閉園間際の恋人たち




「――――ちゃん?琴子ちゃん?」

とんとん、と肩を叩かれて、ハッと我に返った。

「え……?」
「大丈夫?酔っぱらっちゃった?いやでも、琴子ちゃんアルコール飲んでないよね?」

和倉さんが気遣わしげに私の顔を覗き込んでくる。

「あ……すみません、ちょっと考え事を……。大丈夫です」

慌てて表情をつくると、すかさず

「琴ちゃん、なにをかんがえごとしてたの?」

大和からの追及が飛んできた。
私はつないだ手をぶらぶら揺らし、「なんでもないよ」とはぐらかした。

「すみません和倉さん、何のお話でした?」
「北浦君のことだよ。付き合うことにしたんだねって訊いたんだ」
「あ………はい、そうなんです。和倉さんにはお伝えしようと思ってたんですけど……」

和倉さんにはいろいろと気にかけてもらっていたので、蓮君と正式に付き合いはじめたことを報告したいとは思っていたのだ。
実は今日食事に誘われて即了承したのも、その話をしたかったせいもあった。

和倉さんは「そうか……」と一瞬間を置いてから、「よかったね」と大きく微笑んでくれた。

「ありがとうございます」
「琴子ちゃんが恋愛に目を向けられるようになって、安心したよ。大和君が大事なのはよくわかるけど、やっぱり近くで支えてくれる人がいた方がいいと思うからね。友達でもいいけど、でも琴子ちゃんの一番の友達は大和君のお母さんだったんだろ?だから、」
「え?ぼくのお母さんがどうしたの?」
「琴子ちゃんの一番仲良しのお友達は大和君のお母さんだねって言ったんだよ」

大和の突然参加にも慣れてる和倉さんはさらりと受け答えしてくれる。
すると大和は「うん!」とテンション高く頷いた。

「お母さんと琴ちゃんは、ぼくがうまれる前からシンユウなんだって!だからとってもなかよしなんだ」
「そうなんだね。じゃあ、大和君の親友は誰かな?」
「え?ぼくのシンユウ?えっと……えっとね……」

途端に、大和は指を折りながらああでもないこうでもないと悩みはじめた。
どうやら親友は一人じゃないといけないと思い込んでいるようだ。
私はそうではないんだと大和に教えようとしたが、大和に視線を落とした時、和倉さんから呼びかけられてしまう。

「琴子ちゃん」
「はい?」
「北浦君なら、琴子ちゃんもちゃんと幸せになれると思うよ」

考え込んでいる大和には届かないようボリュームを落とされた声に、私も同じく控えめに答えた。

「ありがとうございます」
「でももし、何か困りごとがあったり、助けが必要になったときは、すぐに俺を頼ってほしい」
「え……?」

思わぬ真面目な気配に、戸惑いがかすめた。
けれど和倉さんはニコッといつものように明るく目を細めて。

「ほら、弁護士って結構役に立つでしょ?ああもちろん、琴子ちゃんからお金取ったりなんかしないから安心してね」
「いえ、もし本当に何かお願いすることがあれば、そのときはきちんとお支払いします」
「そんなのお友達価格でいいよ」
「だめですよ。和倉さんはボランティアで弁護士してるわけじゃないんですから」

和倉さんが優しい人だとは知っていても、親しき中にも礼儀あり、なあなあは良くない。
だがこれまでにも和倉さんには相談に乗ってもらったことは何度もあったのに、毎回『こんなの弁護士の仕事に入らないよ』と言われてしまうのだ。
確かに相談内容はそこまで込み入ったものでもなかったけれど、プロの意見を聞いてるのだからせめて謝礼は渡したかったところだ。
それでも、和倉さんが私よりかなり上手(うわて)なのは経験しているので、何を言っても無駄なのかもしれない。
半分は諦め心境でいたが、珍しく和倉さんが折れてくれた。

「だったら、相談料金の代わりをもらおうかな」
「代わりって、例えば?」
「琴子ちゃんも知ってるように、俺、一人暮らしなんだよね。独身だし、彼女もいないし。だからさ、こうして、たまには仕事関係以外の人と楽しく時間を共有したいんだよね」

言いながら、和倉さんの長い腕は大和の頭に伸びる。
そっと撫でられて、大和はふと和倉さんを見上げた。

「ね?大和君も、僕と一緒にご飯食べに行ってくれるかい?」
「うん、いいよ!ぼく、わくらさん大好きだから」
「ありがとう。僕も大和君が大好きだよ」

見つめ合って微笑み合う二人を眺めた私は、私にとっても大和にとっても、和倉さんのような人との繋がりは貴重なのだと思えた。
血縁関係でも恋愛関係でもなく、仕事に左右されない、信頼できる隣人であり、友人。

私は実際の弁護士相談料金なんて相場も把握してないけれど、和倉さんがここまで言ってくれてるのを更に否定するのも気が引けてしまった。
だから、”じゃあ、お言葉に甘えて……” そう返事しようとしていた。
けれどそのとき


「和倉?」


夏の夜の風に乗って、背後から男の人の声が私の鼓膜を揺らしたのである。
それは、忘れられるはずもない、よく知った声だった。
そしてその声はすぐに私にも投げかけられたのだ。




「――――――琴子?琴子なのか?」




私は、その場に縫い付けられたように、足を動かすことも振り返ることもできなかった。
何だったら呼吸さえも止まってしまってたかもしれない。
息を忘れるほどの吃驚が、私を羽交い絞めにして、五感も思考も凍らせていた。


なぜならその声は、私の前の恋人であり、元婚約者でもある、笹森(ささもり)さんのものだったからだ。











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