年下カレが眼鏡を外す時
 おじいちゃんは「いやいや」と言いながら、首を横に振る。

「倉木先生に比べたらちょっと年上だけど、家の事は出来るし、仕事は真面目にしているし……ちょっと男運が悪いだけだから、まあ悪い子ではないですから。どうぞよろしくお願いします」

 倉木先生、とおじいちゃんに呼ばれた彼は戸惑っている様子だった。将棋の先生とおじいちゃんと、私、目が回りそうなくらい素早くそれぞれを見比べていた。

「亜美さん」
「は、はい!」

 先生は私に近づいて来る。

「ちょっと女慣れしてない奴だけど、ちょっと話だけでもしてみてよ。気に入らなかったら振ってくれても構わないし。ほら、お前は近所のカフェにでも行ってこい」

 先生は財布を開けて、お札を「倉木先生」に押し付ける。カレは困惑しながらそれを受け取り、私たちは背中を無理やり押されて外に出ていた。

「行きます? カフェ」

 私はまだ呆然としている倉木先生に聞くと、彼はぎこちなく頷いた。ここに来る途中で見かけたカフェに入った頃には、倉木先生は少しだけ正気を取り戻した様子だった。

「葉山が本当に申し訳ない事をしました」

 注文したホットコーヒーとアイスティーがテーブルに届いてから、倉木先生は頭を下げた。

「いいえ! 私の方こそ!」

 まさか相手に話が言っていないとは思わなかった。しばらくは二人で謝罪合戦をしていたけれど、倉木先生は少し息を吐いた。私はとっさに口を噤む。

「……僕自身、女性とどうこうなるつもりはないんです。最後に女性とお付き合いをしたのは高校生の時ですし。それ以来、自分から遠ざけています」
「え? そうなんですか?」

 なんか、今まで生きていた中で、最も早くフラれたような気がする。

「職業柄、あんまり安定はしていませんし」
「倉木先生? も将棋をやっているんですか?」
「はい。40代、50代で引退せざるを得ない時もあります。勝ち続けると対局料は入ってきますが、負けが込めば収入が減る。……そんな僕の人生に縛り付けるのはいかがなものか、
ずっとそう考えていましたから」

 倉木先生はそこで口を噤む。静かな時が流れる。きっと将棋教室ではおじいちゃんと葉山先生がゲスな妄想を繰り広げて盛り上がっているかもしれない。こっちはこんなに空気が重たいのに。

 でも、もったいないなと思ってしまう。クールな眼差し、柔らかな笑顔で身長もあって……これは結構モテるに違いない。なのに、誰とも付き合おうとしないなんて。

「もったいないなぁ」

 気づいたらそれが口から出ていた。倉木先生は「え?」と聞き返す。私は慌てて口を閉じたけれど、飛び出した言葉は戻ってこない。

「ごめんなさい、変な事を言っちゃって。でも、本当にもったいないなって思ったんです、倉木先生かっこいいし!」
「いえ、そんな事は……」
「それに、収入なんて、今時は女の人だってバリバリ働く時代ですよ! 共働きで頑張っていけばきっと何とかなりますよ!」
「でも、それでは女性側の負担が……」
「ネガティブな事ばかり言っていたら、落ちこんで気分だって悪くなりますよ」

 気づけば、倉木先生はあっけに取られていた。言い過ぎてしまった私は今度こそ口を噤み、アイスティーを飲む。

「変な事ばかり言ってごめんなさい」
「いえ、僕の方こそ」
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