シンガポール・スリング
「瀬尾君、僕たちはバルコニーの植物に水をやりに行こう」
「え、でも・・・」
二人にさせてあげようじゃないか。話があるようだし。山瀬はレンを見ながらそう言うと、まだ飲み終わっていないとぶつぶつ言っている瀬尾を引きずりながら、反対側に移動していった。レンは山瀬に軽く頭を下げ、もう一度未希子の方に目をやった。
「あの時、最初に連絡先を聞いておくべきだった。ナイナイが電話番号を教えると言ったんだが、本人から聞かないでなんだか裏でこそこそしているみたいで嫌だったんだ。でも、やっぱり聞いておけばよかったのかもしれない。3週間もかかるとは思わなかったから」
未希子は手元の布巾を濯ぎ終わると、山瀬と自分のカップを洗い始めた。
「シンガポールの仕事はほぼ終わらせた。必要であれば・・・」
「もういいんです」
「え・・・」
「3週間経っていろいろ考えたんですが、やっぱり私達は違う世界に住んでいると思ったんです」
「・・・何言って」
「私はシンガポールを発った後、待ってみようと思いました。あなたに会える日までの日数を数えて待っていました。でも気づいたんです」
俯き続けていた顔をやっと上げてレンの目を見つめ返した。そこには感情を押し殺そうとしながらも、悲しみに染まった眼を隠すことができない未希子の姿があった。
「私は恋の達人でもなければ、付き合った人すらいない。でも、レンさんに会って、もしかしたらと思いました」
「シンガポールでのこと・・・・」
「もちろん、シンガポールでは本当に夢のような時間でした。自分がシンデレラになったような気分でした。でも気づいたんです。シンデレラはいつまでもシンデレラのままじゃいられないって」
目元を歪ませたレンはそれ以上話すなとでもいうように、ゆっくりと首を左右に振った。
「私は自分の相手が何をしているのか、インターネットで調べたりしたくないんです」
「あれは違うっ!」
「私の人生もあなたの人生も全く違う。シンガポールでほんの少しだけ近づいたかもしれませんが、絶対に交じり合うことはないんです」
未希子が言おうとしてることを理解することはできても、受け入れることができなかった。レンは何とか説明しようとしたが、何をどこから説明すればいいのかわからなかった。
「違うんだ・・・あのインターネットのことはただのゴシップ記事で根も葉もない嘘なんだ。シンガポールで未希子に出会ってから、自分には未希子以外に考えられない」
「そう思い込んでいるだけです」
「そんなことはないっ!」
「1週間後・・・1か月後には全く違う人に出会って、私のことなんか忘れています」
「未希子以外にいないし、欲しいとも思わない」
「レンさん・・・」