ライム〜あの日の先へ
「それ、持とうか。重いだろ」

バス停が見える病院の出入り口近くでぼんやりしている琴羽に、白衣姿の医師が声をかけてきた。
救急担当の水上医師だ。

「重いわ。車まで運んで。それと、パパにもうちょっとため込まなくていいように家に帰るように言ってよ、水上先生」
「一条教授に?俺がいくら言っても無駄だって」

水上は大きなあくびをしながら琴羽から紙袋を受け取る。

「俺は、今日こそ早く帰る。たまには子供と夕飯が食べたい」

水上がそういったとき。彼の白衣のポケットで電話の呼び出し音が鳴った。

「はい、水上……はい、すぐ行きます」
「早くは、帰れなさそうね」

琴羽は水上から紙袋を受け取る。

「私は今夜、会食があって遅くなる。
最近会食が多くて太ってきた気がするわ」
「そうか?見た感じわからないけど」

琴羽はじっと水上の目を見つめた。

時にどこまでも冷たく、他者をよせつけないほどの迫力をもった琴羽の目が、何かを欲するようにまっすぐに水上だけを見つめている。
その目にどうしようもなく仄暗い欲情を覚えて、水上はわざとらしくコホンとせきをした。そっと琴羽の耳に口元を寄せる。

「そんな目で見るな。仕事をほっぽりだして、直接触って太ったか確認したくなる」
「この私にそんな感情抱くのは水上先生くらいです」

水上が発した言葉に無表情だった琴羽の顔にわずか赤みがさす。

水上は笑ってポンと琴羽の肩を叩くと、白衣を翻しながら病院内へと走っていった。


その後ろ姿を見送る琴羽の表情はまるで恋する女の子のように柔らかく、わずかな愁いを帯びていた。

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