君との恋の物語-mutual affection-
初仕事
シルバーウィークも終わり、世の中は「演奏会シーズン」呼ばれる時期に入った。

とは言っても、俺のような大学生は演奏の仕事がもらえる望みは薄いので、あまり気にしていない。

焦る気持ちが全くないと言えば嘘になるが、飽くまでも俺は「音楽教育科」の学生であり、1年生なんだ。

同じ1年生であっても「音楽大学」の1年生とはやっぱり違うし、「音楽教育科」のくくりで見ても、学年の差はどうしても出るものだ。

その点、ある意味励みになっているのは増田先輩の存在だ。

先輩は「音楽教育科」の学生でありながら、1年生の頃に既に安藤先生から演奏の仕事を貰っている。

プロの団体での演奏は今もそんなに頻繁にはないようだが、アマチュア団体からの指導の依頼や演奏の依頼も数多くこなしていて、3年生にして既にアルバイトの必要がないほど稼いでいるらしい。

だから、俺も頑張ってさえいれば…と希望を持つと同時に、「増田先輩を越えなければプロになれない」というプレッシャーの中にいる。

アマチュア団体でも、指導でも…「1年生のうちに一つは仕事をいただけるように頑張る」

と言うのが、俺が大学に入った直後に建てた目標だった。

その最初の一年も、もう半部終わってしまったと考えると、焦る気持ちはどうしても拭えない。

まぁでも、来ないものを悩み続けても来ないものは来ない。

悩んでる暇があったら上手くなろう。

こうして俺は、今日も打楽器室に籠って練習している。

Aブラスはまだ曲目も確定していない。

直近の学内行事で言えば文化祭があるのだが、そこでの演奏については、まだ何も考えていなかった。

文化祭での演奏は、いくつかにエリアが別れており、ホール、小ホール、リハーサル室、校舎エントランス、それから、音楽教育科の為に割り振られた教室が2箇所だ。

学生は、演奏申請書という用紙に希望のエリアや曲目、編成などを記入し、提出をする。

希望者が多い場合や曲目が被っている場合は学友会の調整が入るが、演奏希望自体が通らないということはほぼないようだ。

この際なのでソロの曲でもいいから何か申請しようかなどと考えてはいるのだが、どうにもこれが最善だと踏み切ることができなかった。

まずいな…オーディションに合格して、気が抜けている。

しっかり目標を立て直してそこに向かっていかないと。

そのための息抜きだったはずだし、十分息抜きできたじゃないか。


…。




……。





………。


だめだ、このままでは集中できない。

帰ろう。

近々、結をお茶に誘って相談するか…?いや、相談してどうこうなるものでもない…。

結局、いつ来るかわからない仕事に備えて頑張って練習するしかないよな…。


俺は、こういうことはなるべくシビアに考えることにしている。

例えば、今は大学生なので演奏や指導の仕事がなくても学校行事での演奏や、演奏試験がある。

もっと簡単に言えば、いつでも予定がある。

でも、これは学校から与えてもらっている予定であって、仕事ではない。

ということは、このまま卒業したら明日から全く予定がないということになる。

つまり、このままでは演奏家としてやっていけないということだ…





なんだか…大学に入ってから、俺は変わったなと思う。

そもそも大学に入ったときには演奏家を目指してなかったのに。

やっぱり簡単には諦めきれないか…。

それなら、それ相応に仕事を取っていかないとだよな。

じゃないと俺も納得できないと思うし、俺の周りにいる家族も納得してくれないだろうからな。

諦めることよりも目指すことの方が難しい世界だ。

パッと決められるものでもないな。

やめよう。今日はもう帰ると決めたんだ。

まだ時間も早いし、たまには1人で散歩するのもいいか。





その日は珍しく考えがまとまらず、どうしようもなかったので、結局散歩にもいかずに帰宅し、早々に寝ることにした。

きっと、音楽大学に限らず真面目に取り組んでいる学生は、皆こうして悩んでいるんだろうと思うことした。

考え始めては、キリがないからと打ち消し、練習に励む。

こんなことをいつまでも続けるわけにもいかないなと思っていた矢先に、意外な人物から話しかけられた。

俺がいつものように教室を借りて練習している時だった。

「樋口君、ちょっといいかな?」

4年生の鈴木真里先輩だった。

『あ、はい。』

「いきなりだけど、樋口君て、ドラムはできる?」

ん?ドラム?まぁ、できなくはないけど

『ヘビメタとかでなければ、ある程度いけますね。打楽器を始めたきっかけもドラムでしたし、中高と吹奏楽部で、ポップスやるときは大体いつも叩いてました、』

すると、パッと明るい笑顔が咲いた。もしかして…?

