閉園間際の恋人たち
蓮君はエレベーターに乗り込んだときに「……大和君は、ご実家なんですね?」と訊いてきただけで、それ以外は終始口を噤んだままだった。
だけどそれは、私の部屋の扉の鍵が閉まる瞬間までだった。
「―――んんっ!」
靴も脱がないまま、扉に背中を押し付けられて、激しく唇を重ねられたのだ。
息継ぎも許さないほどの荒々しさで、遠慮も配慮もない舌の動きは熱くて、苛烈で、私はそれを受けるだけでも立っていられなくなってしまう。
その口付けは、どんな言葉よりも雄弁だった。
「……っ、ん………っ」
ただこれが蓮君のどの感情からくるものなのかはわからなかった。
嫉妬の類なのか、それとも笹森さんと二人で会っていたことへの怒りなのか。
その正体はわからなかったのに、私はその波に飲み込まれたいと思ってしまったのだ。
角度が変わるたび、食まれる唇もわずかに歪んでいく。
その隙間から送り込まれる蓮君の熱を逃すまいと、私も必死で食らいついていった。
「………ッ……ん……っ」
蓮君が好きだ。蓮君も私を好きでいてくれて、だからこんなに求め合っているのに、どうしてもそれだけでいられない。
それ以外の思いや事情がつきまとって、その結果蓮君にこんなことをさせてしまって……
なのに、蓮君に申し訳ないと感じながらも、蓮君の激しさを心のどこかでは喜んでいるなんて、自分勝手にも程がある。
でも……、でも………
だめだ、もう………
「蓮……く……、も………っ!」
声にもできない吐息が昇りつめ、私は膝から力が抜けてしまった。
けれどガクンと落ちてしまいそうになる間際、力強い腕が私を守るように囲ってくれる。
深い口付けもそこで終了となりホッとしたのも束の間、その逞しい腕は私の膝裏に差し込まれ、いとも容易く抱き上げられてしまったのだ。
「蓮君……?」
「大和君は、今ここにはいないんですよね?」
「っ!」
そこに含まれた意味を悟るや否や、尋常ではない早鐘が私に殴りかかってきた。
「蓮君、待っ…」
「待ちません」
蓮君は器用に私の靴を脱がせ、何度も大和を寝かしつけてくれた寝室へとまっすぐ向かう。
「でも、私…」
ちゃんと話もできないまま、バサリとベッドに下ろされてしまう。
蓮君はジャケットを脱ぎながら私の上に乗りかかってきて。
「……琴子さんは、嫌なんですか?」
ふと動きを止めた蓮君の目は不安に揺れて、まるで怯えているようにも見えてしまった。
「そうじゃないわ。私だって蓮君が好きだもの。だけどこんな感情任せじゃ…」
「感情任せにもなりますよ!」
突然の怒鳴り声が、私のすべてを射抜いた。
やかましかった早鐘さえも霧散するほどの威力で。
蓮君はハァ…と息をこぼすと、くしゃくしゃに顔を歪ませて私から体を起こした。
「……パレード中、琴子さんの様子がおかしかったのがどうしても気になってたんです。ちょうど夜のパレードに調整が入ったので、シフト変更してもらって琴子さんと大和君に会うつもりでした。でも何度かけても琴子さんの電話は繋がらないし、メッセージも返ってこなかった」
「あ……」
笹森さんと話をすることになっていたので、それを中断しないようにスマホの音は消していたのだ。
「ごめんなさい、全然気が付かなくて…」
「いいんです。俺だってそういうことはありますから。……でも琴子さんは俺が琴子さんを心配して連絡し続けてる間、あの人と会っていたんですよね?大和君抜きで、二人きりで」
「違っ、笹森さんと会ったのはついさっきで、そんな長い時間じゃ…」
「でも二人きりで会ってたのは間違いないんですよね?」
「それは………そう、だけど、でもそれには理由があって、」
「理由って?」
「それは……」
笹森さんがどこまで知ってるのかを確かめるためだ。
自分が大和の父親であると知ってしまったのか、それを探るために二人で会う必要があったのだ。
他に知る者がいないのだから、当然私達以外の同席者もあってはならない。例え和倉さんでも。
「……俺には言えない理由なんですね」
口惜しそうに吐き出した蓮君は、ゆらりとベッドから降りていく。
「蓮君………?」
解放され、おずおずと体を起こしたときには、蓮君はもう私に背を向けていた。
ドアの前で立ち竦む蓮君に、胸騒ぎを感じずにはいられない。
「……乱暴にして、すみませんでした。俺、帰ります」
蓮君は私を見もせず部屋を出て行こうとしたのだ。
「待って、蓮君!」
今ここで彼と離れてはいけない。
理屈じゃなくそう感じた私は慌てて彼を追いかけた。
だって私は蓮君が好きで、蓮君も私を好きなのに。
感情の糸が絡まったというなら、丁寧にほどいていけばいい。
その作業を諦めてしまったら後に残るのは、切断という選択肢だけになってしまう。
そんなのは嫌だ。この人を失いたくない。蓮君を失うくらいなら―――――――
「笹森さんは大和の父親なの!」
蓮君を引き止めたい一心で、絶対誰にも漏らすまいと誓った真実を口にしていたのだった。
その瞬間振り返った蓮君の顔は、驚愕を通り越してしまったのか、ほとんど無色のようだった。
でも私は、彼の足を止めることができたと思ったのだ。
その先に大きな後悔が待っているとも知らずに。
「でも私以外は誰も、笹森さん本人もそのことを知らないの。だから今日笹森さんと二人で会ってたのは、笹森さんがそのことを知ってるかどうか確かめたかったからなの」
あれほど躊躇っていた告白が、驚くほどすらすらと流れ出てくる。
なのに、一度は私に向き直ってくれた蓮君が、やがて再び私から顔を反らしてしまった。
「蓮君……?」
「そうだったんですか………。じゃあ琴子さんは、元婚約者の方のお子さんを、自分の子供同然に育ててらっしゃるんですね………」
――――失礼します。
部屋を出て行く蓮君の背中が、どうしようもなく寂しいと叫んでるような気がしたのは、私の錯覚ではないだろう。
私はいなくなった恋人に為す術もなく、一人きりの部屋で佇むしかなかった。
彼をまた傷付けてしまったのだと、そう理解が追い付いたのは、彼が立ち去ってしばらく過ぎてからだった………