あなたが社長だなんて気が付かなかった〜一夜で宿したこの子は私だけのものです〜

一期一会

「あの……よかったら一緒にお支払いしますよ」

ホテルのカフェでコーヒーを飲み、心を落ち着かせてから行こうと立ち寄ったがそろそろ時間になる。
はぁ、と大きなため息が漏れてしまうのも仕方がない。
レジに並ぶと私の前の男性がスーツのポケットの中を漁っていた。
ジャケットやパンツのポケットを触るが何も出てこない。

「すまない、財布を忘れてきたようだ。車の中かもしれない」

「スマホ決済もできますよ」

「いや、それがスマホもない。充電したまま出てきたようだ」

「困りましたね。どなたかにお支払いに来てもらえませんか?」

「いや、スマホがないと電話番号もわからない」

その通りだろう。
私だってスマホがなければ金沢の実家の番号しかわからない。
男性は後で支払いに来ると言っていたが、店員は新人なのか対応に困っていた。
身なりも整っているし無銭飲食には見えないが、店員さんとしてはどうすべきなのか困るところなのだろう。
見たところ男性はコーヒーしか飲んでいないようだった。
結婚式の時間も迫ってきており、私もいつまでもこうして待ってはいられない。
ここで私の足どめをして欲しい気持ちは山々だが心とは裏腹で行かざるを得ない。

「あの……よかったら一緒にお支払いしますよ」

店員さんも男性も私の方を振り返ってきた。

「いや、それでは申し訳ない。そろそろ待ち合わせの時間なんだ。後で必ず寄るからダメか?」

「すみません。私も入ったばかりで、店長もいないので良いですよとは言えないんです」

店員さんも困り顔だ。

「大丈夫ですよ。コーヒーだけですよね?私が立て替えておきますよ」

私はトレイに二千円を置いた。
男性はまだ了承した顔をしていないが店員さんは助かったと言わんばかりにすぐにお会計をしてしまった。

店を出ると男性は私に丁寧に頭を下げてきた。

「申し訳ないです。必ずお返しします。今日は結婚式ですか?」

私の格好を見てそう思ったのだろう。

「ええ、13時からなんです」

「そうですか。私は打ち合わせがあります。2時間くらいで終わりますので結婚式の後お金をお返ししてもいいでしょうか? 私はこのお店には来にくいので最上階のラウンジで時間を潰していますので終わったら来てください」

「時間を潰していただくなんて大変です。いつかどこかでお会いしたら返してください。それで大丈夫です」

「いや、それでは俺の気がおさまらない。俺はどれだけでも待てるから君は気にしないでくれ」

でも、と何度か言ったが彼も折れることはない。
もう時間になってしまう。
私は渋々、分かりましたと伝えるとチャペルへ向かった。
< 1 / 26 >

この作品をシェア

pagetop