閉園間際の恋人たち





「でも、誤解しないでください。それはあくまでも、いくつもある理由やきっかけの一つに過ぎませんから」
「でも、私のことで……」
「琴子さん。夢が変わるのは悪いことですか?」

俺は、前にも琴子さんに告げた文句で訴えた。
それは琴子さんも覚えてくれていたようで、ハッと顔つきがかわった。

「それ、は……」
「お話ししましたよね?俺はダンサーを目指しはじめたのは大学の頃で、それまでは実家の仕事を手伝うつもりだったと。それから、大学卒業後はニューヨークに留学して、ブロードウェイに立つのを目標にしていたことも。でもそのあと縁あってFANDAKのダンサーになってからは、ブロードウェイよりもFANDAKを選んだと。だけど、琴子さんと出会う前、FANDAKでの立ち位置や扱われ方に悩んでいたということも」

琴子さんは「もちろん、覚えてるわ」と、少し苦しそうな目をした。
おそらく、悩んでいた頃の俺に同調してくれているのだろう。優しい人だから。

「そうやって悩んだ上で、俺は、FANDAKよりも、もともとの夢だった実家の仕事を手伝いたいと思うようになったんです」

俺は琴子さんに向かって説明していたのだが、俺と琴子さんの間にいる大和君は、大好きな ”ファンダック” という名前が飛び出したことで、うずうずしている様子だった。
それでも、黙っていようとする大和君に愛しさがあふれ出す。

「ねえ大和君。俺は大和君が大好きだよ。大和君は?」
「え?うん、ぼくも大すきだよ!」

即答が嬉しくてたまらず、俺は心から破顔した。

「ありがとう。じゃあ、大和君は、俺がファンダックのダンサーでなくなったら、俺のことは好きじゃなくなるのかな?」

すると大和君は今度は即答せず、「どうして?」と訊き返してきたのだ。
きょとんとする大和君に、琴子さんは若干心配そうにしてる。
だが大和君から向けられた疑問は、実にシンプルなものだったのだ。

「どうしてそんなこときくの?レンお兄ちゃんがファンダックのダンサーじゃなくなっても、レンお兄ちゃんはぼくの好きなレンお兄ちゃんだよね?」


それは、俺と琴子さん、二人の大人の中にするりと入り込んできた、まっすぐな言葉だった。
まるで俺達大人が培ってきた常識やセオリーを根本から溶かしてしまうような、”人” という存在についての真理であり、そして純粋に、”好き” という感情の源でもある。

「………ああそうだよ?俺は、ファンダックにいても、ファンダックを辞めても、大和君と琴ちゃんを大好きなレンお兄ちゃんだよ」
「でしょう?それなら、ぼくはレンお兄ちゃんを好きじゃなくなることはないよ!」

自慢げに、やおら胸を張る大和君だったが、その後ろから琴子さんがいきなりハグしてきたのだ。
俺を、ではなく、小さな哲学者の体を。

「うっ、琴ちゃん、どうしたの?」

大和君は琴子さんの腕を掴みながら、びっくり声をあげた。
ちょっとだけ苦しいよ…という可愛らしいクレームは、琴子さんの耳に吸い込まれてしまう。


「大和は、すごいね……。本当にすごいよ」

俺も同意のつもりで大和君の頭を撫でた。

「本当に。敵わないですね」

呟くと、琴子さんと目が合った。
二人してフッと笑みがこぼれて、そして琴子さんは大和君を抱きしめる腕をゆるめた。


「蓮君……、前も言ってたよね、『夢が変わることはいけないことなんですか?』って」
「そうですね」
「私…そんなことないって、あのときも思ったのに。夢が変わっていったておかしくないって、自分でも経験してることなのに、また蓮君に同じこと言わせちゃったんだね。ごめんね……」
「いえ、琴子さんが俺を想ってそう言ってくれたことはわかってますから」
「でも………やっぱりごめん。私、そんなことはないって頭では考えていても、ブロードウェイとか、FANDAKとか、ご実家のお仕事とか、どれも全部蓮君の大切な夢のはずなのに、もしかしたらどこか無意識のうちに、順番をつけていたのかもしれない。こっちの方が叶えるのは難しそうだから、貴重だとか、大きいはずとか………」

そんなはずないのにね。
自省しつつ、琴子さんは大和君の髪を梳く。
さらさらと、クセのないまっすぐな髪が琴子さんの指の隙間を通り過ぎていった。

「大和に気付かされるなんて……」
「え?ぼく?」
「そうよ?大和が、私に教えてくれたのよ?」
「そうなの?琴ちゃん、うれしい?」
「うん、嬉しい。ありがとうね」
「どういたしまして!じゃあ、ぼく、あっちであそんできていい?」

どうやら大和君の興味は徐々に薄れてきてしまったようだ。
琴子さんは苦笑を誤魔化せないまま、「いいわよ。でもここでお話ししてるから、少し静かにね」と応じた。
すると大和君はササッとソファから立ち上がり、おもちゃのある続き部屋に駆けていく。
真っ先に手に取ったのは、ファンディーのぬいぐるみだった。


「………夢にも閉園時間が、あるのよね」
「え?」
「人生に閉園時間があるように、夢にも閉園時間があって、でも、閉園時間を迎えたところから、また新しい夢がはじまっていくんだよね。その夢の一つ一つが大切で、どれが一番とか上とか下とか、順位はつけられないのよね」

琴子さんに気持ちが伝わって、ようやく胸を撫で下ろすことができた俺は、大和君には見えないところでそっと恋人の手を握った。

「でも、過去の夢の優劣はつけられませんけど、今現在の夢は、俺の中では明確な順位はありますよ」
「そうなの?」
「はい。FANDAKよりも実家の仕事を手伝うこと。だけどそれよりも俺の中でもっと大切な夢は、琴子さんと大和君と一緒に幸せになることです」
「―――っ!」

琴子さんの指がピクリと動き、逃げようとするけれど、俺はその手を離すつもりはなかった。

「前にも言いましたけど、俺の今の夢は、琴子さん、あなたなんです」

俺に両手の自由を奪われている琴子さんは、その代わりに目線を彷徨わせて。

「それは……前に言ってくれたから、もう……。それより、今日の食事会はどうだったの?もしかして、FANDAKを辞めることもご家族にお伝えしたの?」

明らかに話題を逸らそうとする琴子さん。
こんな会話で頬を染めてしまうなんて、もう何度も琴子さんが好きだと告げているのに、行動で示しているつもりなのに、まだまだ俺の愛情が足りていないのだろうか。
もしそうなら、俺が父の出した条件を実行するまでに、もっともっと気持ちを埋め込まなければ。

「はい。食事会の最後に聞いてもらいました」
「それで、ご家族は何て?」
「父は許してくれましたよ。ただし、条件を提示されました」
「どんな条件なの?」

自分にでもできることなら協力は惜しまない、そんな意志が琴子さん全身から感じられる。
だから俺は一思いに打ち明けた。


「父の指名する女性と婚約することです」











< 292 / 340 >

この作品をシェア

pagetop