閉園間際の恋人たち





「明日からはまた、俺の夢は ”好きな人と結婚すること” に戻るんだ。だからその代わりに、琴子。俺と約束してくれないかい?」
「何をですか?」
「必ず、幸せになることを。大和君と、北浦君と……正直なところ、別に北浦君とでなくてもいい、だけどとにかく、幸せになってくれないか?俺は夢を叶えられなかったけれど、琴子には、幸せになってもらわないと困るんだ」
「笹森さん……」
「今さら勝手なことを言うなと怒ってくれていい。琴子にはその権利がある。ただこれだけは覚えておいてほしい。俺はあのとき、これが最善だと思う選択をしたつもりだった。でも今は、それは取り返しのつかない選択だったんだなとも思う。だから琴子、その時々では一番良いと感じたことが、数年後も同じに思えるのか、よくよく考えてほしい。そして、幸せになってほしい。いや……幸せでいてほしい」


雲が晴れた空から降り注ぐ穏やかな日差しのように、笹森さんの物言いはとてもとても静謐で、私は胸の奥に確かに在る懐かしい記憶達が、静かに色を塗り替えていく気配がしていた。
そして鮮やかな色達は優しく私を引き上げてくれて。

「笹森さんも、………笹森さんも、幸せになってください。なってもらわないと私が困ります」

彼のセリフをなぞって、心の底から伝えた。
笹森さんは「ありがとう」と喜んだあと、「琴子、俺は―――」と何か言いかけるも、それは扉をノックする音に中断されてしまった。

微かに顔を見合わせてから、私が「はい」と応答すると、扉を開いたのは蓮君だった。

「蓮君」

私は立ち上がって扉口に急いだ。

「お話し中すみません、そろそろ時間なので…」
「わざわざごめんね」
「いえ。それより、帰りもこちらに迎えに来ましょうか?大和君、まだまだ市原さんと遊びたいみたいだし、俺は家族とちょっと食事してくるだけですから、待っててもらえたら迎えに来ますけど」
「そんな、悪いからいいわ」

そう返事した私に、いつの間にかすぐそばにまで来ていた笹森さんも同調した。

「もし足が必要なら、俺か和倉が送っていくから大丈夫だよ」

笹森さんは下心なしの親切で申し出てくださったのだろうけど、蓮君は首を振った。

「だめですよ。チャイルドシートをお持ちではないでしょう?」
「ああ……、そうか、そうなんだな。チャイルドシートか………でも、北浦君は今車に乗せてるんだろう?だったら、それを置いていってくれたらいいんじゃないかい?」
「まあ、それもそうですけどね。じゃあ、今持ってきます」

あまりにも二人でさくさく進めてしまうので、私は「待って。私達はタクシーで帰りますから大丈夫です」と慌てて引き止めた。
けれどそれはほとんど効果はなかったようだ。

「琴子さん、俺に迎えを頼むのを遠慮するなら、ここは笹森さんや和倉さんに甘えてください」
「そうだよ、琴子。北浦君という恋人がいても、俺にとって琴子が大切な知り合いであることには違いないんだから。頼りにしてほしい。この先もずっとね」

こんな時ばかり息がぴったりな二人に、私は早々に降参するしかなかった。


「……わかりました。じゃあ蓮君の車からチャイルドシートを外して…」
「琴子ちゃん、ちょっといいかしら?」

蓮君、笹森さんと一緒に私も駐車場に行こうとした矢先、戻ってきた園長に声をかけられてしまった。

「園長、あの、少し待ってていただけ…」
「いいよ琴子、俺がもらってくるから。琴子は園長先生のお話をお聞きして。いいかい?北浦君」
「もちろんです。それじゃ、琴子さん…」

蓮君はつかつかと私の正面に詰め寄って来たかと思いきや、有無を言わさぬスピードで私を抱き寄せたのだ。

「ちょ、蓮君?」
「終わったら電話します。夕食は三人で一緒に食べましょう」

言いながら、私の背中をぽんぽんと叩く。

「仲が良いわね」
「本当に。羨ましいくらいですよ」

笹森さんと園長から笑ったような様子が届いたあとで、蓮君は私を解放してくれた。

そして園長のにこにこ顔に見送られて、蓮君と笹森さんはダイニングから出ていったのだった。



「それで、私に話というのは……?」

どこかひっそりとしたダイニングで、私より背の低い園長をあまり見下ろす姿勢にならないよう小首を傾げつつ尋ねると、園長は「正確にはお話ではないのだけど……」と、後ろ手に隠し持っていたものを見せた。
それは、白い封筒だった。

「これは……?」

さっき見たばかりの、まるで既視感(デジャブ)のような感覚に、とっさに身構えた。
だってもしこれがそう(・・)なら…………

ドクンドクンと緊張が駆け抜ける。

数秒後、園長がそれ(・・)を明かしたとき、私は我を忘れてその手紙に手を伸ばしていたのだった。



「これは、もし琴子ちゃんがここに大和君の父親を連れて来たら渡してほしいと、理恵ちゃんから預かっていた手紙よ」




亡き親友は、私にもメッセージを残してくれていたのだ。












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