十年越しの溺愛は、指先に甘い星を降らす
高校を卒業する直前、父親に大きな病気が見つかった。
そのせいで、お金がかかる私立の美術大学も、専門学校の進学も諦めなくてはいけなかった。
奨学金を使えば良いのに、と周りは勧めてくれた。
だけど当時の経済状態は、例え奨学金を借りれたとしても、振り込まれるのを待っていられる程悠長なものではなかった。

だから私は進学を諦めて、就職をしたのだ。
父親の治療費と、自分の生活費を少しでも稼ぐ必要があったから。
とても、芸術に現を抜かしている場合ではなかった。

鉛筆ではなくボールペンとメモ帳を握りしめた。
スケッチブックの代わりに、パソコンソフトの教本を抱えていた。
私の腱鞘炎の理由は、デザインをすることではなくパソコンのキーワードを打ち込むことになった。

そうして、何とかここまで変化のない生活を送り続けることができていたが、限界を迎えたと知ったのがつい先日。
余命数ヶ月。
予定では6月に父親は死ぬ。
そう医者からは宣告されてしまった。
恐らく、奇跡は起きないだろう、とも……。
それを聞いた父親は、静かに覚悟を決めた表情だった。
でも、父親の手帳を偶然覗いてしまった時に知った。

父親は、私を大学に行かせなかった事を悔やんでいた。
そして、父親は母親との約束を果たせないままあの世に行く事を申し訳ないと謝っていた。

母親との約束というの、私の結婚を見届けること。
結婚指輪が永遠の絆だということを、自分の命が消える間際に私に伝えてきたので、母らしい遺言だなと思った。

が、しかしこの時にはもちろん、結婚できるアテなんかなかった。
急いで婚活アプリに登録してみたものの、なかなか良い人に巡り合うことは出来なかった。

そんなお互いの事情を中野さんと打ち明け合った結果、この計画を進めることにしたのだ。
私は父親の最期を穏やかに見送るために。
中野さんは、葉月さんが旦那さんと別れなくても、穏便に葉月さんと逢瀬を繰り返せるように。
私と言う名目上の妻がいれば、葉月さんの旦那さんの目は誤魔化せると思ったからだ。

入籍をするという事実を作る事で、大事な人を守る。
これが、この契約結婚の裏事情。
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