閉園間際の恋人たち




「笹森さん、ですか?」

間違えるはずのない声だけど、あまりのタイミングについそんなわけない、信じられないと思ってしまう。
和倉さんの親友である笹森さんがこのマンションに出入りするのは別におかしくもないのに。
すると私の心を読み抜いたように和倉さんが答えてくれた。

「そうなんだ、ちょうどあいつがうちに来てたんだよ」
「そうなんですか…」

和倉さんはどことなくインターホンを切りたそうな様子だったけれど、笹森さんの方はそうでもなさそうで。

《琴子は仕事帰りかい?》

いつもの穏やかな口調でそう訊いてきた。
今の私と蓮君の状態を思えば、偶然とはいえこうして笹森さんと会話を交わすのも避けたいところだ。
だけど、拒否感を前面に出すのは、それはそれで私が笹森さんを意識してるように思われそうで不本意である。
私は笹森さんに対し、ちっとも動じていないのだと示したかった。
いくら好きだ、愛してると言われたところで、私は揺らいだりしないのだと。


「ええ、そうです」
《こんな遅くまでお疲れさま》
「……ありがとうございます」
《ところで大和君は?一緒じゃないのかい?》
「え……」

まさか笹森さんから大和の名前が出てくるとは思わず、瞬時にセリフを構えることができなかった。
うっかり動揺を走らせてしまったけれど、どうにかすぐに立て直す。

「…今日は懇親会があったので、実家にお願いしてあります」

笹森さんは《そうなんだ?》と軽く流してから、

《ああ、じゃあちょうど今、以前お母様がお好きだと仰ってたメーカーの新作茶葉があるんだけど、大和君を迎えに行く時にお土産に持って行かないかい?仕事で頂いたもので申し訳ないけど》

別れてからの数年間のブランクを無視するような世間話を広げてきたのだ。
だがもちろん、私にそのつもりはない。

「いえ、お気持ちだけ頂戴します」

そう断って、もうこの会話を切り上げようとしたそのとき、インターホンの向こうからはとんでもない情報が投げ込まれたのである。


《それなら、北浦君に渡しておくよ。ちょうど今ここにいるから》
「―――っ!蓮君が!?どうして蓮君が笹森さんと一緒にいるんですか?」

平然を装うことなんかすっかり飛んで行ってしまった。
私の狼狽は、驚きよりも焦りの方が大きかった。
蓮君が笹森さんに会いに行ったの?それとも逆?笹森さんが蓮君を呼び出したわけ?
共通の知り合い、和倉さんがいるのだから、偶然鉢合わせになったという解釈もできるけど、蓮君と和倉さんが自宅に通うような親密な関係でないのは知っているのだ。
だったらなぜ……


「蓮君?そこにいるの?」

インターホン越し、おそらく笹森さんの後ろにいるであろう蓮君へ問いかける。
だが返答は聞こえない。

「……蓮君?」

二度目で、やっと蓮君から返事が届いた。

《……はい》
「どうして蓮君がそこにいるの?」
《それは……》
《北浦君は俺に何か話があるそうだよ》

蓮君が言い淀んだ隙に、笹森さんがサッと答えを奪ってしまう。

「話って?蓮君、いったい何の話?」

その言い方はまるで蓮君の方から笹森さんに会いに行ったように聞こえて、私は一気に焦りが跳ね上がった。
だってまさか、蓮君は大和の父親の話をするつもりじゃ……
けれど蓮君が答える間もなく、またおもや笹森さんが一方的に話をまとめてしまうのだ。

《詳しいことは琴子もここに来て、本人に直接会って訊いたらいいんじゃないかな?じゃあ、開けるよ?》

直後、インターホンは切られてしまい、代わりにオートロックの扉が開かれた。



「ったく、あいつは勝手に………。琴子ちゃん、断ってもいいんだよ?」

和倉さんはドアが閉まらないように移動しながら、気遣わしげに私を窺ってきた。
けれど、私に行かないという選択肢はなかったのだ。











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