叔父一家に家を乗っ取られそうなので、今すぐ結婚したいんです!
「一人きりで、ラルフはどうしたの?」

 ぽつんと壁際でラルフを待っていたオーレリアは、穏やかな声に話しかけられて顔をあげた。
 柔らかい金髪に、優しそうなエメラルド色の瞳。ダークグレイの服に身を包み、薄い紫色のタイをつけたギルバート・サンプソンがそこにいた。

「ギルバート様」
「ラルフは?」

 ギルバートはオーレリアの隣に立つと、給仕係からドリンクを受け取って傾けながら訊ねた。

「ラルフは……なんだか難しい顔で行っちゃったんです。何かあったのかも。それか……わたしが何か言って怒らせちゃったのかなあ」

 気づかない間に、ラルフを怒らせるようなことを言ってしまったのかもしれない。ラルフは滅多に怒らないけれど、だからこそ不安だった。家族がいなくなって、オーレリアにはもうラルフしかいないのに、ラルフまでそばから離れていったらどうしよう。

「ラルフがオーレリアに怒るとは思えないから、何かあったのかもね。ここにいても退屈でしょ? 少し疲れたから庭でも散歩しようと思っていたんだけど、一緒にどう?」

 ギルバートは誰にも分け隔てなく優しいから、気疲れしてしまったのかもしれない。
 オーレリアもここでポツンと立っているだけでは退屈なので、ギルバートの誘いに乗ることにした。
 二人並んで庭に向かいながら、オーレリアはハッとする。

(あれ、これってもしかしなくても、求婚するチャンス……?)

 思いがけず二人きりになれたようだ。
 サンプソン家の広大な庭には、あちこちに灯りが焚かれている。邸から離れすぎないところのベンチに腰を下ろして、ギルバートが藍色の空を見上げた。朧げな春の月が、空の端っこに引っかかっている。
 口数の少ないギルバートの落とす沈黙は、いつもはとても心地いいけれど、今日は「求婚」という目的に緊張しているからか、どことなく居心地が悪い。

「それで、オーレリアはどうして今日ここに来たの?」
「え?」
「いや、君のことだから……多分まだ、パーティーなんて気分じゃないだろうなと思ったから」

 さすがギルバート、よくわかっている。オーレリアだって婚活目的がなければ、パーティーに来たりはしなかっただろう。領主主催のパーティーを断るのは不敬だけれど、家族を亡くしたばかりのオーレリアは、断ったって咎められなかっただろうし。
 適当なことを言っても、きっとギルバートにはばれてしまうだろうから、オーレリアはいっそ正直に話すことにした。それでフラれても、それはそれで仕方がない。

「実は……ここには、結婚相手を探すつもりで来たんです」

 すると、予想外の返答だったのか、ギルバートがパチパチと目をしばたたいた。

「結婚相手?」
「はい。……その、伯爵家を継ぐためには、早く結婚しないといけなくて……」

 もしかしてあきれられただろうか。不安になって来て、オーレリアの声がだんだん尻すぼみに小さくなる。本当は、このあと、「だからわたしと結婚してくださいませんか」と続けるつもりだったけれど、この流れで求婚するのはあまりに失礼なような気がして言えなかった。やっぱりオーレリアには家を継ぐためだけに誰かに求婚するのは無理かもしれない。家さえ継げれば誰でもいいと言っているようなものだ。もしオーレリアがそれを言われたなら、たぶん傷つくと思う。

 バベッチ伯爵家は取られたくない。それは間違いないけれど、相手の気持ちを無視したら駄目だ。結婚しなければと焦っていたからこれまで気づけなかったが、いざ相手を前にすると急に理性が戻ってくる。

(悠長なことは言っていられないけど、でも、やっぱり結婚って重要なことだものね)

