カタストロフィ

募る想い



花盛り、コッツウォルズの夏はそんな一言が似つかわしい。
色鮮やかな花々で飾られたこの街は、イングランドでも有数の美しさを誇る。
しかし、咲き誇る花々の美しさならばシェフィールド家に並ぶものは無いとダニエルは自負していた。

11歳で海外へ飛び立ち、パリ音楽院で学びながらも欧州のあちこちで演奏する機会に恵まれたダニエルは、数えきれないほどたくさんの城や屋敷を訪れた。
その結果、彼は実家の庭園がいかに見事だったのか思い知らされた。

屋敷内を飾る花は、すべて母ジェーンが自ら選んだ物だ。
花と植物を愛する彼女は屋敷内の装飾だけではなく庭造りにも凝っており、体調の良い時は専属の庭師のもとに足を運びあれこれ要望を言っている。

母に苦手意識を持ちながらも、その美的センスの良さにだけは心から感服しているため、ダニエルとジェーンの会話はたいてい庭と季節の花であった。

(メアリーの社交界デビューまで、あと3年か4年といったところか……ユーニスは今年26歳になる。結婚適齢期からはやや外れたが、まだ若いと言えなくもない。いや、労働者階級(ワーキングクラス)として考えるならば、まだ結婚適齢期だ)

海外に飛び出したダニエルは、文字通り様々なことを学んだ。
とりわけ、人間の感情の機微や色恋沙汰については注意深く観察し、学習してきた。

その結果わかったことの一つが、恋はある日いきなり始まるものばかりではないということ。
一目惚れという例外を除き、だいたいが日常の積み重ねの中で起爆剤に火がついてじわじわと始まるのだ。

ダニエルは、自分とユーニスの師弟関係が一般的なそれより遥かに濃いものだと自覚していた。
だからこそ、二人で積み重ねてきた日常を壊すのは容易いだろう。

(夏のうちに勝負を仕掛ける。来月ミラノに戻るまでに、ユーニスに僕を男性として意識させる!)

確実に彼女の心に深く入り込むのだ。
そのためには決して焦ってはいけない。
まずは、身近に自分を想う男がいるのだと認識させれば良い。

決意を新たに、ダニエルはシェフィールド家の門をくぐった。
数年ぶりに会う使用人たちに家族の近況を聞くと、ちょうど今メアリーが歌のレッスンの最中だと教えられた。

応接間(サロン)から聞こえてきたのは、伸びやかなメゾソプラノの声。
歌われているのは、《フィガロの結婚》のケルビーノのアリア、Voi che sapeteだ。

扉の向こうで良い演出を思いついたダニエルは、区切りの良いところでメアリーの声に被せて歌い始めた。


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