エリート課長の脳内は想像の斜め上をいっていた
 斎藤課長に抱き上げられ会議机の上に座った麻衣子は、彼の視線が促す通りに履いていた黒色のハイソックスを脱ぐ。

 昨夜は、母親が訪ねて来たため隼人とは会わなかった。
 泣き落としのように「自分でムダ毛処理しない」と約束した麻衣子が、隼人に足のムダ毛を剃ってもらったのは二日前。
 見た目では分からなくても、触れれば伸びてきたムダ毛の存在がよく分かる。

「ああ、麻衣子さんの足。はっ麻衣子っ」

 床に両膝を突きかけている眼鏡がずれるほど、一心不乱に斎藤課長は麻衣子の足に頬擦りする。
 美形で仕事が出来る斎藤課長が、自分の足に頬擦りしている姿は気持ち悪いを通り越して卑猥だった。
 斎藤課長の背後に、妖しく倒錯した世界が見え隠れする。

「んっ、ふぅっ」

 手の平と頬で撫でられる擽ったさと、斎藤課長の恍惚とした表情が情事の時の表情を彷彿とさせてしまい、違うと否定したくとも麻衣子の気分は高ぶっていく。

 撫でるだけでは足りないと斎藤課長が脹脛に吸い付いた時、スマートフォンから鳴り響くアラーム音が倒錯の時間はもう終了だと告げる。

「……ぁ、会議に遅れますよ」

 名残惜しそうに撫でた斎藤課長は、唾液で濡れた口元を手の甲で拭う。

「勤務時間終了前には会議を終われるよう誘導するから、夕飯におススメのラーメン屋へ連れて行ってくれ」

 乱れた息を整えるため長く息を吐いた斎藤課長は、ずれた眼鏡の位置を人差し指で直す。

「はい」

 はぁーと息を吐いて麻衣子は頷く。
 熱を持つ頬に両手の平を当てて、斎藤課長を見上げた。

 脚を撫でられキスされて、茹だってしまったのは麻衣子も一緒なのだ。

「頑張ってください」
「くぅっ、ああ、行ってくるよ」

 何かを堪えるように斎藤課長は片手で口元を覆い、前屈みの不自然な歩き方で廊下へ出ていった。




 ***




 仕事の時は常に冷静で“出来る男”の姿を崩さない斎藤課長。
 勤務時間外では麻衣子を気遣い、紳士で時には可愛い姿を見せる隼人。

 お試しお付き合いなのに、こんなに大事にされていいのかと裏があるのではないかと、不安になる。
 さらに麻衣子を不安にさせたのは、週末以外はお泊りをしない、という約束だった。

 お試し期間でお泊りをするのはどうかと思うが、ムダ毛のお手入れをしてもらうという理由もある。
 しかし、約束は一週間ほどで破られてしまった。


「美味しいっ」

 珍しく早めに仕事を終わらせ、お互い定時に退勤した帰りに寄った隼人の自宅で、彼の手作りカルボナーラを一口食べて麻衣子は瞳を輝かした。

「よかった」

 向かいの席に座る隼人は嬉しそうに目を細めて笑う。

 すぐに用意出来るものとして隼人が振舞ってくれたのは、カルボナーラとトマトとモッツァレラチーズのカプレーゼ。

 飲食店で出してもいいのではないかと思えるくらい美味しくて、エプロンを付けた彼の格好良さと料理中の手際の良さに麻衣子の胸はキュンッと高鳴ってしまった。
 背の高い彼が一摘み分の塩を高い位置から振りかける光景は、拝んでしまったくらい格好良いのだ。

(仕事も出来てこの先、昇進していくだろう将来有望な課長。高級車にも乗っていて、駅近のタワーマンション住まい、その上、優しくて料理まで出来きるなんて反則でしょ)

 恋人としても結婚相手としても申し分なく、隼人の存在を知ったら両親は大喜びするだろう。
 しかし、エリート課長と釣り合わない自分の容姿と肩書、彼の性癖が引っ掛かってお試し期間の後はどうしたらいいのか迷っていた。

「待って」

 食べ終わった麻衣子の分の食器を下げようとする隼人の手を握る。

「片付けくらいは手伝わせてください」

 御馳走になった上に、片付けまで彼にやらせるのは申し訳ない。
 僅かに目を開いた隼人はすぐに微笑んで小皿を手渡す。

「じゃあ、一緒にやろうか」

 ワンルームマンションの自宅に備え付けられた狭い一人暮らし用のキッチンと比較したら、悲しくなるくらい広いシステムキッチンに二人並んで立って食器を洗う。
 麻衣子が食器を洗い、隼人が食器乾燥機へ並べる。

 すぐに終わる単純作業なのに、二人で並んで立っていると意識した瞬間、麻衣子は緊張で体を固くした。

(ちょっと待って、何かこれって、まるで……)

「これって新婚夫婦みたいだな」
「な、何言っているんですかっ」

 心の声が聞こえてしまったのかと、驚いて横を向いて後悔した。
 たった二時間前に、ミスをした社員を厳しい顔で指導していた斎藤課長が蕩けるような幸せそうな顔で笑っていたから、胸がキュンッとときめいた。
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