王室御用達の靴屋は彼女の足元にひざまづく
「せっかく、こんな美味しそうな店が並ぶ商店街の近くなんだから、フルコースを見繕っちゃおう!」

 どうせなら作業の片手間で手でつまめるもの。
 それでいて栄養バランスが偏らないように……。
 好みが全くわからなかったから、幅広く揃えようと思った。
 『鯉屋』と書かれた店の女将と目が合った。
 
「お嬢ちゃん。今、ともちゃんちのほうから来たわよね?」

 ……どの名称が誰をさしているのかわからなかった。三秒後。

「はい、そうです」

 頷いていた。
 いい年した自分が娘扱いされるのも照れくさいが、あのぶっきらぼうな男が『ともちゃん』呼ばわりされてるのだと知りニヤけてしまいそうになる。

 ご近所に愛されているのだと思うと、晴恵の唇に自然と笑みが浮かんだ。

「そうです、檜山さんのお昼を買いにきたんです」

 澄まして言えば、店主の顔がぱあっと輝いた。

「だと思った! ねえ、これ持ってって。ともちゃんの好物なのよ」

 ご近所ネットワークはすごい。

 晴恵はあちこちの店から声をかけられ、店内にひっぱり込まれ、『ともちゃんの好物』を持たされ、「ともちゃんの微笑ましい話」を聞かせてもらった。

 晴恵の脳内シアターに、小さな『ともちゃん』が走り回ったりぐずったり、こっそりおまけしてもらって百万ドルの笑顔で応えるところが上映される。
 
 ――高さ五十メートルほどに思えていた敷居が五十センチほどに縮んだ瞬間だった。
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