閉園間際の恋人たち





家族との待ち合わせは、市街地にあるハイクラスのホテルだった。
実家からさほど離れていないそこはラグジュアリーなだけでなく格式もあり、宿泊せずとも今日のような会食や会合、または客人をもてなす際などに我が家がよく利用していた。
もちろん俺も何度も訪れており、地下にある駐車場へもスムーズに車を滑らせていった。
そして車の出入りがよく見える場所に停めると、約束の時刻にまだ余裕があることを確認し、スマホを取り出した。

着信履歴から目当ての相手を探し、迷いなく電話をかける。
数コールで呼び出し音は途切れた。

「もしもし。北浦です」
《お疲れ。どうした?今日はオフのはずじゃ?》

向こうは仕事中なのか、後ろでは最近よく聞く音楽が流れている。
けれど俺は躊躇わずに要件を告げた。

「実は、”例の条件” について、ご相談があります」

電話の相手は、しばしの無言ののち、フゥ…と小さくないため息を吐いた。
やがて、後ろの音楽が聞こえなくなった。
静かな場所に移動したのだろう。
カッチャン、という扉が開閉するような音がやけに大きく俺の鼓膜をノックした。

《………もう、決めたことか?》
「はい」
《いつ?》
「早ければ早いほど」
《そうか………》

通話の相手はにわかに言葉を休める。
おそらく、頭の中では物凄い速度であれこれ考えてくれているのだろう。
俺のこと、そしてFANDAKのことを。

沈黙が流れる通話にも、俺は黙って待っていた。
そして向こうから、《―――わかった》と了承の返事が聞こえると、やはりホッとした。


《だったら、年明けは?もうリハは進んでるけど、今ならまだ変更は可能だろうから》
「ありがとうございます」
《残念だけど、しょうがない。それが、ダンサーのレンを引き止めるための条件だったわけだから》
「ご理解いただき、感謝します。ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いいたします」
《OK、このあとすぐに報告しておく。それはそうとして、もしかして明莉みたいにニューヨークに?まあ、蓮の場合は ”戻る” と言った方が正しいけど》
「いえ、俺は―――」

俺はニューヨークには行きません、そう答えるつもりだったが、一台の車が駐車場に入ってくるのが視界の端に映り、つい意識がそちらに飛んでしまった。


《まあどちらにしても、これからすぐ段取りにかかるよ。明日の午後には詳細を出せるようにしておく》
「無理言って申し訳ありません」
《謝らないでいい。条件は条件だから》
「ありがとうございます」
《こちらこそありがとう》

(かげ)りなく言ってくれた相手は、続けて《蓮》と呼んだ。

《蓮の選んだ道を、応援してるから》

思いもよらぬ励ましの言葉に、グッと胸が熱くなる。
俺は通話を終える前にもう一度、「ありがとうございます」と心を込めて伝えたのだった。


そしてすぐに車を降りると、ホテル入り口に急いだ。
さっきの車は兄のものだったのだ。
両親はまだ着いてないようだが、俺は今日の主役である兄に前以て話しておきたいことがあった。
地下駐車場からホテルエントランスに向かうには中央のエレベーターを利用するしか手段はなく、そこで兄を待つつもりだった。

エレベーターホールには大きな姿見が壁に掛かっており、俺は自分の髪が多少乱れているのに気付く。
大和君と遊んだ名残りだ。
その存在を思い出しただけで心が和む感覚に、俺は自分の覚悟を再確認した。

もう間もなく兄が来るだろうから、兄が両親と顔を合わせる前に俺の選択を伝えておこう。
もしかしたら俺の選択は兄にも影響を及ぼすかもしれないのだから。
けれど、そう考えながら髪を撫でていた俺に声をかけてきたのは、兄ではなく女性の声だった。


「ごきげんよう。北浦 蓮さん」


鏡越しに目と目が合ったのは、意外な人物だったのだ。










< 284 / 340 >

この作品をシェア

pagetop