 オーレリアはいい。家のために結婚するのだと覚悟を決めているから。でも、それを相手に強要するのは間違っている。

「それで、いい人はいたの?」

 オーレリアは曖昧に笑った。まさかあなたが一番の候補でしたと言えるはずもない。

「それは、まだ……。せっかくだから、会場に戻って、いろんな方とお話してみようと思います」

 話をしているうちに、この人ならと言う人を見つけられるかもしれない。もしかしたら、オーレリアに興味を持ってくれる人も現れるかも。

(って、これまで誰からも交際を申し込まれたことがないわたしに興味を持ってくれる人なんて、そうそういないでしょうけどね)

 オーレリアと同年代の女性たちの多くはすでに結婚なり婚約なりをすませている。オーレリアだって何度も王都のパーティーに出席していたのだから、声の一つでもかかってもいいはずなのに、これまで誰からも交際の申し込みは入らなかった。きっとオーレリアに魅力がたりないのだろう。
 すでに結婚した友人に、誰かを紹介してほしいと頼むのも気が引ける。

(はー……考えれば考えるほど憂鬱になってきちゃった)

 これでよく、自分から求婚しようと考えたものだ。自信があったわけではないけれど、無謀にもほどがあっただろう。

「オーレリア、結婚を急ぐのはわかったけど、きちんと相手を選ばないと、家を好きにされちゃうよ? オーレリアと結婚すれば伯爵家が手に入るとわかれば、それを目当てに食いついてくる輩もいるだろうからね」
「……え?」

 それは盲点だった。
 オーレリアに魅力がなくても伯爵家は魅力的で、それ目手にやってくる男もいて、そんな男と結婚したら伯爵家が好きにされてしまう?

(それは嫌!)

 叔父のエイブラムから家を死守できても、結婚相手に好きにされてはたまらない。オーレリアはバベッチ伯爵家で働いている使用人のみんなが大好きだ。管理している区画で生活しているみんなも。彼らを大切にしてくれる人でなければお断りである。

 しかし、そんなことを考えていてはますます結婚から遠のいていくような気がして、叔父に家を奪われる最悪な未来しか見えてこない。
 オーレリアがとろとろしているうちに、エイブラムがサンプソン公爵から伯爵家を継ぐ権利を得てしまうかもしれない。どうしたらいいのだろう。

「オーレリア、君が望むなら……、僕が名乗り上げてもいいよ」
「え?」

 ハッと顔をあげると、ギルバートの緑色の瞳が、真剣な色をしてこちらを見つめていた。

「結婚して、君と一緒に伯爵家を守って生きてもいい」
「ギルバート様?」

 これはどういう状況だろうか。
 オーレリアの頭の中が真っ白に染まる。

(もしかしなくても、ギルバート様、わたしと結婚してもいいって言ってる?)

 オーレリアは彼に求婚もしていないのに、何故⁉
 びっくりして固まっていると、ギルバートの長い指が遠慮がちにオーレリアのサンゴの髪飾りに触れた。

「どうかな? ……僕が相手だと嫌?」

 もちろん嫌じゃない。嫌じゃないけど、想定外の事態でオーレリアは半ばパニック状態で、まともに言葉が紡げない。

(なんで、どうして、どういうこと⁉ ……は! ギルバート様は優しいから、もしかして困っているわたしを見ていられなかったとか⁉ 嬉しいけど、でもどうしよう⁉ 本当にいいの⁉)

 ギルバートが相手だったら伯爵家も安泰だ。彼は優しく穏やかで頭もいい。伯爵家の当主として申し分ないどころか、非の打ちどころもない。
 しかし、ギルバートはそれでいいのだろうか。モテないオーレリアが相手で、後悔しないだろうか。彼はすっごくモテるのに、結婚相手が微妙だと世間から陰口を叩かれたりしないだろうか。
 余計なことを考えすぎて頭の中がぐるぐるしはじめたとき、こちらへ向かって猛スピードで駆けてくる誰かに気がついて、その正体がラルフだとわかると、オーレリアはギョッとする。

「オーレリア!」

 そんなに焦ってどうしたのだろうかと思っていると、息を切らしてやってきた彼は、呼吸が整うのも待たずに、こう叫んだ。

「オーレリア、結婚しよう‼」

 オーレリアはあんぐりと口を開けて、そして。

「はああああああああ⁉」

 絶叫した。

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