「1件、仕事お願いできるかな?アマチュアの吹奏楽団で、団体のレベルは全然高くないんだけ…」

『やります!ぜひ、やらせてください。』

しまった…。食いついてしまった…。

『すみません…。』

先輩は、笑顔のまま続けてくれた。

「全然!アマチュアとはいえ、仕事もらったら嬉しいもんね!そしたら、まず詳細を伝えるから、読んでみてくれる?」

ありがたい。仕事を下さったこともそうだけど、こちらの気持ちまで理解して下さって。

さすが、4年生ともなると大学に入りたての俺たちとは全然違うな。

その場で送って下さったメールを見る。

水戸市吹奏楽団という団体で、本番の日程、練習の曜日、曲目、パート、そして謝礼が書かれていた。

練習は毎週土日に行なっているようだけど、賛助出演者は三回練習に参加すればいいようだ。

そして、謝礼は1万円。初仕事としては高い方なんじゃないか?ましてアマチュア団体なら。

『ありがとうございます。是非やらせてください。』

ちょっと涙が出そうなくらい嬉しかった。仕事がもらえたのもそうだけど、先輩が俺を選んでくれたことも本当に嬉しかった。

「こちらこそありがとう!今回、2人で頼まれてるから、私と一緒に行ってもらうんだけど、練習に参加する日も合わせていこう。」

なるほど、先輩と一緒なのか。それなら安心だ。それと

『はい、もちろんです。本当、ありがとうございます。』

「何ちょっと泣きそうになってんの?」

先輩は、嫌味のない笑顔で聞いてくれた。

『いや、仕事もらえたの初めてなんですよ。オーディション終わったあたりから、仕事がないことにちょっと焦ったりもしてたんで…。ほんと、嬉しんですよ。』

「大袈裟だなぁ!それに、まだ一年生でしょ?焦ることないって!まぁ、気持ちはわかるけどさ。私なんかもう4年だけど、全然食べていける見込みはないし、皆結構同じように悩んでるよ?そんな時は、吐き出した方がいいよ。今度、飲み会やるときは呼んであげるからおいでよ!打楽器だけじゃなくて、いろんな楽器の人と繋がれるし、ね!」

いい先輩だなぁ。ありがたい。

『ありがとうございます。』

「うん!今回の仕事のことで、何か質問はある?」

『えっと、練習に参加する回数は、少し増やしても大丈夫ですか?先輩と一緒に行くのは三回でいいのですが、ドラムなので、僕も合奏で叩く感覚を取り戻したいんですよね。』

「真面目だねぇ!大丈夫だと思うけど、出演料は変わらないよ?」

それはもちろん。

『ええ、それは、もちろん』

「OK!そしたら、先方には私が伝えておくよ。一緒に行く日をなるべく早くにして、以降は先方に直接連絡して日程を決めてね。」

『承知しました。ありがとうございます!』

「よろしくね!じゃ、これ楽譜ね!初日は、2週後くらいかな。この週の土日のどちらか開けられる?」

『ありがとうございます。はい、この時間ならどちらでも大丈夫ですよ。』

「よかった!じゃぁ先方から返事が来たらまた伝えるね!」

荷物をまとめて、部屋を出ようとする先輩。

俺も立ち上がって見送る。

「あ、そうだ、樋口君。さっきの話だけど」

仕事の悩みについて…かな?

「皆、今回のオーディションでしっかり結果を残した樋口君を評価してるよ!合格したこと自体もすごいけど、その後も謙虚であることも、努力を続けてることも。」

先輩は続ける。

「だから、補償はできないけど、皆多かれ少なかれ君に仕事をお願いすると思う。樋口君は信用できるし、一緒に演奏してみたいって、皆思ってるから。だから、頑張ろうね!」

またしても涙ぐんだが、悟られないように頑張った。

「じゃぁ、またね!」

そう言ってストレートの長い髪を翻し、先輩は部屋を出て行った。

もっと素直に誰かに相談すべきだったか?

なんにせよ、俺は思った以上に人との繋がりがあると思っていいみたいだ。

だったら尚のこと、ひたすら頑張ろう。そうだ、まだ学校生活は始まったばかりなんだから。



その夜、俺は久しぶりに結と電話した。

この気持ちを、いち早く結に伝えたかった。

結は、俺以上に喜んでくれて、演奏会を聴きに行くとまで行ってくれた。

俺は本当に恵まれている。

聴きに来てくれる人がいるのだから、もっともっと頑張れる。

よし、明日からは久々にドラムの練習だ!









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