月下双酌 ─花見帰りに月の精と運命の出会いをしてしまいました─
 ゆったりと椅子に腰をかけ、開け放たれた戸から丸い地球を遠く見つめ、月の宮は朔の環境を注視する。自分が課した謎解きを、自分が明かすことはしない。ただ、それを解決させるきっかけを、彼女に気付かれずに与えたい。

「ふむ。近くに居るな」

 神に仕える系譜の者を見つけ、小さく呟く。その者ならば、知らずに『協力者』として良い働きをしてくれるだろう。

 月の宮はにこりと微笑むと、地上の神に呼び掛けた。



 ◇◇◇◇◇



 ふと集中力が途切れ、紗江はパソコンの画面から目を離した。昼休みから一時間ほど過ぎた頃合い。仕事をしていて一番気の緩む時間帯だ。あくびを噛み殺しながら、紗江は横に置いてあったマグカップに手を伸ばし、とっくに冷えたコーヒーを一口すする。そのタイミングで、隣の先輩が伸びをしたのが横目で見えた。

 猫のように手を伸ばし、爪先を一瞬だけ見つめて元に戻る。そんな彼女の仕草。最近それをよく見かける。そしてその時、妙に切ない表情になることにも気付いていた。

 普段は笑顔を絶やさない明るい性格の先輩。けれどここ一月ほど、ふとした瞬間に憂いの横顔を見せる時がある。会社内での付き合いしか無いとはいえ、紗江は彼女のことを尊敬し慕っていたため、気になっていた。ついたまらずに、話しかけてしまう。

「立花さん、それ、最近の癖ですよね」

 そして話の流れで先輩の指先を見て、爪の綺麗さに気が付いた。

「爪の形が、綺麗。爪半月(そうはんげつ)もはっきり出ていて」 

 何気ない一言。

 それが先輩の、ひいては自分自身の人生の転機につながるとは、この時の紗江が知る由も無かった──。



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