閉園間際の恋人たち




  琴子へ


   琴子がこの手紙を読んでるということは、
   私はもうこの世にはいないのよね?
   ……って、一度言ってみたかったのよね。
   
   あ、ちょっと引かないでよね。
   暗ーい手紙になるよりましでしょ?
   わかったわよ。
   真面目な琴子が怒り出す前に、ちゃんと書くわよ。
   
   つまり、琴子にこの手紙が渡ったということは、
   大和の父親が誰なのか、もう知ってるということよね?
   驚いた?
   それとも、軽蔑した? 
   私だって、婚約者のいる人とそんな関係になるなんて
   思ってもいなかったのよ。
   でもね、間違いなく、大和の父親は市原君なの。
   あの頃私がそういう関係になった人は市原君だけだから。
   市原君には婚約者がいるって知ってたのに、
   私は彼と関係を持ってしまった。
   今も、それが道徳的に反してる行為だとはわかってるわ。
   でも、後悔はしていないの。
   何も大和を授かったからじゃないわよ?
   もちろん、大和を授かったことは
   世界で一番の幸福だと思ってるけど。
   でも、私が市原君とのことを悔やんでいないのは、
   私がずっと市原君を好きだったから。
   私が好きじゃない人とそんな関係になるような
   タイプじゃないこと、琴子も知ってるでしょ?
   
   だけど、婚約者の方には心から申し訳なかったと思ってる。
   それに、琴子がそういうことを嫌う性格だともわかってる。
   だから大和の父親が誰なのか言えなかったの。
   私のことを軽蔑してたとしても、仕方ないわ。
   でも、大和には関係のないことだから。
   あえて言うまでもないけど、それだけはわかっててほしい。
   
   それにしても、市原君が大和の父親だってよくわかったわね。
   もしかして誰かに聞いた?
   琴子に教えた人がいるとしたら………
   市原君本人か、ひょっとして笹森さん?
   今、琴子の隣に誰がいるのかはわからないけど、
   もし笹森さんが一緒にこの手紙を読んでるなら、
   二人して「もう知ってるよ」って笑ってね。
   でも、もし全然違う人がいるなら、
   余計なこと言っちゃってごめんなさい。
   
   どちらにせよ、もし誰かの口から琴子の耳に入ったりして、
   変に誤解してほしくないから、
   私から知らせておきたいことがあるの。
   実は私ね、入社してすぐの頃、
   笹森さんのことが好きだった時期があったの。
   で、市原君はそれを知ってる数少ない同僚の一人だったのよ。
   でもね、琴子に打ち明ける前に、
   笹森さんは琴子と出会って恋に落ちてしまったわけ。
   といっても、その前にとっくに
   私は笹森さんに振られてたんだけどね。
   だから、誤解してほしくないのは、
   琴子と出会ったせいで
   私が笹森さんから振られたわけじゃないからね。
   
   でもそういうわけだから、私が笹森さんを好きだったって
   琴子には今まで言わないでいたの。
   きっと琴子のことだから、自分のせいだって言いそうだし。
   なんかそういうとこが市原君と似てて、
   彼も変に気を遣ってくれちゃってね。
   琴子と笹森さんが付き合って、婚約して、破談になって、
   私がそのことで傷付いてると思ったのよ。
   そんなわけないのにね。
   実際、私はとっくの昔に、笹森さんよりも、
   色々親身に相談に乗ってくれてた市原君を好きになってたんだから。
   それで、ひょんなきっかけで市原君とそういう風になったとき、
   婚約者がいると知りながらも、踏み止まらなかった。
   
   今、琴子がこの手紙を読んでるのがいつで、
   どういう状況なのかまったく予想もできないけど、
   もし市原君の奥様が大和のことをご存じで、
   琴子が奥様と話せる状況にあるのなら、
   私は心の底から申し訳ないことをしたと思っていたと
   お伝えしてほしいの。
   認知を求めないことと、
   大和は一切市原家に関わりを持たさないということも。
   嫌なことを頼んでしまうけど、どうかよろしくお願いします。

   頼みといえば、大和が生まれてすぐの頃から、
   もし私に万が一のことがあれば
   大和をお願いするわねって冗談半分で言ってたけど、   
   この手紙が琴子に渡ったということは、
   きっと琴子は私のそのお願いを実行してくれてるのよね?
   心から感謝します。ありがとう。
   今、大和は何歳になってるんだろう?
   私が冗談半分でお願いした時、
   琴子が「じゃあ毎年大和の誕生日に渡すから、100通くらい
   手紙書きなさいよ」って言ったの覚えてる?
   よくさ、ドラマや映画なんかで
   余命少ないお母さんが子供に向けてやってるよね。
   でも、毎年となったら結構な量になるし、
   何より面倒だから、それはやめておくわ。
   だって私が手紙を書くと長くなりそうだから。
   この手紙だってかなり長文になっちゃってるでしょ?
   ついついあれもこれもと書きたくなっちゃうのよね。
   そんなの、もらう大和も面倒くさいでしょ。
   でもその代わりに、4通だけ書いて残しておくわ。
   大和が成人した時、結婚した時、父親になった時、
   それから、どうしようもなく落ち込んで立ち上がれなく
   なってしまった時用に。
   園長に預けておくから、まとめて琴子が譲り受けてもいいし、  
   その都度大和を連れて施設に行ってくれてもいいし。
   本当はね、大和が父親を知った時用にも書こうかと思ったんだけど、
   その時の事情がまったく読めないから、そこは控えることにしたの。
   大和は父親のことを知って、どんな感じ?
   それとも、市原君だと突きとめただけで、
   大和にはまだ言ってない感じ?
   父親のことを告知するタイミングは、琴子に任せるわ。
   一生言わないままでもいいとは思ってるけど、
   大和が知りたがるかもしれないし、琴子が必要と判断したら、
   そうしてやってほしい。
   
