閉園間際の恋人たち





「これは……こんにちは。奇遇ですね」

顔見知り(・・・・)の女性に、俺はごくごく常識的な範囲の挨拶を返した。
だが相手はクスクスと愉しげに声を転がせるのだ。

その反応を見て、俺ははじめて、もしや…とある可能性が過った。
するとそれを彼女に問う間もなく、遅れてやって来た人物が機嫌よく会話に加わってきたのだ。


「なんだ蓮、もう来てたのか。今日はわざわざすまないな」
「兄さん……」

そして答え合わせをするまでもなく、彼女の正体を悟ったのだった。

(りょう)さん、蓮さんが驚いてらっしゃいますよ?」

彼女はクスクス笑いを膨らませ、いたずらの成功を祝うように兄に報告した。

「なに?きみはこの前蓮に会ったんじゃないのか?そのときに自己紹介したんだろう?」
「もちろんしましたよ?モデルのレイラですって」
「それだけ?」
「ええ、それだけ」

肩を(すぼ)めた彼女は、さすがモデルだけあってそんな仕草さえも様になっている。
俺は驚きを隠しようがなかったものの、ああそれで…と合点がいくこともあった。
本来ならファッション関係の仕事しか受けない彼女が、FANDAKの広告をすんなり引き受けた謎が解決できたのだ。
つまり、FANDAKが婚約者の弟の勤め先だったから。そう考えるのが自然だろう。
同時に、道理で彼女が俺の個人的な事情を細かく把握していたわけだと、激しく腑に落ちた。

兄の口ぶりからすると、おそらく兄は、彼女がFANDAKで俺と一緒に仕事をする際に、何らかの説明をしているはずだと思っていたのだろう。
だが、いったいどんな意図があったのかまでは想像つかないけれど、彼女は俺に一切の事情を知らせなかった。

どうやら俺の義姉になる人は、相当なサプライズ好きのようだ。
この先もこんな調子でサプライズ演出をされるのだろうかと、ちょっとした困惑が生じるも、大和君はそういうサプライズ的なものをなんだか喜びそうな気もして、そうか、そう遠くない未来に彼女と大和君、そして琴子さんも親戚になるのかと思うと、それだけで心躍ってしまう俺がいた。

そして婚約者のそんな性格を既に承知の兄は、「仕方ないな…」と呟いた後すぐさま気を取り直し、俺に感想を尋ねてきた。


「蓮、どうだ?」

その愉しげな表情が、若干彼女と重なってるような気がしてしまう。
考えてみれば、兄にだって婚約者のことを俺に話す機会はいくらでもあったのに、そうはしなかったのだから。
相手が有名人なだけに慎重にならざるを得なかったのかもしれないが、それだけが理由ではあるまい。
案外この二人は似たもの夫婦になるのかもしれないなと密かに感心した。

「……婚約のことを訊いているのなら、二人ともお似合いだと思うよ」

俺の返事に満足した兄は極上の笑みで「そうか?」と婚約者と見つめ合ったりして。
彼女の方も満更でもなさそうで、俺は、そんな二人を少し羨ましくも思えた。
俺が大切な人と共に彼らの位置まで進むには、まだまだ乗り越えるべきものがいくつもあるからだ。

だが俺は、もう心は決まっている。
そして、今日はそれを実行に移すまたとない絶好のチャンスだとも思っていた。


「―――兄さん。それから、レイラさんも」

本日の主役に改まって語りかける。
エレベーターのボタンを押そうとしていた兄はその手を止めた。

「今日はおめでとう。兄さんの婚約は、本当に嬉しいよ。心からのお祝いを伝えたいと思ってる。でも、もしかしたらせっかくの会食の雰囲気を俺の発言で壊してしまうかもしれな…」
「構わないさ」
「……え?」
「お前の好きなようにやれよ。今日はレイラとの顔合わせだけでなく、お前の誕生日前に家族で揃う場をセッティングしたかったのもあるからな」

兄は兄らしくそう言ってから、もう一度繰り返す。

「レイラも了解済みだ。好きなだけ親父とぶつかり合ってみろ」

断言した兄の隣では婚約者が無言で頷いてくれて。


俺はそんな二人の後押しをもらえたことにひとまず安堵し、「二人ともありがとう」と感謝の言葉を告げ、エレベーターのボタンを押したのだった。











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