閉園間際の恋人たち




連休明け、少しの気怠さはありつつも、底抜けに元気な5歳…いや6歳児にこれでもかとパワーを振りかけてもらって、私はいつもの時刻に家を出た。
そのパワーの源の6歳児、大和も一緒だ。
大和を引き取る事になった際、私は自分の勤務先にも相談したのだが、同僚も上司も喜んで大和を迎え入れてくれた。
それが、これから大和と向かう ”みなと幼稚園” である。

大学卒業後、幼稚園教諭として働いていた私は、数年前に主任教諭になり、そして先月からは副園長を任されていた。
30代で副園長と聞くと驚く人もいるけれど、私の周りでは特に珍しい話でもない。
園長は50代だが、運営母体の学校法人理事長は40半ばだったはずだ。

私の勤める幼稚園は系列でいくつもの保育施設があり、時々ニュースなどで取り上げられるブラック幼稚園とは程遠い職場だった。
給与も手当もスキルアップも、どこを切り取っても不満を訴える職員は見たことがない。
そんな職場だからこそ、去年、大和を引き取るつもりだと報告した時も、どうすれば二人にとってベストなのかを理事長自らが考えてくださったのだ。
大和が通っていた保育園の近くに私が引っ越す選択も浮かんだものの、もともと今年度から私は副園長に就くことが決まっていて、その為には園の近くに居住した方が何かと都合がいい。
しかしながら私が住んでいたのは単身者用のマンションで、大和と暮らすには手狭で……
悩んでいた私に救いの手を差し出してくださったのも、理事長だった。
投資の為に所持していたマンションの一室を、相場よりもかなり低い家賃で貸してくださったのだ。

そこまでしていただくのは申し訳ない……そんな常識的な思考に及ばないほどに、当時の私は数多くの手続きや書類に疲弊していた。
突然親友を失った辛さと向き合いながら、大和の心の傷への配慮を最優先させて。
それは私のメンタルを相当消費させて、実家の両親にもかなり心配されたものだ。
だが郊外にある実家を頼るわけにもいかず、私は理事長の申し出に甘えさせていただくことにした。

理事長の所持していた不動産はどれもがハイクラスで、私はその中で最も小さな部屋に住まわせてもらうことにした。
こんな高級マンションの中に私達のような事情ありの一般人が混ざったりして、他の住人から何か言われないだろうかと、小心者ゆえの不安もあったけれど、基本的にこのマンションの住人は他人への関心が薄かったようだ。
だがそんな中でも珍しく、私達によく声をかけてくれる人物がいた。


「おはよう、大和君、琴子ちゃん。連休はどうだった?ファンディーに会いに行くって言ってたけど、楽しめたかな?」


私達とは違うフロアに住んでいる和倉(わくら) 直史(なおふみ)さんである。












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