閉園間際の恋人たち
「それでは、琴子さんと大和君をよろしくお願いします」
大和君のチャイルドシートを笹森さんに託した俺は、いかにも琴子さんの身内だという口ぶりで彼女の元婚約者に告げた。
笹森さんの方はというと、いかにもチャイルドシートには不慣れだと透けて見えるぎこちなさで扱いながら、含みのある返しをしてきた。
「ああ、任せてくれていいよ。北浦君も、気を付けて。北浦社長は手強いから」
「……父をご存じなんですね」
不意を突かれたのは確かだが、思えば、それもそうかとすぐに納得できる。
笹森さんのご実家は商社だったのだから。
各業種、各メーカーとの繋がりを数えたらきりがないだろう。
もちろん俺の実家も例外ではなく。
「お父様というよりは、お兄さんの方と親しくさせてもらってるよ。ちょうど今は北浦社長のご長男の婚約はちょっとした噂だしね。今日はその婚約者との顔合わせなんだろう?」
「ええ。久しぶりの家族全員集合です」
笹森さんは「そうか…」と軽い相槌をしてから、
「琴子と大和君のこと、くれぐれもよろしく頼むよ」
たった今俺が口にしたばかりのセリフを、さらに研磨したかのような深刻さで告げてきたのだ。
笹森さんの真摯な態度から、ふざけてるわけでないのは明白だ。
そして、琴子さんから笹森さんとの過去を聞いていた俺には、彼が今訴えようとしている想いが、痛いほどに強く深く感じられてしまって。
だからこそ、平然と、俺はそんなの当り前ですと言わんばかりの普通さで答えた。
「大丈夫です。俺は、二人を絶対に離しません。何があっても。誰が何かを言ってきたとしても。だから大丈夫ですよ」
嫌みに聞こえぬよう、朗らかに微笑んで。
すると笹森さんは俺の宣誓を好意的に聞き入れてくれたようで、同じくあたたかみのある笑顔を見せてくれた。
「それを聞けてよかったよ。じゃあ、気を付けて。お兄さんと婚約者の方によろしく」
”それを聞けてよかった” というのは、きっと、彼の本心なのだと思う。
そう思えたからこそ、俺も心に澱を残すことなく、大切な二人を任せられるのだ。
「はい。ありがとうございます。失礼します」
不安も、気がかりもなくそう言って、俺は車に乗り込んだのだった。
琴子さんと大和君を残していくことに、多少なりとも後ろ髪引かれるのだろうなと思っていたけれど、エンジンをかけたとき、俺は一刻も早く家族とのテーブルに着きたいと焦燥にも似た感情が膨れ上がっていた。
それは、市原さんと理恵さんの再会のシーンを目の当たりにしたせいだ。
お二人は互いに想い合っていたのに、いくつかのすれ違いでその想いは叶えられることなく、何年もの時間が流れてしまった。
そしてその想いはとうとう伝わることなく、理恵さんの人生は閉園を迎えてしまったのだ。
それを知ったときの市原さんの激しい悔恨に、直接の知り合いでもない俺でさえ、胸が潰されるように苦しくなった。
そして思ったのだ。
俺は、あんな風に、もう取り返しがつかないと嘆きたくはないと。
閉園を迎えてからでは取り返しがつかないのだと。
だから俺は………
胸の奥に確固たる覚悟を携え、家族との約束に挑もうとしていた。