いらっしゃいませ、ダニエル様」

相変わらず愛想良しな店主に目礼し、ダニエルは本棚の前に仁王立ちになって物色を始めた。
ユーニスが必死で見せまいとしていた禁書の挿絵を見てしまい、嘔吐したのは夏の盛りだった。

あれからおよそ一月が経つ。
ダメにしてしまった本は絶版のものだったがどうにか入手し、床も新しく張り替え、弁償は滞りなく行われた。
体調が優れなかったダニエルのわがままに付き合って街まで出た結果、貸本屋に迷惑をかけたという筋書きにしたのだが、そのせいでユーニスの責任問題に発展してしまったらしい。

ユーニス本人から聞いたわけではないが、噂好きのメイドたちの話しを盗み聞きし、ダニエルはこっそり落ち込んでいた。

(確か3ヶ月の減俸だったな。うちに来てから、ユーニスは夏物の服を二着もダメにしている。新しい服を買う余裕は無いだろうし、どうするんだろう)

何か口実を見つけて服をプレゼントしたい。
そう思いはするものの、まだ子供の自分が自由に出来るお金には限りがある。
なぜ自分は大人ではないのか、悔しくて歯噛みしそうになる。

(早く、大人になりたい。稼げるようになりたい)

進学し、就職先を見つける。
貴族のヤンガーサンとしてごく当たり前の生き方ではあるが、ここ最近ダニエルの頭には別の選択肢が浮かび始めていた。
ただ学校に通って勉強するよりも遥かに早く働けて、自立出来る可能性を見つけたのだ。

(父上の説得さえ出来れば……母上は否やとは言うまい)

「今日はどのような本をお探しで?」

店主の穏やかな声に現実に引き戻されたダニエルは、思考の渦に飲まれていたことを悟らせないほど泰然と答えた。

「たまには毛色の違った本でも読もうかと。ジェーン・エアはあるか?それから、高慢と偏見も読みたい」

「もちろんございますとも。高慢と偏見はベストセラーですし、ジェーン・エアは一昔前に流行った本ですからね。どちらも、素晴らしい恋愛小説です。大変面白うございますよ」

「……そうか」

店主の口から飛び出た〝恋愛小説〟という単語に、つい肩が揺れた。
今までまったく興味を示さなかったジャンルの本を借りようとしている自分は、彼の目にどう映ったのか。
カウンターで貸し出しの手続きをしている間、ダニエルは店主の顔を見ることが出来なかった。
借りた本を小脇に抱えると、挨拶もそこそこに貸本屋を飛び出す。
待たせていた馬車に飛び込むなり御者を急かして出立させ、ダニエルは一人悶絶した。

恋愛小説という単語に過剰な反応を示した自分が恥ずかしくて、もう二度とあの本屋には行けない気がした。

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