閉園間際の恋人たち





即座に彼が言った意味を理解するには、あまりにもショックが大きかった。

笹森さんが、大和を………?

それは、想像にすら浮かばなかったことだった。

いや、万が一大和の素性を知られたら笹森家で育てたいと申し出てくるかもしれない、そんな警戒はしていた。
だけど笹森さんは自分が大和の父親だと気付いてるわけじゃない。
だからこれは、ただ純粋に、一度は結婚を考えた相手である私が単身で子育てする姿を見た結果の申し出なのだろう。
おそらくは、彼の優しさ、或いは、彼の私に対する気持ちがそうさせたわけで……

ここで本来ならば、蓮君という恋人がいる私は即答するべきだった。
”そんな仮定の話をされても意味がありません”
”私には付き合ってる人がいるのでそれには及びません”
笹森さんを否定し拒絶する返事ならいくらでも口にできたはずだ。
嘘でもでまかせでも、所詮相手は真相を知らないのだから。
なのに一瞬、……正しくはそれよりも長い間、私は考えてしまったのだ。

――――大和の父親である笹森さんが、私と一緒に大和を育ててくれるのなら、それは…………


だがハッと我に返ると、なんて酷いことを思い浮かべてしまったんだと、激しく懺悔した。
後悔と猛省と、そして蓮君に対する全身全霊の謝罪が爆発しそうになる。

あんなに大和を大切にしてくれてる蓮君を差し置いてなんて不誠実なことをと、自分を殴りつけてやりたかった。
確かに笹森さんは大和の父親だけど、そのせいで私が蓮君の手を離すことなんてありえないのに。
でも、でも………もしこの先、大和の事情が明るみになって、笹森さんが大和を育てることになったりしたら?
そのとき、まだ笹森さんが私を求めてくれていたら?
………そんなこと考えたくない、もしもの話でも考えたくないけど、もしそんな未来が訪れたら、私はそれでも蓮君の手を繋いだままでいる自信はあるの―――?



『……琴子さん、約束してください。俺と付き合っていく中で、もし俺以外の誰かから何か言われたとしても、絶対に琴子さん一人で結論を出さないって―――』

蓮君……

『何があっても、どんな些細なことでも、ちゃんと話し合いましょう?』

ごめんなさい、蓮君……

次々に浮かんでくる蓮君の姿や言葉が、鮮明過ぎて胸が苦しい。
好きなのに。こんなにも蓮君を想ってるのに、どうして私は………



「――――私の大切な人は大和だけではありませんから」

気が付いたときには、そう答えていた。

「……今付き合ってる人のことを言ってるの?」
「そうです。私は彼を愛してます。大和と同じように」

その気持ちに迷いはないのだ。少しも。

「………そう。じゃあその人にも、大和君の父親になる覚悟はあるんだね?」
「それは……まだ、そこまでは……。でも結婚を意識した話はしてます」
「結婚話なんて、急にひっくり返ることも珍しくない。それは俺達がよくわかってるだろう?」

そんなの私だってわかってる。

「…だとしても、私と彼のことは笹森さんには関係ありません」
「琴子、何も俺は琴子の今の恋人やその人に対する琴子の気持ちをどうのと言うつもりはない。ただ俺は今も琴子を大切に想ってるし、それと同じだけ大和君も大切に想えると言いたいだけだ」
「そんなの……、そんなの勝手です」
「うん。自分勝手だとは重々承知している。それでも琴子が好きなんだ。あのとき手放してしまったことを、今でも後悔してる。琴子に今他に好きな人がいると知っても、俺の気持ちは変わらない」
「やめてください!」
「やめないよ。今を逃したらもうこうして琴子と話せないかもしれない。俺はもう後悔したくないんだ」
「後悔なんて…!」
「俺が望んでるのは琴子の幸せだけだ。琴子の幸せを見届けるまでは……せめて琴子がその彼と結婚して大和君を一緒に育てるというまでは、諦めるつもりはないよ」
「私は今も幸せです!だからもう、私達の生活に入ってこないでください!………失礼します」

吐き捨てて、私は逃げ出すように車から飛び降りた。
こんなに感情を露にした笹森さんははじめてで、このままでは私の感情が飲み込まれてしまいそうで、怖さを覚えたのだ。

「琴子!」

背後では慌てる声が聞こえたけれど、見向きはしなかった。

大丈夫。
大丈夫、笹森さんは大和のことは気付いていない。
だから私から大和を取り上げるなんてことにはならない。
笹森さんが今日私に話したかったのは理恵の事故死の件だけで、大和の父親についてではなかったのだから。
だから………理恵、……理恵のことは、もう、いいの?

早足でマンションへと向かいながら、さきほどの違和感が増した感覚があった。
やはり笹森さんは、最後まで理恵のことを深くは尋ねてこなかった。
それに疑問なのは、理恵とそういう関係(・・・・・・)だったにもかかわらず、笹森さんからは、ひょっとしたら自分が大和の父親ではないのかと勘繰る気配が微塵もなかったことだ。
なぜ?
一度でも体の関係があって、その後相手が妊娠出産をしていたと聞けば、例え周期的に可能性がほとんどなかったとしても、微かには自分の子かもしれないと疑惑を持つものではないだろうか?
私は女なので男性側の気持ちはわからないけれど、少なくともあの笹森さんが一度もそれを考えないなんてことはないはずだ。

不審が、私の足を重たくさせていく。
するとすぐに

「琴子、待って!」

笹森さんに追いつかれてしまった。
それだけでなく、私が逃げないように手首まで掴まれてしまう。

「離してください」
「違うんだ、琴子。これを車に落としてたから」
「え……?」

笹森さんの腕を振りほどこうとしたが、目の前に掲げられたものを見て動きを止めた。

「これは………すみません」

それは、FANDAK(ファンダック)の年間チケットだった。
非売品の、特別なものだ。
ポケットに入れていたのをシートに落としてしまったのだろう。

「大切なものなんだろう?大和君はファンダックが好きなのかい?」
「そうなんです、大好きで…」
「―――琴子さん?」

突如として差し込まれた聞き慣れた声に、ぎくりと身が竦んでしまう。


恐る恐る視線を巡らせたそこにいたのは、顔色を失せた蓮君だった。











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