一夜限りと思ったワンコ系男子との正しい恋愛の始め方

その3. コンビニの君

 井草(いぐさ) 健斗(けんと)は浮かれていた。ここ二ヶ月ほど自分の心を占めていた女性とようやく知り合って、なおかつ一緒にご飯を食べる約束までしてもらえたのだ。

「誰のお陰だと思っている? 俺に感謝しろよ」

 会社の同期、柿村(かきむら) 陽平(ようへい)に恩着せがましくそう言われても素直にうなずいてしまうくらい、浮かれていた。

 仕事帰りの居酒屋。活気ある店内で男二人が顔を突き合わせて話している。本日ランチタイムでの出来事の結果報告会だが、この手の話をすることに慣れていない健斗の声は自然と密やかになり、それを聞き取ろうとする陽平の上半身は気が付くとテーブルに乗り出すようになっていた。

「連絡先交換したんだろ」
「した」
「お、miharuさん、か。へー、さすが『コンビニの君』。綺麗な響きの名前じゃん」
「人のスマホを勝手に見るなよ、陽平。あと勝手に名前呼ぶな。浅川(あさかわ) 美晴(みはる)さんだから、浅川さんって呼べ」
「ケンケン、もう独占欲か?」

 ニヤニヤとした陽平の挑発には乗らず、健斗はビールを飲んでやり過ごす。この手の掛け合いは苦手だ。だが陽平もそんな健斗の性格を分かっているので、それ以上あえて突っ込んで来るようなことはしない。

 繊維メーカーの会社に新卒で入社して三年目。同期の陽平とは研修初日に隣り合わせて以来の付き合いだった。仕事中はかろうじて名字で呼び合っているが、会社帰りの飲みではすっかり名前呼びになっている。陽平の呼びかけに健斗が馴染んだ結果だ。根っから明るく社交的な陽平は現任訓練(OJT)でどの部署へ行ってもすぐに溶け込み、人脈を作っていく。そしてすべての研修を終えた去年の春、当たり前のように営業部に配属された。

 一方、体格の良さと表情筋の動かなさと口数の少なさから『立っているだけで威圧感がある』と言われる健斗が配属されたのは、生産・商品管理部。裏方仕事ではあるが、ここがなくては製品を卸すこともできない。目ざとい陽平はすぐにこの部署の重要性に気がついたらしい。健斗に会いに来た体を装って入り浸ることにより、いつの間にやらこの部署でのコネクションも築いていた。同期に上手く利用されているようだが、そこはお互いに持ちつ持たれつだ。一人でいるとなにかと遠巻きにされがちな健斗だったが、陽平といることによって自分が決して怖くはない、無害な存在であることがアピール出来ている。そしてその努力は、密かに『コンビニの君』と呼んでいた彼女に対しても行われていた。
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