閉園間際の恋人たち




「え……」

想像もしてなかった答えに、私は驚きを誤魔化せなかった。

「もうずいぶん前だけど、工藤さんに恋愛観や結婚観を訊かれたことがあって、そのときに自分の夢の話をしたんだよ」

「………本当に、そんなことが夢だったんですか?」

人の ”夢” をそんなこと呼ばわりするなんて失礼極まりないけれど、でも笹森さんほどの人の ”夢” にしては、ごくありふれた平凡なものに思えてしまったのだ。
けれど笹森さんは気を悪くした様子はなく、「そうだよ?」と口角を上げた。


「俺は見合い結婚の両親を見て育ったから、子供の頃から恋愛結婚に憧れがあったんだ。琴子には変なプレッシャーを与えたくなかったからあえて言わないようにはしていたけど。俺の両親も夫婦仲が悪かったわけじゃないが、互いを想い合ってというよりはそれぞれに家の利害が一致しての結婚だったらしいからね、どこか冷えた家庭だったんだよ。二人とも、相手のことよりも笹森の家を守ることを何より重要視していた。だから母は、琴子にあんな非道な真似ができたんだ」

前触れもなくあのこと(・・・・)を持ち出されて、胸がざわつく。
でもそれだけだった。
傷付くとか、ショックとか、そんな過去の痛みが騒ぎ出すことはなかったのだ。
けれど笹森さんの中では、今もまだ昇華できていないのかもしれない。

「でもだからといって、俺は、母を許すつもりはない」
「え?」
「そう遠くない日に、両親には引退してもらうつもりだ」
「それはどういう…」
「―――6年」
「6年……?」
「いや、準備段階から数えたらそれ以上か。結構時間がかかったな」

笹森さんはどこか疲弊を匂わせて笑む。

「俺は、琴子との結婚を考え出したあたりから、両親からの世代交代を水面下で進めていたんだ」
「世代……でも、笹森さんんは次期社長なんですよね?」
そうなる(・・・・)のを、急いだんだよ。もともと俺が学生の頃から、あの人達のやり方では笹森の将来は明るくはないと憂慮はしていたんだ。だが計画を早める判断をしたのは、琴子との婚約解消がきっかけだった」
「私が……?」
「ああ、そうだよ。あのときの俺にあった選択はただひとつ、琴子を守ることだけだった。そばにいて守るのか、一旦離れることで守るのか、その違いはあったが、両親に対抗し、代替わりを実行するためには、琴子の存在がどう影響してくるのか読めなかったんだ。だから俺は、琴子が言い出した別れを受け入れることを選んだ。そのあとすぐにニューヨークに移ったのは、一日も早く自分の立ち位置を盤石にするためだった。琴子ともう一度やり直すことになったとき、誰にも何も口出しさせないために」

ふと、笹森さんから笑みが消え去った。

「おかげで、向こうで培った人脈は今は立派な財産となって俺の後ろ盾となってくれている。だが、時間がかかり過ぎてしまった……。琴子には何も告げずに別れたわけだから、当然、琴子が別の誰かと恋愛する可能性だってあるだろう。それでも俺が琴子に何も話さなかったのは、話したところで琴子が首を縦に振るとは思えなかったからだ。だから、俺は急いだ。そうしてどうにか両親や旧経営陣の撤退が目の前に見えてきて、ようやく帰国が叶ったが………時すでに遅し、琴子には北浦君がいたわけだ」


ため息混じりの告白に、私は相槌さえ打てなかった。
あのとき笹森さんが何を思い、どんな考えだったのか、今の今まで知らなかったのだから。
婚約解消のあとは理恵が大和を妊娠したりで、笹森さんのことを想って涙する時間は徐々に減っていったのだ。
その時の涙はもう思い出となり、今は私の中で強さに変わってくれている。
だから、決してこの告白に心が揺れたりはしない。
それでも、この人の人生を変えてしまったのだろうかと、申し訳ない感情は存在するのだ。

すると、笹森さんは「”夢” の話に戻すと―――」と言いながら、テーブルのお茶をひと口含んだ。

「………俺の ”夢” は、琴子と付き合いだしてからは ”好きな人と結婚すること” から ”琴子と結婚すること” に変わったんだ。そしてそれは、琴子と別れてからも、ずっと変わらないままだった」

この上なく真剣な眼差しで告げたあと、笹森さんの大きな手のひらがテーブルの上で私の指先を摑まえた。

「笹森さん………」

何を言われようと私が彼に気持ちを戻すことはあり得ないけれど、当時、学生時代に受けた傷を引きずっていた私に、新しい恋を教えてくれたのは彼なのだ。
その恩義は忘れてはいけない。
例え他人になってしまったとしても。
ただそれでも、私には蓮君がいる。
大切な恋人を、不安にも、不快にもさせたくない。

私は重なっていた笹森さんの手から自分の手をぐっと引き抜こうとした。
けれどそれが完了する前に、笹森さんはパッと離したのだ。
そして、


「でも、その夢は今日で終わったよ」


まるで雲間が開ききったかのように、晴れやかに明言したのだった。












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