   あ、もう2000字越えちゃった。
   長くなってごめんね。
   でももうちょっとだけ付き合って。
   
   琴子と大学で知り合って友達になって、もう随分経つじゃない?
   私ね、実はずっと琴子には言わないでいたことがまだあるのよね。
   知りたい?
   ま、別に秘密の暴露ってほどでもないんだけどね。   
   実は私ね、勝手に琴子に自分を重ねて見てたりしてたんだよね。
   親を失った私と、親になる未来を失った琴子。
   ひどい言い方なのはわかってるけど、許してね。
   でも、琴子の事情を聞いた時、
   どこか親近感を持ってしまったのは事実なの。
   もしそれを聞いて琴子が不快に感じたらごめんなさい。
   私は親がいないことがコンプレックスで、
   琴子は子供を授かれないことに劣等感を持っていたでしょう?
   ちょっと似てるなって思った。
   だから、二人なら、他の人達よりも近いところで
   理解できたり励ませたりするんじゃないかなって。
   実際、私達はすっごく気が合ったでしょ?
   でも正直言えば、私はずっと琴子が自分の体を気にして
   誰とも恋愛しないままでいるんじゃないかって心配だったの。
   だから、笹森さんと付き合うってなった時は、
   本気で嬉しかった。
   結婚するって聞いた時もそうだよ?
   もうめちゃくちゃ嬉しかった。やった―――って。
   だけど結果はそうならなくてさ、
   いくら琴子自身が言い出したことだとしても、
   色々事情を聞いた身としては、残念だし腹立たしいしで、
   何より琴子が心配でならなかった。
   それで考えたの。
   もうこうなったら、もし将来私が結婚しようと子供を持とうと、
   琴子も含めてみんな家族になっちゃえばいいんだってね。
   言っとくけど、戸籍的なことを言ってるんじゃないのよ?
   気持ち的なことで、例えばほら、二世帯住宅にするとか、
   一緒が難しいならお隣さんとか。
   で、私の夫も子供も、みんな琴子のことを家族みたいに接するの。
   なんか、昔漫画でもそういうのなかった?
   とにかく、そんな生活楽しそうじゃない?
   そう思ってたところに、大和の妊娠がわかったの。
   私には、授かった命をなかった事にする選択肢なんて、
   一瞬たりとも過らなかった。
   でもそれらはあくまでも私の考えで、一方的な想いだから、
   琴子には実子でない子供の養育を頼むことになってしまって、
   申し訳ない気持ちはあるの。
   勝手ばかり言って、ごめんなさい。
   でも、未来がどんな状況になっていても、
   琴子と家族みたいな暮らしができたらと思っていたのは本当だから。
   それが、私の夢でもあったの。
   少なくともこの手紙を書いてる今の一番の願いは、それだから。
   でも、琴子がこの手紙を読んでる今は、私はもういない。
   死んでるのよね?
   大和が生まれてから健康には人一倍気を遣ってたし、
   もし命に関わる重病になったのなら、
   この手紙は書き直してるはずだから、 
   たぶん、突発的な亡くなり方をしたのだと思うの。
   当たってる?
   もしそうなら、琴子には相当迷惑かけちゃったわよね。
   手間的にも、時間的にも、肉体的にも、精神的にも。
   本当にごめんなさい。それから、本当にありがとう。
   だけどこれだけは言っておくわ。
   人の命なんて、いつ終わりが来るかわからないのよ。
   この手紙を書いてる時の私は元気でぴんぴんしてるけど、
   この手紙が読まれてる時の私はこの世にいない。
   だから琴子も、悔いのない人生を送って。
   悔いがあったとしても、
   その悔いごとを肯定できる人生にしてほしい。
   だって、いつ急に終わってしまうか、
   誰にもわからないのが生きてるってことなんだから。
   わかった?
   自分をめいいっぱい愛するのよ?
   生きてる人間にはみんな、愛される権利や価値があるんだから。
   もし琴子が今も劣等感を持ったまま自分のことを愛せなくても、
   私や、琴子のお父さんやお母さん、他にも、琴子のことを
   愛してくれてる人はたくさんいるんだからね。
   それだけは、絶対に何があっても忘れちゃだめよ?
   わかった?

   もしもまた何かを失うようなことがあっても、
   それだけじゃないから。
   失っても、必ずまた新しい何かが生まれるから。
   家族を失くした私が、琴子という大切な親友と出会えたようにね。
   この世に永遠なんてないんだから、
   必ず物事には終わりがやって来る。
   人生もそのうちのひとつよ。
   でも、何かが終わったあとには 
   必ず新しい何かがはじまるの。
   それを忘れないで。
   絶対に。
   
   それじゃ、長々と書いちゃったけど、
   最後に一つだけ言わせてください。


  秋山 琴子さま

   大和を引き取って育ててくださり、ありがとうございます。
   心から感謝申し上げます。
   大和が大人になって自立できるようになるまで、
   何卒よろしくお願い申し上げます。


                         工藤 理恵














「―――――――――ちゃん!琴ちゃんってば!!」









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