閉園間際の恋人たち




「そうですか……。いつか、大和君がお母さんのことを、穏やかに受け入れられたらいいですね……」

言葉を選びながらそう言ってくれる蓮君は、やはりとても優しい人だ。
思えば、昔から私のまわりには優しい人が多かった。もちろん全員というわけではないけれど、理恵も、仕事関係の人達も、和倉さんも、別れてしまったけど学生時代の恋人も、それから、笹森(ささもり)さんも……
うっかりと蘇りかけた懐かしい彼の姿に、私は慌てて頭を振った。


「琴子さん?大丈夫ですか?」
「あ…うん、何でもない」
「本当に?疲れてるんじゃないですか?ちょっと顔色が悪い気もします」
「そう?平気よ?」

蓮君が隣から正面にまわって顔を近付けてくるので、私は反射的に体を反らしてしまった。
他意はなかったのだけど、蓮君からしたら私は逃げたように映らないだろうか。
けれど目の前の整った顔が浮かべているのは心配色だけだった。

「……琴子さん、まだ知り合って日も浅い俺がこんなこと言うのはどうかとも思うんですけど、あんまり、一人で頑張り過ぎないでください」
「え?」
「和倉さんが言ってました。琴子さんは頑張り過ぎて危なっかしいところもあるって」

和倉さんが……?
確かに和倉さんには相談に乗ってもらったこともあるし、私と大和のことをよく知っている人だとは思うけれど……

「私、自分ではそんな風に言ってもらえるほど頑張ってるつもりはないわよ?」

頑張ってないとは言わない。
慣れない子育てに、仕事、特殊な関係であるがゆえに発生する色々な手続きやら配慮、そのどれを取っても、大和と暮らしていくためには必要なことなのだから。
それらは決して ”頑張る” のではなくて、”やって当たり前” のことばかりなのだ。
だから、毎日慌ただしく、時間がなくて大変だとは思っても、苦痛に感じたことはない。
だって大和と一緒にいられるのだから。

私は、子育てで得られる幸せも忙しさも、喜びも悩みも、自分にはもう一生望めないことなんだと諦めていた。
養子縁組という選択もあるにはあるけれど、自らの意志でそれを求めるほどの強い気持ちもなくて、それに独身のままでは色々と難しい面もあったから。
それなのに、親友の死というこの上なく悲しい出来事の果てに、大和という、この上なく大切な宝物を授かった。
その宝物を前に、苦痛を感じてる場合ではなかったのだ。
もしかしたら、世の先輩方には、そんなこと言ってられるのも最初だけだと笑われてしまうかもしれない。
それでも私は、一度は諦めた夢をまた違った形で与えていただいたのだからと、少なくとも今の時点では、どんなに疲弊しても、大和に関することで苦痛に感じたりはしなかったのだ。


「なんか、琴子さんらしいですね」

蓮君は私の隣に戻り、ふわりと微笑んだ。
まるで私を見守るようなまなざしで。
それはまさにおとぎ話の中、お姫様をエスコートする王子様のようだった。
……いや、私はお姫様なんかじゃないけれど。
自分の想像に申し訳なく思っていると、ちょうどマンションが見えてきた。

「蓮君、ありがとう。もうここで大丈夫よ」

私の言葉に蓮君も頷き、ぐっすり眠る大和を私の背中に移動させてくれる。

「おかしな背負い方になってませんか?」

大和の手足の位置を見まわして訊いてくれる。
どこまでも丁寧に優しい人だ。

「ありがとう。大丈夫」

今夜何度めかの ”大丈夫” を蓮君に返した私は、「それじゃ、おやすみなさい」と告げた。
けれどマンションに歩き出そうとした私を、蓮君が「琴子さん」と呼び止めたのだ。

「?」

振り返って長身の彼を見上げると、彼は王子様のようだった笑顔に凛々しさが合わさっていて、それはまるであのパレードの時のような騎士を連想させた。

「琴子さん、さっき、大和君が琴子さんのことを大好きだと言ってたって話しましたよね?」
「え…?ええ、そうね」

呼び止めてまで確かめることなのだろうかと、少し判断に惑う。
ところが蓮君はより騎士に寄せて、若干の強張りさえも乗せて言ったのだ。


「その時大和君から『レンお兄ちゃんは?』と訊かれたので、俺は『もちろん大好きだよ』と答えました。琴子さん、俺は、あなたが好きです―――――」











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